サイクリストは吸血鬼

英会話の話でもあるけど気分的に自転車話なのでこっち。
感情を表現する!という子供だましに思えるだろう授業でエゲレス人に「ワクワクするときは?」と聞かれたので、「うーん。自転車競技見てる時。」と答えた。実はエゲレス人は一般的にあんまり自転車を見ないのを知っていたので、あんまり言いたくなかった。
「へぇ。君は自転車を見ている時にワクワクするわけだね。」と繰り返すのがその人の癖であって、文法的な間違いがあるとそこをちょっと直しながらいい直すのがいやらしい。だが逆に本人が話している時に邪魔をして直したりはしないのもまた彼のポリシーらしく、本当は切れやすく忍耐のにの字もない人間だったと告白していたのも覚えていたので、彼なりの居場所の見つけ方の結果らしかった。「何の自転車競技?」
ツール・ド・フランス。知ってる?」
ツール・ド・フランス。知ってる。」
まるでこだまだ。と、何かが聡明なその男の頭のスイッチを入れたらしく、鼻にかからない平坦なアクセントのまま聞き取れないような勢いで彼は話し始めた。
「じゃあ、ここ最近のドーピングにまつわる騒動を知っている?イギリス人の選手がなにかしでかしただろう?」どうも自転車には疎いらしくイギリス人といった。彼はイングランド人とかスコットランド人と言う方を好む。奴らの国の概念は面白い。
「あー、デビッド・ミラー!」
「彼は確か無実を訴えていたはずだけど」というが実は認めている。多分向こうに帰ったきり情報が止まっているのだ。「彼が無実だと思う?」
「全く。」というのも明らかに今年のミラーの成績におかしいところがあったからなのだが流れのなかでぱっとでてこなかった。「悪い男だったし、やってると思います。でもタイラー・ハミルトンは・・・・・・て、タイラー・ハミルトン知ってます?」
「知らない」予想どおり。
「金メダルをとった男です、アテネで――英語でアテネって言わないのは知ってます」
「Athens」
「言えません。練習しておきます」
「前にatをつければ言えるよ。thとsの音が並んで難しすぎるからこの場合前にatをつけるんだ」
「(無視)で、彼は・・・・・・」疑惑をもたれているという言葉がぱっと出てこない。「・・・suspect? そう、彼はアテネでドーピングをしたと疑われているんです。ものすごく立派な人だし、私は今でもかれは潔白だと信じています。でも、彼はアメリカ人だったので・・・・・・ヨーロッパ人は疑っているんです。でもそれが、他人の血を加えたって言うんですよ」
他人の血を!?」信じられないという感じで彼は反復した。「なぜまた!?」
「それが私も不思議なんですよ。それって違法じゃないですか・・・・・・って違法は当たり前か、そうじゃなくて、普通じゃないでしょう。そんなの危険ですよ。普通、自分の血を使うでしょう」間髪おかず目がまん丸の英国人は
「自分の血を!?」
そういった。
「なぜ!?」
「知らないんですか?前もって自分の血を取っておいて、レースの・・・・・・(直前がわからない)そう、ジャストビフォア。に、血を入れるんですよ。入れる?」
「注射する」
「そう。注射する。そうすると赤血球が増えるので、それがより多くの酸素を運んでくれて、いい結果がでるんですよ。」
「面白い。」もはや反復もしなかった。「じゃあ、きっと1リットルくらい血を採っておいて・・・もしくは1パイントくらいとって、それを入れるわけだ」
「パイント?」
「ビール一杯。」
「ああ。大ジョッキ。どういうスペル?」
「P-I-N-T。体の中には8パイントの血液があるんだ」なんとも非科学的な数字を持ってきて彼は説明した。実感がわかない。
「(取る血液の)量は知りません。1パイントかそれ以下だと思いますけど」
「へぇ。自分の血をね」
 
間。
 
「うー、それってマジ気持ち悪い!」ぶるっと震える動作つきで、想像を終えた英国人は漏らした。
「マジで?そうか?なぜ?」血を抜いてもういちど入れるくらい、別にどうってことないと思ったし、いまでも思う。読書家の彼曰く
「だってそれじゃあ、ヴァンパイアだ!」
萩尾望都と自転車と英語が無駄に融合を遂げた瞬間。
 
 
その話が痛く気に入ったらしい英国人はのこりの二人にももういちどこれを説明させた。「面白い。ヴァンパイアの話だけど、僕が話しても仕様がないから話して。」といって、それなりに話した。生徒の一人が本当にヴァンパイアの話だと思って、「で、どこらへんが吸血鬼の話なの?」とボケると、「いや、みたいな、ね。吸血鬼みたいなってはなし。」といいつつ「いやでもやっぱりヴァンパイアだよそれは。そう思わないか?」と焦点の合わない目でブツブツ呟いていて不気味だった。
ちなみにランス・アームストロングを知らなかったのでエゲレス人の誇りというか興味は物凄いなと思った。だいたいイギリス人に名前の由来を聞くと嬉々として5分くらい語ってくれます。アメリカ人に聞いたら「意味はない」とあっさりかわされました。