あとがき、発見、副産物
- よしながふみはベルサイユのばらの同人誌を書いていたらしい。……フェルゼン×アンドレとかか?T・E・ロレンスも読んでいたとのこと、嬉しい限り。
- 愛そうとする子を俺は、っていうタイトルは、まんまなのだけども、「俺は子を愛そうとする」ではないところが秀逸だ。
- どうも自分は気分ノリノリで書いても3時間で7千字しかかけないらしい。つまり4千字レポートはやる気を出せば2時間で仕上がるということか……。
- 無垢を体内化できる人と外在化して自分を貶める人ってどう違うんだろう。
- ナギさんはレヴィに「私がお前を愛する」ということはサッパリいわない。いちおう彼女なのに。そんでもってレヴィはナギよりも勇吹、カルノのが大事だとあっさり言う。「愛せなければ生きている意味すらない」と断言する。それってアーク(昔)と正反対の考えだよなー、というのが『蛞蝓と蝸牛』の原案だった。2003年6月に書くといってはや1年半。レヴィが死んでから、じゃなくて死なないと確定してから書こうと思ったけど、今なら書けそうだ。結局残神も魔法士もジェラジャクも、愛することで人はcureされるという話ではあるのだと思う。愛の能動性について。てか、レヴィの愛し方は凄いと思う(笑)。それを父と表現することにひたすら疑問を抱いていたけど、ここ数年でようやく私と少女漫画がなるしまゆりに追いついて父肯定を始めたのにはびびった。
- というか、そもそも「親を正当化するための子供の献身」云々を昨年末見事に投げたのは私である。だからこうやって寝る間も惜しんで書いてるでしょう。言い訳。