エドガーは何故薔薇を折るのか、もしくはユリスモールは何故エーリクを撫ぜたのか?

腐女子って普通に使ってたけどヤオラーを指すんだね。冬コミが今日(つか昨日)だっていうのもさっき知ったオイラはヤオラーじゃないんだろうな。まぁどっちでもいいよ。トーマの心臓は好きだけどキャプテン翼には萌えないよ。

で、「少年」という表象について書くときやおいは外せないだろうと思いやおいは読めずともやおい論なら読めるだろうと思いやおい論を読んでいる。蜜の厨房さんとかパンドラの本箱さんのやおい論とか畜生時間がない、で読めなかったブックマークを漁り返してみる。
で、蜜の食卓第一章の愛は静かな場所に降りてくるを読んで愕然とする。
あまりに世界理解が違いすぎる。
これは、私がまだ至らないからなのか?私が異端児として自認し、覚醒し解脱すればこのようになれるのだろうか?はたまた逆で、私がこの論の先の、絶望にいるのだろうか?
人々が異常になりたがっている平坦な世界――それが管理人さん、小泉蜜さんの見ている世界のようである。私は違う。人々は個性獲得に躍起になっているが、「個性」とは「異端、異常」ではない。個性とは「示差的 differential」なもので、異端とは「異常 abnormal」なものだと私は感じている。当然示差的なことはノーマルなことである。こう考えていただければいい、高校のクラスで、一人はいるかわいい子グループの中のヘンな子と、友達が独りもいないデブス。前者はノーマル。後者はアブノーマル。選択的な異端児と非選択的、もしくは積極的選択肢としての異端児と消極的選択肢としての異端児。この差!

私はメイクも服装も見た目も体系も学歴も収入も人並みなのに、何故かみんなに変わっているといわれた。それが快感だった時期もあったが、私は母にこういわれ続けた。異常、突飛、過激、変、変わっている、おかしい、狂っている…私に貼り付けられる異端児のレッテル。私はこの論を受け入れることはできない。

※毎度のことですが蜜の厨房さん大好きです。誤解なきよう。特に好きなのは正しいボーイズラブ講座番外編やおいよりもやおい論を書きたいあなたへ