で、トラウマの話なんですが。

Not A Serious Woundさん経由。
藤本由香里「少女マンガのセクシュアリティ 〜レイプからメイドへ〜」(前半)(後半)を読ませていただきました。まぁメイドとかは結構どうでもいいんで。才蔵に萌えないんですよ私は。左介のが好きです。木の上の千代の足にキスするシーンが凄く良かった。とまぁ私の萌え話は置いておいてですね。
やっぱり私が気になったのは後半の最後の最後、トラウマに泥まず成長せよなんですけど…私は去年から、少女漫画における救済者の性格を範囲限定的ながら結構詳しく見てきている…つもりで(あくまでつもり)、その視点からいくとこの論はなんか違和感を感じるなーと思ったわけです。

藤: ホラーですよ、やっぱりあれは(笑)。でも、だからこそ、なのかもしれないけれど、主人公(吉祥天女の叶小夜子)がその傷にとらわれていない。乗り越えて、むしろそれを武器にして使いこなしている。だから気持ちいい。それは『BANANA FISH』のアッシュにも言えることですけど。
藤: コントロール効いてますからね、彼女(小夜子)。傷に捕らわれているわけじゃないから。それはアッシュも同じだけど。

と藤本さんはいうんだけど、アッシュに関しては私はそうは思わない。小夜子に関しては同意だけど…藤本さんほどの人が小夜子とアッシュをどうして同じモノとして語るのかなぁっていう。その辺の構造の違いは年末論文で説明しましたが、それに加えて、小夜子は自ら攻撃してるけど、アッシュは自分で語るとおり防戦一方でしょう。アッシュは「頼んでもないのに向こうが勝手に殺しにくる」とか言っていたじゃないですか。つまるところ、彼にとっての敵とはトラウマが銃を持って襲ってくるようなもんでしかないと思うんですけれどね。最初の敵、白ブタマービンなんかモロにそれ。オーサーはゴルの手下だし、そこには彼の嫌悪する「支配」が絡んでいるし。そして彼は番外編ANGEL EYESでレイプは性欲を満たすものではなく支配するものだと言っているし、フランス人に犯されそうになった時も、そうやって支配しようとする!おれは何にも支配されない!魂かけて逆らう!って言っているわけだし。要は彼にとってのトラウマ=支配されること、で、「乗り越えてそれを武器に」なんかしていないし、「コントロール」もしていない。そして彼の唯一の敵は「支配」しようとしないブランカなわけです。逆に言えば彼は支配するものには徹底的に抗う。

相: 吉田秋生さんが描く作品はその点でバランスが取れていますよね。もうそういう癒しとかなんとかが主眼じゃないんだなというところで。
藤: 癒されることだけじゃ人間ダメだからねえ。先に進まないとね。

で、上の続きがこうくる訳なんですけど、いやオイ!めちゃめちゃ「あいつは憎んで覇者となるよりも 愛して滅びる道を選んだんです」って描いてあるやん良く読めよ、というね。もうこれは私からしてみれば誤読も誤読なんですけど。癒しっていう単語のセレクトがまぁアレですが、要は癒しでしょ、英二の愛は。先にも進んでいないし。どうも相沢さんは、吉祥天女で小夜子がバッコバッコ馬鹿を退治していくのが気持ちがいいというのに固執しすぎて、ラストで失われたものを見ていないという感じがしますけれど。小夜子はいつ何処で前進しているんでしょうか*1彼女には癒しすら与えられていないという方が正解に近いと思うのですが。

相: あの娘は戦っているんですよ。だから自分のトラウマもコントロールできてるし、自分自身もコントロールできているし、実際に周りの男、恨みを持っている人たちに立ち向かっていけると思うんですけど、たぶんそこが読んでいて気持ちよかったんですよ。魅力的だなと。

さいですか。
誰もが漫画を自分の都合の良いように読んでいて、特に私はその傾向が顕著すぎて申し訳ないといつも思うのだけど、ここらへんの流れは見逃せないなと思ったので取り上げてみました。一つ、吉田秋生はトラウマから脱出しているのか?という問い。していないと思うのね*2。で、二つ、トラウマからの脱出ってそんなに重要なの?という問い。これについては下に続くので、興味あるかたは見てやってください。

*1:自分を犯そうとした人、結婚させようとした人を殺した、女性性忌避と見ることも出来ますね。トラウマっ子です

*2:蛇足だが、そもそも絶世の美女である小夜子に、IQ200のアッシュ。この二人がトラウマを抜けたところで現実には何の抗力も持たない。私は絶世の美女じゃないし、IQ低いし、銃撃てないし。