調査しよう!
今日は、「私の感情移入」についてです。
私は漫画を読むのがヘタクソだと思う。というのも、「感情移入」出来ないと読めない。これは女性的な読み方なのかはたまた私が特異なのか普通なのかはわからないが、誰にも感情移入出来ないマンガが駄目。というわけで私のマンガ評には感情移入の四字熟語が乱舞し、マンガ評の読み手が私に感情移入しなければ完全には理解できず、よって私以外は永遠に理解できない(しかし同時にマンガ評に「客観的」などありえない)。キャラ萌えよりもまず感情移入で、あまりキャラ萌えしない。
「好きなキャラクター」にも様々あると気づくのはTornado HunterさんのTornado Eを読んでからで、自分では気づかなかった。ここでは擬似崇拝、仮性崇拝、真性崇拝と「好き」になる理由を分類している。それによると、感情移入とはすなわち「誰の視点で物語を見ていくか」であるから、「擬似崇拝」であるはずだ。キャラ萌えが仮性・真性崇拝だろう。作品には往々にして「被感情移入キャラ」というのがおり、1、道案内役として存在する関口(京極夏彦作品)をはじめ、かごめ(犬夜叉)、筒井雪隆・クラフト・清水(レベルE)2、少女漫画の場合、それこそ、「ドジでバカな女の子」、ふしぎ遊戯の美朱、少年漫画の場合背が低く強い主人公という、1、超人的な主人公の脇に侍るタイプと、2、主人公そのものの二つの感情移入先がある。
さらに、物語を誰の視点で見せるかという点において、「様々なキャラの視点」で見せる漫画と「一人の視点で見せる」漫画がある。私は少女漫画読みなので前者の方が多いように思われ、大体はモノローグ(心の言葉)が主人公以外にもあるか、主人公のみかで判別している。前者はフルーツバスケット、ハンター×ハンター、BANANA FISH、トーマの心臓など。後者はさらに二つに分かれており、徹底的なモノローグ・シテ一人主義である花より男子、犬夜叉タイプと、主体が途中で入れ替わる(もしくは増える)、NANA、ぼくの地球を守って、残酷な神が支配するタイプ。