中島みゆきとSMAP、地上の星と世界に一つだけの花

誰も書かなかった中島みゆき論〈序章〉

このようにみると、この歌は決して単純にサラリーマンの応援歌という次元の歌ではないことが分かる。ここには有名になりたいという現代人のあくなき野望や憧れのもつむなしさがうたわれており、そしてそのようなむなしさの上で成り立つ現代社会の虚構性が批判されているのである。(中略)
地上の星」は、無名の人々の輝きをうたっているのだから、それを一段高い紅白の壇上から、いかにも天上の綺羅星のごとくに輝くスター達の年に一回の大饗宴で国民に披露されるその絵は、まさに「地上の星」のコンセプトとは正反対だからである。 だから中島みゆきの紅白初出演が黒部ダムからの中継で行われるというニュースを知ったとき、「えっ、そんな場所で!」という信じられない思いよりも、むしろ「地上の星」を違和感なしに歌える場所があったのだということに感動し、そういう場所をみつけてくれたNHKスタッフに感謝したくなった。

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ところで、もし「どの国のどんな人も、ナンバー1ではなくともオンリー1だ」というのならば、もうそれは「オンリーワン」というより「オンリーオール」となるのではないだろうか。しかし「オンリー」による限定は、そんなに軽々しく普遍化できる要素ではないはずだ。「オンリーオール」という形容矛盾は要するに、いずれの陣営にもコミットしない立場をとる中立主義の立場を意味するのであるが、これはたんにナンバーワンをめざすために引き受けなければならない責任や重圧を回避したいという<巻き込まれ>(entrapment)意識をあおるものでしかない。(中略)
ちなみに「オンリーワン」を推薦しているSMAPは、2003年ヒットチャートで「ナンバーワン」になってしまっている。だからあの歌詞の本当のメッセージは「ナンバーワンにならなくてもいい、なぜならナンバーワンになれるのだから」というものなのだ。理解さえしなければ成功する。みんなその種のアイロ二―を感じとっている。そして結局みんなそうした情けない人間なのだということを確かめて、おたがいのダメッぷりをさらしあい安心する。

一年で社会は変わったのだろうか。