彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義 大塚英志 ISBN:4044191093

読み途中ですがメモとして記しておきます。噂通り面白かったです。特に前半の永田洋子と「かわいい」をめぐる戦い、女性性の肯定と否定なんかは私がマンガを通じてモロに考えてきたテーマだったので、とても面白いし、興味がわきました。
ただし、この人の『イグアナの娘』関連の文章には当然ながらいくつか反論があります(それがこのページの存在意義でしょう)。もちろんそれはいち萩尾ファンとしての些細な反論で、この人が『イグアナの娘』を例に語る「転向」そのものを否定するわけではありません。私はさくらももこ内田春菊の出産本を読んでいませんし、その頃出産本ブームがあったかもよく覚えていません。ようは、出産本ブームは実際にあったんだから、わざわざ『イグアナの娘』をそこに持ち出す必要はない、ということです。問題点は以下の通りです。

  • 1)『イグアナの娘』の基本的な誤読
  • 2)1989年『海のアリア』から1992年『狂おしい月星(感謝知らずの男)』における一連の「転向」の指摘の不在
  • 3)萩尾望都の描く母の性格の指摘

この文章が書かれたのが1996年だというのを考慮しても、1と2は指摘して問題ないかと思います。3に関しては、1996年5月では、『残酷な神が支配する』のサンドラの裏切りが発覚していないので、仕方ないといえば仕方ないと思います。これについては、もう一度整理したあと、おいおいこの日記上に載せたいと思います。
しかし、私はこの人のいう「なしくずしの母性の全肯定」とやらはまったく理解できませんが、やたらとこの一節が萩尾論の中で引用されているのは何故でしょう?荷宮和子すら引用していましたが、本当に『イグアナ』をそう感じているのでしょうか?萩尾が『残酷な神が支配する』においてついには母的体系にも父的体系にも支配されず「少年が生む」表象ををつかったのは既に指摘した通りです(id:lepantoh:20031231)。それは最新作『バルバラ異界』にも受け継がれ、第二話の冒頭、父・時夫は息子を産む夢を見ます。結果論ですが、「なしくずしの母性の全肯定」とやらは、結局行われませんでした。そして96年の時点でそれを見破ることが出来なかったのは当然といえば当然です。それでも問題は問題です。