再開しますた!

こんばんは、見に来てくれてありがとうですlepantohです。無言の日記の中の人です。本当に無言化。
近頃、どうもパソコンのキーを打つ事が億劫になっていました。何故なのでしょう。ひとつ、パンターニの喪中だった。これは大きい。ひとつ、怖くなった。これもあります。その、世の中にはなんか、わかってもらいたくない人というのがいるのをこの間のバンギャル論争で知って(ちなみにその人は非バンギャです、論争とはあまり関係がない)、それって凄く怖い、そう思ったのです。人間を食い殺すために侵略してきた宇宙人に友好的に接してもどうしようもないのと同じような、根本的なズレ。
でもまぁ、なにより大きな原因は、感情が無防備になっていたことです。パンターニのお葬式の日、私はたまたま枕の脇にあった「オルフェウスの窓」文庫五巻を読んでいたのですが、もう泣けて仕方がないのです。あぁやはりイザーク編は最高だなぁと思っていたのですが、そうではなかった。お風呂の中で、今度は何度も読んでいた「ただマイヨジョーヌのためでなく」を再読し、今までホロリともこなかったところで、いやむしろ全ての部分で泣いている自分がいました。ランスのチームメイトのファビオが死ぬところでは、それは嗚咽にも近いものでした。彼は金メダリストで、陽気な“イタリア人”だったのですから。
そんなこんなで、あぁとうとう本格的に私もイカレポ☆☆NCHIになってしまったのだなぁとか色々考えました。ドラマを見れば泣くし、つまらないコントで大笑いする。感情が暴走してしまうので、ネットなんてしてはいけないと思ったのでした。
そんなこんなで、実に数年ぶりに一週間くらいのネット断ちというかROMオンリーを体験したのですよ。もちろんそれでもジーコ騒動やらポストモダンエヴァやら尾崎豊やらは追っていました。抜け目のないワタシ。とりわけジーコ騒動は、サッカーに全く興味がない私から見れば、なんか不思議な騒動でございました。だって日本サッカーってまだ10年そこらの歴史でしょう。それなのになんかもう体制が腐ってるっぽいのが不思議でなりません。あとそもそもどうしてジーコが監督なのか、いやそもそもどうしてジーコが神様なのかすらわからんという始末。当然そんなことは全く恥じていなくて、ニュースでパンターニのお葬式を流さずに、久保だか大久保だかを連呼していた中西哲生がウザッたいと思っていたのでした。この人が男性向けの自意識過剰系ファッション雑誌でエステを受けてシャワーキャップを被っていたのがトラウマで未だにこの人の顔を見ると夢見が悪いのです。