京都より

今日の「新選組!」の面白さはハンパなかった。見てない人は10時から再放送をチェーック!番組後にやる永倉新八の胴着は今日「新選組!展」で現物をみてきましたよー。
その後NHKでやっていたバチカン特集も面白い。印象に残る言葉もあった。バチカン関係者がフセインについて語ったところ。「誰にでも良心はある。そして自由もある。誰かの自由を奪うのも、その人の「自由」だ。神は自らがお造りになったものを、自由には出来ない。その人の良心に従って、YESということも、NOということも出来るのだ」。バチカンを見直した(笑)。自由は他人の自由を奪いうる――フセインが国民にしたように。だが我々もまた、自由であることによって神の自由を奪っているのだとしたら――?
今日広隆寺に行って、私は私の「敵」である(笑)弥勒菩薩半伽思惟像を観てきてやった。私は当然この人っつか神っつかキャラっつか設定が大嫌いだし(末世マダー?マチクタビレター)、この人は足を片方降ろしてんだけど(半伽っつーくらいだから当然だが)それは早く衆生を救いたいからで笑ってんのは思惟の末なんか思いついたからなんだってさ。つまり上半身と下半身が思春期なんて目じゃないくらいなんじゅーおくねんも分離してんだね。まるでリチャード・ハイマンだなぁ――殴りたいタイプ。
しかしまぁ見事な仏像で(木隅だが)、観ているうちに怒りが消えていきまして困ったなぁと思いました。救われちゃうのかねぇ私も。迷ってこそ人だろうに。
それに対してこのバチカンの神ってめちゃめちゃ無力で、むしろ生け贄的な性格を背負っている。今こそ「良心」が問われる時、なーんて安易な結論という蛇足もなかったし。いい「神」見たなぁ。