学校の話

私が滞在したのはロンドンから少しはなれた郊外で、20分でロンドン中心部まで出ることができましたが、ステイ先が運悪くさらにそこからバス25分だったため、結局毎日学校に遅刻していました。学校も郊外にありました。ロンドン中心部はもっと高く、日本人が多いそうです。
とにかく学校が面白くて面白くて面白くて、ビックベン見るより、学校の授業の方が全然好きでした。当たり前?外人と英語で会話するのも楽しいし、無駄話すら英語でなされれば勉強の範疇。しかもどれだけ発言してもでしゃばりなんて概念はないのが最高にありがたかったです。日本人と違って他の国の留学生は24才くらいだったから、みんなそれなりに真剣だっんだろうし、やはり文化の違いか、頻繁に質問し頻繁に回答し頻繁に間違えていました。あと男多い。クラスは日本人の他にスイス人、韓国人がいたけど、例えばスイス―ドイツ人は会話には強いが決定的に語彙力と構文力がないことが次第に分かってきました。それ程彼らは簡単な単語を質問しまくっていたんです。でも私はスイス―ドイツ人から会話のスキルを容易く盗むことが出来たし、日本人の語彙力はしばしば彼らの助けになったと思います。真ん中より下のクラスに入れられたことはプラスにもマイナスにも働きました。多分私の実力では真ん中のクラスにも行けたと思うのですが、会話力がなかった為下のクラスに入れられたんでしょう。文法的に得るものは何もなかったし、中学レベルの構文を習わされたので。でも授業内容を粗方理解し、スイス―ドイツ人とほぼ対等に話せるという事実は私に自信を与えてくれたのでした。鶏頭であることが、海外初心者の私の行動を支える英語への自信を築いてくれたのです。これは大きなアドバンテージだったと、今になって強く思います。話せない、と自信を喪失してしまったら外国人とはコミュニケート出来なかったでしょう。
結果的に、私は日本にいるよりより行動的に、積極的に、開放的に振る舞っていました。
不思議なことに私はそのような振る舞いにまったく違和感を感じず、強制されているようにも感じず、自分を偽っているようにも感じませんでした。私は日本でも四六時中出来損ないの仮面を被り、自分を偽っている人間なのに、クラスメイトとの交流に関してはむしろ、まるで自分が羊水から投げ出された瞬間から友好的な人間であるかのように自然に振る舞えたのでした。それは何か枷から解き放たれたような気持ち良さがありました。次の日も学校にいけば彼らがいるという事実が絶えず私を幸せにし、私はいつでもどこでも笑っている自分に驚かずにいられませんでした。人生において最も幸せな二週間でした。