"It's Not About the Bike: My Journey Back to Life"

It's Not About the Bike: My Journey Back to Life

It's Not About the Bike: My Journey Back to Life

洋書版。一週間くらい前に読み終わったのですが書く気力がなかったので今更です。
実は日本語版の翻訳にはわりとゴッソリ抜けているところがあって、ランスが日本人には解りづらい映画の例を引き出して自分の状況をたとえて見せるところなどはところどころカットされていたり、個人的すぎる箇所などもバサバサカットされています。日本語版を読んだ時一番のビックリはランスの元の名前はランス・ムーニーハムだったことでしたが、高校生の時トイザラスでバイトして、夜中、帰路を友達と車で競争しながら帰ったとか、微妙なネタが楽しめました。あと、マザコン度が凄い。日本語版の「一人では勝てない」の章は、元々「I don't check my mother at the door 僕は母をドアで待たせたりはしない」=お母さんのおかげで世界戦勝てました、という告白になっていて、さすが10歳年上と付き合っているだけあると思ったり。
さてさて、一番大きな欠落は後で付け加えたらしい「Encore」がごっそり抜けていること。これは、ランスがパンターニウルリッヒ不在で「まぐれ」と思われたツール一勝目の印象を打ち消し、どうやって2勝目を上げたのか、パンターニとの死の山モン・バントゥでの確執(これを見て自転車を見始めた私)、そしてシドニー・オリンピックについてが書いてある。この章がまたまた素晴らしいのです。
まぁ、ツール2勝目はランスの心境を知ることが出来るという面白さがあるとしても、やはり「アメリカ的な」ストーリーの域を出ていないわけです。しかし、ランス・アームストロングは最後の章に自分の負けを記すことによってこの本を終えようとしたのです。それがシドニー・オリンピックのあたり。ランスは一ヶ月前首を骨折するも、自分なりにはベストを尽くして、それでも勝てなかった、そういう時は自分に勝つ資格がなかったというしかない、とあっさり認めてしまう。その上でこう続けるんだから参ってしまいます。

表彰式のあと、僕はバイクを通り越して、妻に明るくキスをした。キークは僕を誇りに思った。後に彼女は、ルークがその日どんなことが起こったかわかるくらい大きかったらよかったのにと思った、なぜなら僕たちが、ルークが敗北に面した時にはこうあって欲しいと思うような男の姿を、彼に見せたかったからだ、と教えてくれた。僕は今まで彼女と成し遂げてきたこと全てと同じくらい、その言葉を誇りに思った。
時々僕は、癌が成し遂げた最も大きなことは、僕の中の壁を打ち砕いたことじゃないかと思う。癌の前には僕は自分自身を純粋に「勝者」「敗者」という言葉で定義づけていたが、僕はもはやそういった融通のきかない虚栄心とは無縁だ。僕の髪の毛のようなものだ。僕は昔、自分がどう見られるか気にし、常に外見を気にかけ、ドアを出る直前に髪形を念入りに整えた。今はすべて刈りそろえてある。