いくえみ綾『バラ色の明日』文庫本巻末レビューを偽造する

【まだ書いてないリスト*1】消化。以前の宣言どおり、バラ色の明日の巻末解説がなかったので自分で書いてみるね。バラ色の明日を語れない私ならば存在に一切の価値はない、とまでは言わないけれど、このものがたりを享受した、自分の使命だと思う。
 

90年代後半、『バラ色の明日』は少女漫画の希望だった

ひとにはだれでも青春時代のおもひでを過去に引き継ぐ義務がある。
――はずなどなく。
むしろそれをすると、うざったい自分語り野郎みたいに見倣されてひとから愛されない。わたしは批評家を自称してはいないけれど、それはわたしに批評の意志がないわけではなくて、ただの謙遜と自己嫌悪の結果だ。けれど、それがわたしに無駄な語りを許容してくれる。
わたしの青春はいくえみ綾『バラ色の明日』と共にあった。わたしはこの物語の心酔し、毎日かばんに入れて歩いていた。気の合いそうなひとがいるとそれを貸しては友達選びの踏絵のようにする、趣味の押しつけのような悪癖があって、これは大人になっても完全には治っていない。それでもわたしの信頼するひとは、その物語を読んで、「昨日から頭を離れなくって困っているのだけど」とわたしに言ってきたことがあった。わたしはそのことを好ましく思う。あの頃読んでいたもののなかでいくえみ綾だけは本棚に残っている。
『バラ色の明日』に流れるテーマは交換可能性(replaceability)交換不可能性(irreplaceablity)だ。それをさらに、少女漫画ではいつも特殊な状況しか描かれなかった、家族を中心に描こうとしているのが特異だ。これはいくえみという作家の特徴で、おおきくなって、それが山岸やくらもちや紡木と比べられることがあると知っても、なおいくえみを読む意志となった。
 

バラ色の明日(1) 想い人と結ばれる日はこないが、想いもまた消えない

バラ色の明日 1 (集英社文庫―コミック版)文庫版 バラ色の明日 (1) (マーガレットコミックス (2709))単行本版
バラ色の明日の特徴の一つに、主人公にはすでに相手(候補)がいて、また主人公の想い人にもお似合いの相手がいる、という構図が挙げられる。だからこそ、この物語は姉の婚約者に恋をした妹・吏加の物語、「狸ばやしがきこえる」ではじまる。
自分の想い人の相手が姉だということで、吏加は苦しむ。どうして彼は自分ではなく姉を選ぶのだろう、と。

今 なんで 2人でいるんだろう
私は なんで お姉ちゃんの妹なんだろう

これは、言い換えてみればお姉ちゃんが私の妹であればいいのに、ということだ。そして実際にそれは不可能ではない――ように思える。これが交換可能性だ。いくえみ綾は恋愛に運命を主張しない。主人公の吏加には、一緒に夜遊びをする、イマドキなロンゲの井ケンがいて、わたしたち読者は吏加と井ケンの仲がこれから発展していくであろうことを読み取る。主人公の目線からすれば、もし運命があるなら、きっと婚約者と結ばれるであろうが、いくえみはそれをしない。吏加は最後に彼に泣きついて、二人きりで思い出の岬に行く機会を得るだけだ。

共有しよう こんなに広いのに 私たち誰にも見られてない

吏加は最後の最後に、自分の思いを彼にぶつけることの許可を求める。それを、彼は否定する。「安奈マイラブ。」という婚約者の言葉には、ひとつの交換不可能性が秘められている。それは当人の気持ちだ。恋するが故にそれを知る吏加は、それ以上を彼に求めることはしなかった。そうして吏加は失恋する。
 
次の話、「巷に雪の降る如く」ではその3者関係と交換可能性はより強調される。そしてやはりそこには断絶がある。
今度は頼と敦志という高校時代の同級生が、同じバスケ部の佐世子先輩と大学で再会する。先輩はいつも一人で、友人がいる様子もないが、頼と敦志とだけはよくつるんでいた。そんな先輩はある日、精神科でためこんだ薬を飲んで自殺を図る。しかし失敗し、頼に説得されて、「私は生きる…」というのだった。
ここでも主人公の頼には彼女がいるのだが、頼は作中で彼女の電話を二度も無視する。彼女のことに比べて、先輩のことのほうが好きなのに、頼は決して先輩と付き合うことはない。
そんな中で、私は生きると決めた先輩は交通事故にあう。敦志と乗ったタクシーが頼の目の前で大破した。敦志は軽いケガで済んだが、先輩はで植物人間になってしまう。ここでもまた、交換可能性が透けて見える。つまり、敦志が植物人間になっていた可能性、そして頼が事故に遭っていた可能性を感じさせる事で、「それ」が「その人に起こる必然性」が、揺らぐのだ。誰が事故に遭ってもおかしくない状況で、生きると決めた先輩は長い眠りについてしまった。
先輩が床に伏してから、敦志は先輩に一目惚れしていたことを告白した。彼にとって、その気持ちは交換不可能なものであった。もっとわかりやすい言葉でいえば、かけがえのないものだった。そして、読者にだけ、頼も本当は、先輩のことが好きだったのだと明かされる。わたしたち読者にとっては、敦志と頼は交換可能、つまりどちらも先輩を想う人として、ふさわしく思える。しかし、頼はその気持ちを敦志に明らかにすることはなく、ただ静かに二人の幸せを祈る。気持ちだけは揺るがないものであっても、いやだからこそ、頼はそれを実現することはおろか、表面に出すことが出来ない。これが断絶だ。
 
もちろん、そんな中で明るい光を投げかけるのは、同じ名前の男女を描いた「fight!」だろう。ここでも、男は計3人の女と寝るし、女の方にも英会話教師という選択肢が用意されてはいるが、それでも2人は一緒にいることを選ぶ。ただし、大事な鳥のピーコちゃんの脱走と、そして子どもを堕胎を経て、だが。つまり、大事なもの=交換不可能なものを失って初めて、ふたりは一緒にいることができたのだ。

「巷に雪の降る如く」の続編、「頼ちゃんは叶わぬ恋をしている」は文庫1巻、及びオススメボーイフレンド (マーガレットコミックス)に掲載されているが、ここでの変化は後述しよう。これ以降、「エンジェルベイベー」「Who?」、そして「不思議な男の子」と、いくえみは交換可能性/不可能性を家族という視点に絡めだし、現在の少年少女の“なんとなく居場所がある感じ”を奇妙に描きだす。その第1歩として、珠玉の短編が収められた1冊である。

続きはバラ色の明日(2) 僕の身体は男だが、月に一度ありもしない臓器が痛む(仮題)で。

*1:私の心の中にある無言の日記進行表に記載