Don’t forget 14th Jan.

革命。安易ですか?

私の脳内では、少女漫画だけに絞って言えば、萩尾望都がどう考えてもやっぱり一番好きで、でも作品ではなるしまゆり少年魔法士』を最も評価するので、つまり萩尾さんとなるしまさんとが2トップとしている。神様という言葉は禁止ワードなので(使いまくってますが)、天才と称することにしよう。その下にぽつんと言葉回しとか雰囲気とかキャラクターが大好きな佐藤史生が君臨しており(私は文体コピー癖があるんだが、本当は佐藤史生の書くセリフのような文章が書きたい)、そのさらに下に池田理代子水樹和佳子神坂智子田村由美いくえみ綾らがいる訳なのだが、ここにきてよしながふみがもう抑えられないくらい好きになってしまった。下の人々をゴボウ抜きにして天才と呼ぶしかないんじゃないか。なんでこの人を抜きに卒論が書けるとか思っていたのか。遅い。遅すぎる俺に失望しつつもそれをこれからの漫画読み人生で挽回する指名を自分に課そう。と、いうわけで、日記開始以来2年半続いた2トップ体制は1月14日をもって3トップに変更し、この少女漫画読み日記はイコール萩尾望都なるしまゆりよしながふみ日記になります。
これからもよろしくお願いいたします。

【驚愕】よしながふみは多分少年魔法士に影響を受けている『ジェラールとジャック』

ジェラールとジャック 1 (スーパービーボーイコミックス) ジェラールとジャック 2 (スーパービーボーイコミックス) 文庫版ジェラールとジャック (白泉社文庫)
買ったのは文庫版ですが、画像がなかったんで単行本の方をひっぱる。加筆修整があるようなので文庫の方をお勧め。ってゆーか私にとっても初めての本格BL(ボーイズラブの略)だから、そもそもお勧めなぞしないけども。やっぱり自分は完璧BL大丈夫なんだということを発見したので良かった。性的な受け皿は広い方がいいと思うからだ。ただそういった関係を追い求めるようなことはしないと思う。同人誌なんて薄くて高いもの買うんだったら、商業作品で絶版になったものを集めるだろうなと思う、キャラ萌えと縁のない私。
さて、タイトルに入る前にまず作品について説明しよう。ちょうど『ベルサイユのばら』開始時ぐらいから『杖と翼』終了時くらいまでのフランスを舞台としている。西暦?そんなものが少女漫画読みに必要なのかね?主人公は銀髪隻眼のジェラール、そしてその下男が黒髪のジャックだ。男娼館に売られてきたジャックの存在を、ジェラールが無残に、しかし現実的に暴きたてようとする初回から、次第にゆるやかに彼を肯定するサポートをしていき、最終的には父になる、っていう関係性の歴史を書く――っていう紹介のしかたは、“あらすじ”的ではないけれども、間違ってはいないと思うよ。
 
そんでもって問題の【驚愕】なんだが、一体誰にとってこれが驚愕となりえるのかは、自分でもかなりの疑問だ。日本中でそれに驚愕するのは五万人いるかいないかだろう。そして一日300人たらずの当日記来訪者にその人がアクセスしてくれる可能性はゼロに近い。それでも書くのは、そのゼロに近い可能性にかけてるわけでもなんでもなく、やっぱり単に自分が幸福だからである。他人が驚愕しようがしなかろうが、知ったことではないのだ(笑)。

ジャック
父上が悪いのじゃない 私さえ…私さえ…!
 私が不幸の元凶だ…!!
ジェラール
「俺なら……俺なら違う!!自分の愛した女が産んだ子供なのだろう!?
 俺はそれだけで良かったそれだけで十分だった!!
 何でお前が泣くんだ!?お前は何も悪くない!!
 子供ってやつはどうしてどんな仕打ちをされても親を慕おうとする!?
よしながふみジェラールとジャック』pp.235-236「愛そうとする子を俺は」雑誌初出BE・BOY GOLD2002年2月号

何度も言ってきたが、なるしまゆり少年魔法士』7巻は私が触れた全ての芸術の中で、私にとって最も素晴らしい作品である。私が魔法士7巻といったら、それは私にとって『聖書』みたいな意味を持つ。私が帰依するものの具現化である。その理由の、ほんの些細な、しかし重要な一つに、「親に肯定されるためなら、どこまででも自分を否定する」という少女漫画におけるジレンマを初めてはっきりと描き出したということが挙げられる。萩尾望都『メッシュ』で問題化し、そして衝撃のエンディングでそのまま放り出して終わった問題――母の望みになるために、メッシュは千のハサミに切り刻まれる千の死体にならなければならなかった――選択は常に親が行い、彼には選択不可能性だけが残された――この問題に、もちろん萩尾自身も『残酷な神が支配する('91〜'01)』という超大作をもって再挑戦することになるわけだが、彼女が結末までその結果を先延ばしにした結果、少女漫画史的には、それに最初に気づきそれを言説家した漫画家はなるしまゆりである、ということになったのだった。それまでこの問題は、84年から99年までの15年間、解決不可能のまま少女漫画内に息づいていた。
エスチョンは内容ばかりではなくその掲載誌と時期にも及ぶ。なるしまゆりがその親子ジレンマに言及したのはWings 1999年9月号、第三部パッションフラワーズ・ブルー第11話においてのことで、1999年7月28日に発売となっている。第三部は第14話、Wings 2000年1月号(1999年11月28日発売号)で完結したので、一応(愛する)レヴィ・ディブランに関する話はここで終わり、ということになっている*1。一方、よしながふみの引用部分「愛そうとする子を俺は」は2000年2月、つまり12月28日発売。これはあまりに近すぎる。少女漫画が15年間かけなかったことが、半年しないうちに一気に出てくるものだろうか。そして、丁度パッションフラワーズ・ブルーが連載されたWings9月号、1月号によしながふみは『西洋骨董洋菓子店』を描いているのだ。ここまで状況証拠が揃ってしまっては、自分の中ではQ.E.D、明らかに影響を受けていると考えるしかない。本人が違うといっても意識の水面下で受けていると主張するよ私は。
もちろん、さっきから言っているように私はこのシーンをみてとても幸福になった。だから、パクりがどうの翻案がどうのなんてことを言う気は全くないのだ。ただ、このテーマをよしながふみが描いているということに感動しただけ。作品全体はよしなが風味にテンポよく簡潔に進んでいっていて、パクリどころか強烈な個性が発揮されているんだから。
 
最後のシーンがお墓の前での告解というのは、『残酷な神が支配する』にも似ていると思った。私の脳内では、残神と魔法士はそっくりな物語ということになっていたので、魔法士とジェラジャク(何その略)が似ている以上*2別段特筆することでもないけど、この場合ジェラールとジャックの方が数ヶ月先のようだ。しかし、ここでの多きな違いは、魔法士と残神が「告発」を最終目標に置いているということだ。ジェラールとジャックにはそれがない。もちろん、最後はそれが、告解と許しに代わっていくのだけれども。というわけで、上記作品が好きな方々はそれぞれを必読なのですよ!テーマそっくり!
 
それでは、最後に魔法士7巻を引用しよう。私はあまりに強大でこの物語をあまり引用したことが無かったのだけれども、この文章を最後まで読んでくれた人なら見せてもいいだろう、多分。

ナギ(高次生命体、精霊みたいなもの。後のレヴィの彼女。現在大好評他の男とお付き合い中。)
「――…では一つだけ聞こう
 おまえは大層嘆いているようだが
 何が違っていたら今のような事態にならなかったと思ってる?」
レヴィ
「……!
 ―――…
 お…俺に 本当の…奇跡の力が――…あれば…
 俺の…力が 皆の期…待―――… …な…ら……
 …そうすれば… 母上も――…誰も 嘘をつかずにすんだ
 お…れ…の…… ――…お…れの…」
ナギ
「――…私は多分 おまえみたいな子供が本当に楽になれる方法を一つ知っている
 ――…だが もしかしたら今の苦しみよりも辛い事かもしれない
 もしおまえがそれを知りたいのなら教えてやるよ
 とりあえずヒントをひとつやろう
 私の問いに対する今のおまえの答
 ほとんど切ないほどに――…それは間違いだ
 ……レヴィ・ディブラン
なるしまゆり 少年魔法士 (7) (ウィングス・コミックス)

奇跡っていうのは人を不死にする力なんですが、成長すると同時に出来なくなっていって云々。

レヴィ
 お母さんを 恨んでいることさえ愛しているからだ
 それが 幻想の上に幻想を重ねた想いでも
 絶望しそうだ 愛されたいのだ 俺はまだ まだあの女に許されたいと願っている
 あの女がどれほど罪深くても
 お母さんは悪くない
 お母さんが悪いはずがない お母さんは  お母さんは――
 彼女を断ち切るくらいなら こんなにも強く 自分が悪になる
 
「……俺が楽になる方法を知っていると言っていたな
 そしてそれは辛い事だと
 楽になるって――… こういう事か?
 断罪しろといっているのか 母を 自分の為に」

ハァ……どれを太字にしていいかもわからないくらい全てが歴史的名言。「貴女はいつまでも貴婦人でいるがいい。俺はここを棄てていく」一度言ってみたい言葉No1。

*1:続刊では、自分から悪役に回って人を生かそうとするという非常にレヴィらしい、レヴィしかできない行動を起こすようになり、未だに少女漫画を革命し続けているすんごい存在。なんだけど、ヘタレな箱入り猊下キャラなもので、いまいち格好がついてない。彼氏にしたくないタイプ。

*2:ちなみに少年魔法士鋼の錬金術師もソックリ

あとがき、発見、副産物

  • よしながふみベルサイユのばらの同人誌を書いていたらしい。……フェルゼン×アンドレとかか?T・E・ロレンスも読んでいたとのこと、嬉しい限り。
  • 愛そうとする子を俺は、っていうタイトルは、まんまなのだけども、「俺は子を愛そうとする」ではないところが秀逸だ。
  • どうも自分は気分ノリノリで書いても3時間で7千字しかかけないらしい。つまり4千字レポートはやる気を出せば2時間で仕上がるということか……。
  • 無垢を体内化できる人と外在化して自分を貶める人ってどう違うんだろう。
  • ナギさんはレヴィに「私がお前を愛する」ということはサッパリいわない。いちおう彼女なのに。そんでもってレヴィはナギよりも勇吹カルノのが大事だとあっさり言う。「愛せなければ生きている意味すらない」と断言する。それってアーク(昔)と正反対の考えだよなー、というのが『蛞蝓と蝸牛』の原案だった。2003年6月に書くといってはや1年半。レヴィが死んでから、じゃなくて死なないと確定してから書こうと思ったけど、今なら書けそうだ。結局残神も魔法士もジェラジャクも、愛することで人はcureされるという話ではあるのだと思う。愛の能動性について。てか、レヴィの愛し方は凄いと思う(笑)。それを父と表現することにひたすら疑問を抱いていたけど、ここ数年でようやく私と少女漫画がなるしまゆりに追いついて父肯定を始めたのにはびびった。
  • というか、そもそも「親を正当化するための子供の献身」云々を昨年末見事に投げたのは私である。だからこうやって寝る間も惜しんで書いてるでしょう。言い訳。