青のメソポタミア

TSUMARAN。
秋里和国さんには、「TOMOI」というゲイの医者の人生を描いた漫画で注目し始めたクチで、藤本さんの著書で他の著作でもセクシャリティについて実験しているのを知り、興味を持ったのだけれど…。アイディアは凄くいいんですよ。たとえばロボットを造るのが無理だとわかった瞬間、人間から極力感情を取りのぞいてトップを保護する「補佐官」という役割を作って、三歳から教育したりね。補佐官っていうのは人間→ロボットへの試みで、去勢されて自分達をロボットだと思っている。そういう設定は面白いんだけど、淫乱の母と犯される息子とか、そういう構図だけあって、つまらんお家騒動に換骨奪胎されてる。これはいかん。母に犯される息子というのは究極の構図で、本作や「ラヴァーズ・キス」のように要素の一つとして軽々しく使うと逆に作品を軽々しくしてしまう気がする。とまわりみちして「少年魔法士」を誉めてみる。
王族の皇位争いは鬼門だなぁ。「青のメソポタミア」もそうだし「イズァローン伝説」「竜の眠る星」「花咲ける青少年」なんかも皇位争いの部分は破滅的につまらない。○○派とかいってバカみたい。「BASARA」のアサギは皇位云々が、ただ単に自分のレーゾンデートルに還元されていくので、とてもよいと思ったけど。イズァローンもまぁ、性別の問題とか運命の問題に絡めていたけど、空虚な設定だなって思えてしまった。支配することに抵抗する漫画が好きだから、王族云々とか、どうでもいいんだろうな。「BASARA」みたいな、王とは何かって漫画は素敵。