NANA10巻

以前と全く同じ事を繰り返すことになりますが。
私はこの漫画の先が気になる心理はわかりますが、そういったスキャンダラスな部分を省いたら根幹に残るであろうテーマが全く見えません。理解出来ないのです。
繰り返しになりますが、ひとつだけ言いたいことは、私の中のこの漫画の位置は週刊誌にとってのスキャンダルの位置と似ているってことです。私はこの漫画を週刊誌とか昼ドラとかワイドショー感覚でしか読めないし、もっとシンクロ出来ている人も多分同じように見ている部分は大きいのではないでしょうか。
だからこの漫画の中のマスコミっていうのは言うまでもなく矢沢あいと位置を同じくしていて、スキャンダルの製造機関になっていること、ナナの過去を詮索する行為はNANAの今後の展開を予想させようとするあのモノローグと似たようなものだってこと、ナナ死ね!って落書きは小松奈々氏ねって書きこむことと一緒だってことだけは考えてみてほしい。間違えてもマスコミのオヤジうざいとか大衆騒ぎすぎとか一方的に彼らを悪役にしないで、小松奈々の男遍歴やら妊娠結婚を“のぞき見”していたのは誰なのか、させていたのは誰なのかっていうのを考えてほしい。そう思います。
最近私は『キメラ漫画』と『告発漫画』が好きだと気付いたんですが(笑)、この漫画が間違ってもマスコミとか大衆心理を告発しているとは思えないんです。むしろその逆で、結局、のぞき見から目をそらすためにザ・ピーピング・トムズを悪役にしただけって印象。
なんで改めてこんなことを語るかというとプラネテスとイラク戦争を結び付けて語る人がいるのがちょっと衝撃で(苦笑)、プラネテスの戦争っていうのは大切な描写も何にもない『クソみたいな社会』の濃縮図でしかないんだけど、ちょっとそういった描写があると安易に告発に結び付けてしまうのがなんかやるせなかったんです。カラ告発。
あと単にこういう卑怯な構造が嫌いだからかなぁ…『トーマの心臓』のラストが卑怯だってのが私の持論だし。
 
最近マスコミの報道の自由について騒がれているけどこの漫画はその問題にはちっとも対応していない、“スキャンダルを追い求めるマスコミ”というスキャンダルだってことは考えてみてほしいです、それでも読むってなら止めないので。
 
職場に芸能界目指して上京してきた子がいるんですけど、彼氏が出来た途端芸能界の夢は消えて彼氏が就職したら結婚します♪と言いだして、その完成された少女っぷりにちょっと不快になったんですが、彼女は家でも

女「もーウザい!出てって!」
男「……わかったよ」
女「……何で出ていくのぉ?(涙)」
男「え、だってお前が出ていけって(涙声)」
女「嘘だよぉー!そんなに私のこと好きじゃないのぉー?(泣)」

と彼氏の愛を確かめる一人芝居をしているらしいです。そんな彼女が休憩室にあった『クッキー』を貪り読んでいるのを見た昨日は久しぶりに恐怖を感じました。
 
小松奈々が不幸になるのを見たいのに相変わらずみんなに愛されてて何でこんなん読んでるんだと思うくらい不快な一冊。