その5.抜け出さない男

さて、漸くメッタ切りする前に白状することがあります。わたくし、HYDEのソロを殆ど追っておりません。というかアルバムは家に二枚ともありますが、聞けないのですよ…。そんな中で一つだけ気になる歌はシングル曲のShallow Sleep*1。この曲は聴いた瞬間まずAs if in a dream改変だと思いました。歌詞がそっくりです。そしてこれは両方とも閉じ系ではあると思います*2
そんなこんなでやっと瞳の住人(歌詞全文)ですが、この曲を聞いた時最初に耳についた部分はここでした。

白く滲んだ 溜め息に知らされる季節を繰り返しながらふと思うのさ…なぜ僕はここに居るんだろう?

これにはまずWhat is love?と同じような疑問を感じました。「なぜ僕はここにいる?hydeにしては珍しい」と。

そばにいてずっと君の笑顔を見つめていたい/移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい
どこまでも穏やかな色彩に彩られた/一つの風景画の中寄り添うように時を止めて欲しい永遠に

こうして読んでいると何か病的なものすら感じてしまう歌詞だなとも思いました。
この曲の素晴らしいところは、このすべての伏線が最後に解き明かされる点です。私は最後の歌詞を読んで仰天し、また放心し、またそういった疑問が何もかも氷解するのを感じました。
 

そばにいてずっと君の笑顔を見つめていたい/移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい
いつの日か鮮やかな季節へと連れ出せたら/雪のように空に咲く花のもとへ…花のもとへ

一番適切な言葉は「ショック」でしょう。またそこに戻ったか、まだそこにいるのか、というショック。抜け出したら怒り、戻ってきても文句を言うのだからファンとは勝手なものです。が、あまりにも、瞳の住人は病的すぎる。
この詞の中ではいくつかの美しく悲しい対比を見ることが出来ます。

  • 数えきれない…でも少しの歳月―急ぎ足の明日―白く滲んだ 溜め息に知らされる季節―寄り添うように時を止めて欲しい永遠に―鮮やかな季節(時間関係)
  • 見上げれば色褪せず溢れていた輝き―どんな時も照らしてるあの太陽―どこまでも穏やかな色彩に彩られた一つの風景画―鮮やかな季節(景色関係)

ここで最も重要なのが最後の「鮮やかな季節」です。この鮮やかな季節とはいつの日か鮮やかな季節へと連れ出せたらという仮定系*3であり、同時に今彼らが鮮やかな季節の中にいないことを暗示します。その点をよくよく考えれば「白く滲んだ 溜め息に知らされる季節」という歌詞も理解できるでしょう。普通は息が白くなるか以外に幾らでも季節の移り変わりを知らせるものは幾らでもあります、外の世界には。それが溜め息であるというのも象徴的です。
どうでしょうか、私はこの歌にひどく閉じた世界を感じてならないのです。だからこそ彼は「外の空気に首輪を引かれ僕は背を向け」てしまうのではないでしょうか。
さて、鮮やかな季節というのはその1で説明した憧れキーワードでした。この曲ではそれが見事に提示されています。「見上げれば輝きに溢れている太陽」のようになりたいとはどういう状況なのか、考えてみるのも面白い。最後の「雪のように空に咲く花のもとへ」にも憧れとしての空が提示されています。しかし何より興味深いのはここです。

どこまでも穏やかな色彩に彩られた/一つの風景画の中寄り添うように時を止めて欲しい永遠に

この曲の中で描かれる色彩は全て外の世界のものです。彼らの世界にあるのは白く滲んだ溜息のみ。だからこそ彼は「君の笑顔を見つめていたい、移り行く瞬間をその瞳に住んでいたい」とまで言うのです。彼らの周りに移り行く瞬間を示すものは溜息しかなく、時は急ぎ足に彼らを置き去りにするばかり。だから彼は願うのです。「どこまでも穏やかな色彩に彩られた一つの風景画の中寄り添うように時を止めて欲しい永遠に」。
 
病的ですね。
 
勿論それがこの曲の魅力なのですが、最後のサビ(いつの日か〜)と違って風景画の中に焼付けられたいというのは、論理的には明確でも、何だか不思議な印象を受けます。
部屋よりも風景画の方がよっぽど閉じていると思うのです。
それでいいのでしょうか?
 
そう考えるとこのアルバムの最後の曲がDeep inside I go〜spirit dreams inside(深くへと僕は行くのさ、僕の中の魂が夢を見る)♪と歌っているのが急に怖く思えてくるから不思議です。

*1:浅い眠り淡く揺られ/あの日のように無邪気な君が/両手にあふれる安息を優しく奏で/そばにいる夢を見た

*2:窓の向こう風に吹かれ/切り取られた見慣れた街へ/駆け出して行く想いは何処かで君に/会えるような予感がして

*3:散々話して来ました