無垢の力―「少年」表象文学論

無垢の力―「少年」表象文学論
これには驚いた(笑)
 
やっぱり大学の周りの本屋には面白い本がいっぱいあるなぁと思った。家の近所の本屋では、平積みしてある本はビジネスマンや主婦を対象にしている。人文コーナーは、とても狭く少ない。漫画はまだマシで、魔法士とかスピカくらいまでなら置いてある。あとは私の行動範囲の問題で、銀座の本屋なんて未だにワンピースとNANAを全巻平積みしているような保守っぷりだから、あーともかくもっと前に知っておけばよかった!この新学期で死ぬほど読むべきモノがある時じゃなくって。
で、今まえがきを読み終えた状態でこれから読もうかなって思っているところです。何で読む前にレビューしているかというと、この本の題名からしてまず言っておくことがあるからです。後出しじゃんけんにならないように、最初に言っておきます。
 
確かに「無垢」と「少年」というのは私がここで突き詰めて来たモチーフではあるんだけど……私にとって「無垢」は両義的なものでしかないし(+に捉えられることが多いので、むしろ−面の糾弾をしてきたし)、「少年」というのは萩尾望都においてはむしろ無垢からの脱出・非少女のモチーフなんですよね。
だから扱っているテーマは同じなんだけれど、出している答えがどうも違うっぽい。という違和感が私に2520円(税込)を払わせたわけです。
まえがきでは指輪物語のフロドに触れて、美少年であり他人に攻撃しないフロドは、その非攻撃性を以って作中一番の理想的人物とされている、このファンタジーでは「戦うな」というメッセージを核に据えている、フロドは無垢という価値を持つ、という論旨の展開をしているのですが、映画版王の帰還ではそんな価値はちっとも描かれていないわけで。フロドの無垢は映画の中では扱い辛く、彼の自己犠牲の精神にも感情移入しにくい。また彼に圧し掛かった重荷やラストすらも観客は背負いきれないので、サムに焦点が当てられちゃう。
そんな感じで反論と異論の予感がヒシヒシする本です。
私はほんっとーに文学を読まないんですけれども、この本は文学を中心に組み立てられているので

  • 作者が無垢に対して肯定的なのは、それが文学の特質だからか(だから私は少女漫画派?)
  • それとも男性作家と女性作家の違いなのか?

が解りそうでワクワクしています。
 
ちなみに作者の高原英理さんは少女領域ISBN:4336041946前に書いていて、そのレビューによると

著者があまりにもフェミニズムの視点から少女を定義しすぎていて、うんざりする。すべての「素敵」が少女性により決定されるというのは、文学的に考えても行き過ぎのような気がする。

とのことなので、もしかしたら非少女の振りして無垢礼賛派の〈少女〉なのかも知れません。