感想

ええと、書評なんて書けっこないので感想という形にします。書評は週刊書評さんをご覧くださいまし。

序章 無垢の幻影
第1章 自己愛という不可能―折口信夫『口ぶえ』
第2章 弱くあることの権利―山崎俊夫『夕化粧』
第3章 憧憬の成立―江戸川乱歩『乱歩打明け話』
第4章 自己愛の破綻―江戸川乱歩『孤島の鬼』
第5章 断念の力―稲垣足穂少年愛の美学
第6章 不完全な青年―三島由紀夫仮面の告白』1
第7章 押し隠された少年―三島由紀夫仮面の告白』2
第8章 敗戦後日本の私設天皇三島由紀夫『英霊の声』
終章 憧憬の行方―乙女・耽美・客体性の魅惑

一応「少女領域」も借りてきましたが、こちらでは結婚を拒み少女であり続けようとする人物を抜き出しているようで、対称的な本だということが出来そうです。性別は違い、主人公達の行動も真逆ですが、基本的に自らのジェンダーに対する抵抗のような形をとっています。ただ、少年たちのほうは、抵抗というのは主体が要求されるものなので、あまり適切な言い方ではありません。
文章も綺麗だし(やや難解に思えるけれど)、とにかくいかにも私が好きそうなテーマで、とても面白かったです。購入当時の日記(id:lepantoh:20040412)にて「作者が無垢に対して肯定的なのは、それが文学の特質だからか(だから私は少女漫画派?) それとも男性作家と女性作家の違いなのか? が解りそうでワクワクしています。」と書きましたが、大きく分ければそれは後者だったということになります。どうでもいいですがフロドの話は本当にこじ付けっぽくて、いらないと思います。本書の中でそこだけ浮いていました。
 
上に抜き出した、「少年愛」「客体」「憧憬」というキーワードは一貫して使われていますが、第4章あたりからは変則的になってきます。第4章は『孤島の鬼』を例に、私が言うところの「無垢であろうとする人」の破綻した論理にも、きちんと触れてくださってますし、稲垣足穂の描いた「ジェンダー攪乱の文章」には度肝を抜かれました。そして『仮面の告白』では、もう少し複雑な――主人公は同一化へと到る憧憬を持つが、同性愛者と分類されアイデンティティを保持できない/そして憧憬の対称も、穢いとされた主体的男性である――展開を見せ、それが第8章『英霊の声』につながっていきます。8章では、天皇を「客体的な無垢」と考え、その天皇と軍人が「誠心」でつながる「軍人勅諭」の読解などが大変面白いです(引用)。

そのさいのルールとしては、「無垢」を自己のものとして語らないこと、それをひたすら天皇のものとして語ることだけだ。「無垢」の全てを天皇に差し出す。すると容易く「模範的な日本男性」の主体が獲得され、望むとおりの「男」になれる。同時に彼は天皇の無謬という論理の下で自身も無謬を手にすることが出来る。

ちなみに私はこの関係を、(何度か言ってきましたが)新選組!近藤勇土方歳三の関係とか、エドガーとメリーベル、アッシュと英二あたりに見たりしています。
 
ただ一つ残念なのは、最終章で24年組の作品と名前には触れられているけれど、それ以上の考察がないということです。嶽本野ばらなんかについては書いてあるんですけれど。というか高原さんが少女漫画を読んだかどうかもちょっと怪しいです(引用)。

とりわけ萩尾の『トーマの心臓』(75年)、竹宮の『風と木の歌』(77年)、木原の(以下略

!!  風と木の歌!!
竹宮ファンが見たら大喜びブチ切れするという誤植。ちなみに私はしません。
ええと、普段見に来ていない方のために言っておくと、ここは萩尾望都という、偉大な漫画家さんを誉めたりけなしたりしながら、そこにあるモチーフを検証していってるページです。萩尾望都というひとは、主体性の獲得の為にあがく主人公を書きます。それはわりかし『少女領域』に近いように思えます、が、実は彼女の主人公は少年です。さらに彼女は80年代になると初期の両性具有的な少年から進化して「普通の男の子なのに女性(のジェンダーやら)を押し付けられる男の子」を描きだします*1。事態は大きく混乱しているのがわかると思います。そんでもって、彼女の作品ではまた、ドバドバと無垢が死にます。大抵は無垢は少女・少女的です。あと山岸涼子なんかもそれに近いです。混乱しますね。
巻末にポンと名前を挙げるくらいなら、多分挙げないほうが良かったのではないかと思うくらいです。
 
ただし、他のメディアでの少年論というのは、とてもとてもわたしにとって、有効なものでした。高原さん。ありがとう。



まぁご本人のホームページも見つけてあるわけで。
アナベル・フィステ
メールアドレスまでのってるよどうしよう。

*1:『訪問者』『銀の三角『メッシュ』『マージナル』