自由への招待と拘束の正体

L’Arc〜en〜Cielのニューシングル『自由への招待ASIN:B0001ZX9D4たよ皆さん。ダイハツのMOVE CUSTOMのCM曲です知らない人のために言っとくと。復活してから三連続小川シングルと、ラルク大事な何かを切り捨ててしまった気もしますが、SMILEの中にも他にシングル向きの曲もなく、むしろ永遠とかいうなんで入ってるのかよくわからん曲まであったりして、むしろ今こそ変わらないクオリティで楽曲を提供してくれるおがわさまを素直に崇め奉ることにします。ああ、カップリングはいりませんけど。
さて本題。以前『瞳の住人をメッタ切りにして解体する試み』壱(リアルまで)弐(瞳の住人)という『瞳の住人』評を書いたことがあります。これは「白く滲んだ溜息に知らされる季節」という歌詞を中心に、「鮮やかな季節」から切り離された色のない閉じた空間を見出したもので、わたしはその閉じた空間からの逃避として絵画や瞳というもっと閉塞した空間を求めるのは「病的である」と評しました。また、前期に多い閉じた空間をモチーフにした作品*1とは別に、後期からは道をモチーフにした作品が多く見られること*2、REALでは謎の飛翔系が横行するなど、書ききれないくらい色々指摘していますが、その流れからいくと、個人的には
 
自由への招待?キミ自由とちゃうやん?
 
と、タイトルだけをみれば悪態をつきたくなるような感じでした。なんていったってREALの一人解脱の悪夢というトラウマがありますから。でもそれは早とちりでした。
この題名、フェイクです。
自由への招待』というのは、俺様神様ラルク様がみんなを自由の境地へ導いてやるぜ!という一昔前のロックバンド的幻想ではありません。どちらかというと、自由という名前のソーシャルネットワーキングサイトへのinviteをひたすら心待ちにして、メールボックスを何度も更新してしまうような隠れネットジャンキーの心境に似ています。[はい全文]
で、
アマゾンのレビューを見たんですが、個人的にはところどころ、違うんだよなぁ……と思ってしまいます。「ファンタジー路線からリアリズム路線へ」という点などには賛成するのですが、「陰がなくポジティブ」「ストレート」などの評には、やはり首をかしげてしまいます。「愛しい人に会えない時の葛藤」とありますが、「こんなにもそばにいても遠く」の歌詞(デジャヴがありますが)からその距離は物理的なものではないとわかる筈です。このような受け止められ方(というか、むしろ受け取ることの拒否)は、HONEYの受け止められ方を思い起こさせます。『瞳の住人』であれほど鬱な世界観を繰り広げて、次のシングルで『自由への招待』とは変わり身の早いことよ、とはならなかった、そのことを評価したい。
 
『自由への招待』=「いつの日か鮮やかな季節へと」
 
であり、結局歌は「今日こそは」とまたも仮定のまま終わっています。今日こそは、と今まで何度チャレンジしてきたのかわかりませんが、私は彼が「隙間を抜けて笑顔の彼方へ」いけるとは到底思えませんね(断言)。スティック糊付けのポジティブの裏にはピッタリとネガティブな状況が張り付いているのです。
今回の歌は「道系」の歌ですが、スイスイと道を行くイメージのDriver's HighやROUTE666より、虹やa silent letterあたりの困難さを伴った感じ――というよりは、もどかしい心情とシンクロさせるための「渋滞」やら「喧騒」で、飛翔系の対極にある、なかなか好感がもてる道系でした。好意的に解釈すれば、今回の最大の謎謎の押韻も、そのような隙間のない拘束感を表すメロの歌詞に適しているとも言えるのではないでしょうか。
ちょっと誉めすぎましたがそんな感じで今回のシングルはとても素敵でした。
あ、カップリング以外。

*1:Shutting from the Sky、Voice、As if in a dream、White Feathers、静かの海で、風に消えないで、flower、THE GOHST IN MY ROOM、a silent letterあたりね

*2:虹、HONEY、Driver's High、It's the end、ROUTE 666あたり