結局そういうふうにしか人と関われない人びと、というナイフ

で作品を切り取れないか。と急に思い立ったので、それから急遽上を考えたのだった。
それが、突然のひらめきで、「そういうふうにしか人と関われない人かどうか」になってもいいのではないか、と思ったわけである。
 
そういわれてまず思い浮かぶのがゼーンだ。ゼーンは5巻のカルノより幼い、多分。人を殺すことでしか人を救えないと思っている。人を殺すことでしか人と関われない。あぎともそうだ。人を喰う事でしか人と関われない。アークもそうだ。勇吹を憎んで、闘争の果てに自分を殺されることでしか人と関われない。人を傷つけることでしか人と関われない人々は、味方とも敵ともつかない存在として、作中に繰り返し現れる。カルノはそこを脱却している。レヴィも。勇吹は元々そういったところがない。レイ・ジーンはちょっと特殊だけどそういうところがない。和馬さんは不器用だけど上記には該当しない。
一方、愚鈍な集団の代表、リチャード・ハイマンはまた騎士団の犬としてしか人に関われない。また、アンヌは逆に何枚もの仮面を持ちながらも、アンヌとしての自分を肯定せず、マリアとして生きる。

ゼーン、あぎと、アークは人類を救うために穢れる道を選んだ。なのにハイマンは自ら清く正しい道を選び、愚鈍であることで真実を見ようとしない。アンヌは穢れた自分を否定するために火にくべられた自分の妹として自己を規定する。
 
 
、、、そか!
やっぱり「美しさ」をめぐる話だったのか!
 
様は「世の中の、人の汚い部分を肯定し、〈少女〉を脱却するのだ!」という少女漫画伝統のアレですな!ちょっと見えてきたかも。「結局そういうふうにしか人と関われないようにされた人々が、特定の方法で人と関わることを選んだ、自分を異端に貶めた愚鈍で幸せな集団の犠牲となりながら、彼らを救うものがたり?????」