マゾヒズムの発見、二面性の肯定 神坂智子『T・E・ロレンス』

To T.E. 我汝を愛す――
とロレンスのファンなら誰もがわかる一文から初めてみたけれど、こんなにも純粋に史実の人物を愛したのは初めてだ。トマス・エドワード・ロレンスが愛しくて仕方ない。しかし、それは彼自身の著作によってでももちろんあるが、神坂智子なしでは実現し得ない愛だ。全世界にいる疎外感を感じている異端児が、その本棚に入れておくべき超傑作。去年推薦した図書の一冊も買わなくってもこの四冊だけは手に入れて欲しい。捲るページ全てで泣ける漫画に、初めて出会った。
というわけで、昨年末出会ったロレンス関連を忘れないうちに吐き出してみる。以下は神坂版へのレビューだから、一部史実と違う部分も含まれている。史実に関してはその都度インフォームしつつ、基本的には漫画の描写を追っていくことにする。

  • 開始5ページ目から、マゾ

一読しただけでは読み飛ばしてしまったが、ロレンスの幼少期から始まるこの話は、開始直後からあからさまにロレンスの被虐嗜好を描いている。このようなセクシュアリティの問題においては、それが遺伝的なものか環境によるものかというのがまず問題となるわけだが、神坂智子はそれをロレンスの生育環境に見出だす。ロレンスは自らが私生児であるという出生の事実を17歳頃に知ったと考えられているが(つまり骨折以降)、漫画ではそれよりも以前だとされている。幼いロレンスが掌の甲のうえでワラの燃えるのを楽しむのは、母セアラの背徳への懺悔を耳にしながらだった。

ロレンスはハイスクール時代から自らの被虐嗜好を自覚し、またそれを、戒律で自らを縛り付けた母の所為だとも感じている。しかしホモセクシュアルであることに対しての自覚は、それにかなり遅れる。カレッジのプロムで女性と踊らなかった事などから、母への反発からくる女性嫌悪はあったのだろうが、卒論執筆旅行でベドウィンに強姦されたのが最初の男性経験だったために彼は被虐嗜好に対しても同性愛に対しても一度心を閉ざしてしまう。このように、「アンチモラル、反規律としてのマゾ」を享受するロレンスは、英国モラルとマゾヒズムの間で何度も揺れ動く。一方同性愛に関しては、あくまで消去方的な愛であり、同性二しかない物を求めて積極的に同性を愛するというよりは女性性を忌避しているという点で、私の基準としては非常に少女漫画的である。
アラブでハムディという挑戦的な作業頭に魅かれた際は、彼の恩師ホガース*1との間で揺れる。ホガースは決して頭が固いわけではないのだが、同性愛者だと知られることにはためらいが隠せないロレンスを見兼ねて、ハムディは彼らの面前でその事実を暴露し、わざとホガースを切り離すことで、ロレンスは彼のアラブ生活において最も幸せな時期を手に入れることになる。この前後が俗に言うカルケミッシュ時代で、発掘作業に携わったこの時期を神坂ロレンスはその後懐かしく回想することになる。ハムディはアラブ独立を目指し行動しているため、ロレンスを利用するばかりであまり気に掛けてはいない。ロレンスはそれを苦痛と感じながらも、同時にその距離感に心地良さを感じている。

殺してやろうかアラブ人 わざとやったな

その後、第一次世界大戦が始まりロレンスはイギリスへの帰国を余儀なくされるが、いてもたってもいられずアラブ入りを目指し、一路カイロへ向かう。しかしそこで3年間も足止めを喰らう事になり、アラブ局が設立されるまで地図局などで働いていた。ようやくファイサルに面会したロレンスは、彼を支援しアラブ独立に手を貸すことになる。しかしそれはハムディと夢を共有していたためではない。確かに彼はハムディのことばかり気に掛けてはいるのだが、彼とT.E.は似ても似つかない人物だ。では何のために戦うのか?――それは当のロレンスすらも疑わない疑問である。ハムディの言うところの「犯されつづけている」アラブを見て、その独立を願わない者の方が稀ではないか――。トルコ軍に性的虐待を受けるデラア事件まで、彼はそう思っていた。
そうではなくても彼の理想と現実はほど遠かった。アラブ独立のために粉骨砕身しているイギリス人の傍らで、アラブは略奪品と金のことしか考えない。砂漠ではどんな思念も焼け付いてしまうのだろう――と考えるしかない。そうやって身体では、種族ごとに喧嘩ばかりするアラブを仲裁し、頭では次の戦略を練り、口でははっきりとしない約束をしてその場を凌ぐ――。彼は自分が目指していたアラブ独立と真実の間で苦悩し、さらに自分を裏切った「三枚舌外交」の英国との間で苦悩することになる*2。アラブ反乱を止めないために、ロレンスはイギリス人としてアラブには嘘をつき続け、またアラビアのロレンスとしてイギリスに楯突かなくてはならなかった。
そんな時にデラア事件が起こる。彼はトルコの将兵に性的な暴行を受ける。その屈辱の裏に、かれは快楽を感じてしまう。そして彼はこう定義する、アラブとは攻撃的であり、粗野だが犯され続けてきた国だ。欧州のモラルは通用せず、ここでは男は男と交わることも普通だ――アラブとは僕のことだ、僕はアラブを利用して英国のモラリスト共に自分を認めさせたかっただけだ、と。彼は、英国的なモラルが染み付いていることを否応なく認識する異国の地で、そこから逃げられない自分、そしてその事に快楽を感じてしまう自分をも認識し、彼の混乱は頂点に達する。
そして彼は除隊を申し出る。

僕は内も外も内乱状態……

  • ロレンスの嘘、母の欺瞞――女なんていらない、世界

ロレンスの母セアラ厳格なカルヴィン教徒であったことは史実で、神坂は彼女は厳格な規範において常に苦しめられていたと解釈した。なぜならトマス・チャップマンは雇われる立場であった家庭教師のセアラと不倫していたからだ。しかしセアラは5人もの子を産んだ。何故か?ロレンスはそれが母の欺瞞であったと知る。彼女は戒律を破ってトマスと寝る快楽に取り付かれているのだと、ロレンスは定義する。そしてそのマゾヒズムを肯定することで、自分と母の決定的な違いを生み出そうとする。彼女は自分たちの子を「罪の子」にすることで、口では「不道徳なわたし」を演じていながら神様のモラルにべったりと寄り添っている。よってT・Eは神なぞいらぬという。そしてダフームという無垢を獲得しておくことで、自らの清潔さを捨てる。
しかしその試みは彼がひどく母の価値観に染まっているかという証しでもある。神などいらぬと言えど、ひとたび神から離れるとひどい苦痛と絶望を彼が襲う。アッラーを奉じる人々と行動しながらも、彼はイスラム教徒にもアラブにもなれない。神の存在すらも彼にとっては苦悩の元でしかない。「神よ――僕はもう生きていることが苦痛です」とロレンスは繰り返す。そしてマゾヒズム行為において、彼の瞼を掠めるのはあの日の母の痴態だった。
映画『アラビアのロレンス』も女性の出てこない映画として有名だが、『T・E・ロレンス』においても女性の登場は意識的に避けられている。例えば地図局においてロレンスが「ガーティ」と愛称で呼んでいた(ロレンスは基本的にFirst Nameで人を呼んだ)ガートルード・ベルが一緒に働いていた筈なのだが、彼女の存在はバッサリカットされている。彼女は森薫『エマ』状態のヴィクトリア朝に、社交界デビューするも頭が良すぎて3年間誰にも求婚されなかったという屈辱を味わった。この人物像なんかはウィングスの購買層の自意識にバッチリマッチすると思うのだが、女性という選択肢が出てくる時点でおそらくこの物語は成立しないのだ。アラブ社会での女性は、主に惨殺死体でのご登場となる。
それを補強するかのように、実際は婚約者がいた弟のウィルも母の正体を盗み見た女性嫌悪者として描かれている。ちなみにその女性にロレンスも求婚したらしい。史実ってザンコク(笑)。

神よ……神よ……僕はもう生きていることが苦痛です
生きていることは苦しみです ――神よ

  • 「醜い英国人」を描け!魔術的な転換を描け!

そんな神坂版に一つだけケチをつけるとしたら、やはりロレンスの低身長、短足といった身体的なコンプレックスをはっきりと言語化しなかったという点だろうか。イギリスにおいては明らかに規格外である彼の外見容貌を、アラブは物珍しい目で見つめ、その白い肌に惹かれ、神聖なものとして崇めすらする。つまり、少女漫画が一般的にトランス・ジェンダー、トランス・ヴェスタイトで起こそうとした、高原英理のいうところの「立場の魔術的な転換」を、ロレンスの場合トランス・ボーダーで実現したということなのだ。しかし、彼の身体のアラブ社会における価値――もちろん性的対象として――は描かれるが、イギリス社会においてのコンプレックスは描かれていないため、その点はぼんやりとした印象になったしまっている。
T.E.は決して美しくはない。その眼光の鋭さ、どこからどうみても才気を感じる機知満ち溢れる顔つきは賞賛に値するが、彼のInferior Complexをもう少し描いても良かったのではないかというのが本音だ。

  • TO T.E. I LOVED YOU, and I STILL LOVE YOU

というわけで、この作品に出会ってから"The Mint"(RAF*3時代の著作)以外は一応すべての著作に目を通し、時代背景や歴史とともにロレンス文献を漁りまくった。ロレンスの卒論『クルセイダー・キャッスルズ 十字軍の城郭』まで読んだ(笑)。ロレンスの手書き文字やスケッチが沢山収録されているのだけれど、城郭っていっても結構つまらない四角い石造りの建物だったりして、本当に十字軍ヲタだったんだなァと微笑ましく思った。『知恵の七柱』はナナハシラと読むらしいがナナチューとセカチュー気分で読んでいる。これは訳がいただけない。そもそも「TO S.A. 我汝を愛す」自体が間違い。I LOVED YOUであって、でなくてはならない、現在形では今は冷めたアラブへの気持ちをちっとも表していないからだ。よって、「S.A.に捧ぐ 私は君を愛した」が正しい。
そんな感じで、色々とロレンスに関して読んでみたけれど、神坂版がやっぱり一番好きだしハマる。少女漫画ではマゾヒズムは割と描かれているんだけど、はっきりとマゾだと肯定する人は珍しいし、二面性に揺れることを執拗に描き続ける。私たち読者としては、英国−アラブの間で、モラリスト−マゾヒストの間で、母−同性愛の間で、そして神−自分の間で何度も板ばさみになってボロボロになるロレンスの、壮絶な苦悩を目の当たりにして「もうそんなに苦しまないで。それでいいんだよ」と肯定する側に回るという貴重な経験ができる(普段肯定してもらってばっかりだからね)。
だから、T・E・ロレンスは私の中でいつまでも汚く美しいのだと思う。

T・E・ロレンス (1) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (1) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (2) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (2) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (3) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (3) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (4) (ウィングス・コミック文庫)

T・E・ロレンス (4) (ウィングス・コミック文庫)

*1:神坂版ではホーガスと誤記されている

*2:ハシム家によるアラブ王国(含パレスチナ)(1915フセイン−マクマホン協定)を約束し、ロレンスらはそれに基づいて行動しているのだが、その裏でオスマン帝国の領土を仏露英で山分けし、パレスチナは英に(1918サイクス−ピコ密約協定)という密約を結んでいた。更にユダヤ王国をパレスチナに創るから、(1917バルフォア宣言)とユダヤ世界に金銭援助を受ける。イスラムの聖地でもあるエルサレムを奪回した時には、既にこの条約は結ばれていた

*3:ランス・アームストロングファウンデーションじゃなくてロイヤルエアフォース帝国空軍です。そういえばランスとシェリ破局だそうで、ようやくあのシェリルのダサい音楽をiTunesから消せます