今さら人に聞けない『DEATH NOTE』の話――ネタバレなしレビューに挑戦!

りんごしかたべない

一応完成。ネタバレはあくまで私の基準で「ありません」。100%ネタバレがないことを保障するものではありません。また物語の構造について云々と書き綴っていますので嫌いな方は注意。
銀魂ネウロデスノとジャンプの話ばっかりしている少女漫画読みlepantohです、こんにちは、はじめまして。
DEATH NOTE デスノート(1) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (2) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (3) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (4) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (5) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (6) (ジャンプ・コミックス) DEATH NOTE (7) (ジャンプ・コミックス)
デスノ第1部(=7巻まで)読み終わったのでレビューしようと思う。こういう息もつけないサスペンスは、全巻出てから大人買いで一気に読むべきだと思っていたのだけど、レビュワーの墓場mixiにおいてコミュニティ画像で第1部のラストをネタバレされ、さらに映画化と、もう読まないでいるメリットはほとんどないと考え、新刊で購入。今月の購入物はこの7+銀魂+古本2+雑誌3で13冊、今年の購入物は63+漫画関連雑誌2冊。
というわけで、このレビューの読み手には、普段漫画を読むんだけど訳あってデスノートをまだ読んでいない人を想定している。ネタバレは極力避ける方針だけど、主人公とライバルの探偵の関係の変化には、私がネタバレだと思わない少しだけ触れるので、それすら嫌だという人は次の一章だけ読んで帰ってもらうしかない。キャラクターの名前も、ストーリーの初期から出てくる人しか言及しないようにする。でも、多分読んだ事あるひとの方が、この記事を楽しめるとも思う。
もうlepantohの長文には飽き飽きしたという人はまとめへGO!自分が一番orzしてます……
ちなみに、デスノート系のキーワードは、よく纏まっているがネタバレが多いので注意。
 

まだ読んでいないなら、『デスノート』は「買い」

何を当たり前なことを、というかも知れないけれど、私としては『NANA』『のだめカンタービレ』は「買わんくてよし」なので、はっきり明言しておこう。デスノートは面白い。
簡単なあらすじを紹介してみる。主人公・夜神月(やがみライト)は全国模試1位の頭脳明晰・容姿端麗な高3生。ある日、校庭に落ちていた人を殺せるノートを拾い、それによって世界の犯罪者を殺して理想郷を建設しようとする。一方、世界一の探偵ながら誰もその名・姿を知らないL(エル)はパソコンのモニター越しの指令で月を追い詰めようとする――。大場つぐみによるシナリオは浮き沈みが激しいが、ノリノリの時の爆発力は物凄く、アラも目立たない。小畑健も、相変わらずの作画の素晴らしさに、ライト・Lの造形&表情で作品の魅力を作り出している。
具体的にlepantoh的ジャンプで一番面白い漫画HUNTER×HUNTERに例えてみると、G.I.編くらい面白い。それも、ヨークシン>ハンター試験>G.I.≧キメラアント>天空闘技場>ゾルディック家とした上でのG.I.編くらい。「ワンピースで例えてよ!」という人には、とにかく「いやデスノの前にハンタ嫁」と言うしかない。
シナリオの浮き沈みに少し言及すると(軽くネタバレか?)1,2巻もそうだが、何より3,4巻が段違いに面白い。そこでダメだったら切り捨ててヤフオクにでも出せばいい。ところが5巻で急激に失速する。そして6,7巻でそれなりに盛り返し、第1部は終了する。
 

「非ジャンプ的」な悪人主人公の、限りなく「ジャンプ的」な欲望

まず最初に、私はジャンプの漫画にそこまで詳しくはないので、間違いがあったら言ってほしい。
ジャンプのヒーローが持つ3つの属性は「バカ」「身長が高くない」「髪の毛の色が、日本人的な黒かアウトサイダーを示す変な色(赤・銀・金)」の3つだ。もちろん桜木花道は背が高いけれど、大抵この法則は当てはまる。このコンプレックス要素は主に共感のために用意されたものだと考える。少女漫画でいう、バカ・ドジ・ペチャパイみたいなものだ。そして、それをおそらく意図的に裏返したのが、デスノートの主人公ライトだ。
頭脳は模試で全国1位。身長も低くはない。髪の毛はなんと茶髪。むしろ少女漫画の憧れのヒーロー像に近い。ペンギン☆ブラザーズみたいなもんだ。しかも1人称が「僕」だ。一般的なオレ派かアウトサイダー的な拙者(緋村剣心)・ワシ(太公望)・我が輩(ネウロ)は良く見るが、「僕」は珍しい*1
それに対して、ライトのライバルであるLはクセのある容姿・立ち振る舞いが特徴だ。「見た目のレヴェル」では、この二人はあるべき見た目を丁度転換した形になっている。よろずや東海道本舗みたいなもんだ、って何故さっきから誰も知らない少女漫画を?
こう並べると、夜神月の「規格外」な「普通さ」は、計算された故のものなのかと考えたくなる。ところがある意味で、夜神月はとても「ジャンプ的*2」でもある。それはライトの「ネタ的」にしか見えない思想――「僕は新世界の神になる」だ。私は、月のやっていることが完全に悪いとは思わないけれど、この思想だけは死んでも受け入れられない。そう思って、1巻では完全に拒絶反応を示してしまった。だが後に、この漫画ではそのことが大して重要ではないと気がついて、ますます胸中は複雑になった。
 

ヒーローどもの動機のなさ、その描写のなさはジャンプクオリティなのか

でもキラ それはきっとおもしろくない仕事よ 神でさえ退屈してヘビをこさえたのよ

上の文章はデスノからではなく、佐藤史生『ワン・ゼロ』3巻のエミーのセリフから採ったもの(キラというのはデスノートを持った処刑人の通称)。1巻のタイトルが『退屈』であったことからも、ライトは何らかのスリルを求めてデスノートを使用していることは読み取れる。しかし彼はそれを「神による裁き」と規定する。これは少女漫画読みには「???」な描写である。
これをジャンプ的と規定することには異議があるかも知れない。だがこの「力だけではなく権力を、アウトサイダーから正当な系統の後継者を!」という流れは何なのだ――つまり、「海賊王に俺はなる!(ONE PIECE)」「オレが火影になるってばよ!(NARUTO)」に続く、「僕は新世界の神になる」という動機づけだ。ただし、これは『さて次の企画は』さんのコレ(ネタバレなので未読者注意)なんかを読むと、本当はLの側こそが重要で*3、ライトはその鏡像として便宜的に描かれているだけなのかなとも思う。そうとでも考えないと、この「自分は○○になる」という理論・そしてそれに対する詰めの甘さという2重の謎にしっくりとした回答は与えられない。
百歩譲って「怪物」であるうずまきナルト君が火影になりたいのは解る。だがモンキー・D・ルフィは、とにかく自分がしたいことと作品内での目標がかち合わない、主体と作品が一致しないキャラクターとして描かれている(ノジコの回想話を聞かないがナミの島を助ける/レストランには興味がないが雑用を抜け出すため戦う/国なぞどうでもいいが国を救う)ため、海賊王になりたいと言われてもしっくり来ない(それが作品の目的とは思えない、てかひとつなぎの大秘宝って何?)。そしてライトの場合、その思想・動機に基づいて行動している筈なのに、作品はそれを描くことを目的としない。あくまでライト=キラとL側の心理サスペンスを目的としており、ライトの行動の是非については全く問われない。何故なのだろう。
キラが現れたことで、犯罪率は下がっている。ややネタバレなのでこちらに記すが、*4という事実もある。読者を反キラの側に誘導するために、キラ=ライト側の思惑は極力隠しているのかも知れないが、それならライトを主人公に据えたことから考えなおさなくてはならない。結果的に、この作品は思想戦を避けて通っているようにしか見えない。私がLなら、キラのおかしな哲学をこそ否定し、言及しただろう。そうすることで、キラの動揺も誘える。Lはキラのお陰で犯罪率が下がったことに何故言及しないのか。言及して、その効果を認めた上で、キラの論理を叩きのめし、キラを追えばいいじゃないか。
そうして私は一つの結論に辿り着かざるを得ない――動機などどうでもいいのだ、「何かになる」という「行動」こそが重要なのだ、と。だとしたら、これ程馬鹿げた話はない。少女漫画界にいたら100万回焼かれても仕方ないくらいのクソバカとしか言いようがない。
たとえば荒川弘鋼の錬金術師』が、その「戦う理由」と「目的への切実さ」を持って大衆に受け入れられたと評されるように、少年漫画にもそれなりの深みと動機があっていい筈だ。なのにそこを回避し、表面的な理由だけを付与する。これが反ワンピース・ナルトとしての行為なのか、それともジャンプという媒体上深遠な描写を避けたのかによって私の評価はがらりと変わる。前者ならまだわかるが*5、後者ならどうしようもない。
 
多分私は、ライトが「僕は死んでもいいが、みすみす捕まるつもりもない。この世から少しでも悲しみを減らしたい。僕のしたことが間違いだろうが、僕なりの幸せな世界を作りたい。」という思想の元で同じ行動をしていたら、ライトを支持していたと思う。私は子供の頃から我が家のアンヌ様に否定され続けて育ったので、自分の周りにあるもの、そして自分をほとんど肯定できるような理論を漫画を通じて作り上げたわけだが、夜神月は薄皮一枚のところで、私にとって希少な最後の「悪」であり「否定されるべき対象」である。今一番面白い漫画『少年魔法士』で、「神になりたい」なぞといったら、あんたユーハ?と読者には嘲笑され、作者には殺されるのがオチだ。よって私はこのバカな衝動に名をつけよう、「ユーハ症候群」と。既に手中に十分な力を持ちながら、“何かになりたい”という主人公共に唾を吐け!
 

世界との戦いではなく、個人との戦い――モノローグ対決

大抵の少年漫画において、まず個人のエピソードから始まり、段々と仲間を集め、冒険の場が広がり、国家を相手どり、世界を相手どり、星を相手どり、宇宙を相手どるというスケールアップの仕方は常套である(ONE PIECEではついにルフィが世界に宣戦布告したそうです)。デスノートにおいては、まず世界を相手どるが、次にキラ=ライトのいる地域の警察と、そして最終的にはLとのタイマン、一騎打ちとなる。こういう収束の仕方は珍しい。しかしこの漫画はタイマンになってからが圧倒的に面白いのも事実。それもこれもモノローグという技法のお陰だ。二人が何を考えてどう行動するか、その駆け引きが最高に面白くドラマチック。展開によって月のモノローグがほぼゼロまで落ち込むと、物語は急につまらなくなる。そこで月のモノローグを過剰に入れても良かったと思うのは私だけか。
 

過程[プロセス]のない暴力 脳裏にちらつく和月伸宏冨樫義博

去年、『武装錬金』が打ち切りを喰らった事で、和月伸宏に関する文章がネットに散見され、興味深く読んでいた。この場合和月さんは小畑健尾田栄一郎を繋ぐ糸なわけだけど、そこは私にはまだ上手くまとめられない。ただ、私にとっては空知英秋銀魂』の主人公・坂田銀時のプロトタイプは『るろうに剣心』の緋村剣心にしか思えないわけで、「和月伸宏は終わった」んじゃなくって、和月の描いたヒーローはもう別の人に受け継がれてるんだと思う。かといえども誰も明神弥彦的和月伸宏少年漫画哲学(笑顔とハッピーエンドが基本)を体現したような主人公なんてもう誰も望んでなくって、和月が差し出した非暴力の志向みたいなのだけがだら〜んと銀魂に流れてる。太公望も合わせて瘋癲3人組と名づけよう。彼らはおそらく意識的に暴力を忌避している。
ドラゴンボール』はこれまた「ネタ」としか思えない程に(何もかもがネタ化されてしまうのが購読部数の多い雑誌の性か)無自覚に暴力的な漫画だった。私は冨樫義博から漫画を読み始めたクチで、暴力的であることにはそれなりに自覚的だったとは思う。それをさらに確信犯的に推し進めたのが『ハンター×ハンター』と『デスノート』か。しかし、その割にデスノートでは名前を書くだけで人が殺せてしまい、言ってみれば「ゲーム的」にも感じる。一方冨樫義博は『幽☆遊☆白書』『レベルE』『ハンター×ハンター』の3作すべてでゲームを現実世界に移植するネタを使っている。この差異は何か。
また、不殺のモットーを和月から引きついで王道暴力冒険漫画を書き上げた尾田栄一郎の位置づけは。ここら辺は頭の中に「父さん!妖気です!」レーダーが立っているだけで言語化不可能。たちけて。
 

実は”L”すら薄い、しかし”L”はかわいい

軽くネタバレかもしれない。
そして、これだけのモノローグ主体漫画でありながら、登場人物の中で心の交流が全く行われない漫画でもある。ただ軽くネタバレするけど、反転:Lだけは違う。一人でやってきたのに他の人との交流で自分のペースがどんどん崩され、そのことで彼は過剰に甘いものを摂取し出す。コミュニケーションが最も下手な男ひとりが、その中で翻弄される。
”L”の存在をどう読み解くかは第2部まで読まないと解らない。だけど、いくら浅すぎる、ネタ的すぎるといってもライトには確固としてあった思想すら、Lは持たない。彼は不思議なほどにキラによる治安の回復に言及しないし、何故キラを悪だと思い、自分を正義だと思い、キラを捕まえようとするのかハッキリと明言しない。
Lは知性の象徴だ。逆に言えばそうとしか読み取る事ができない。彼の周りの人間への配慮のなさは、そのまま彼の「天才であるが故の欠陥」と読み替えられてしまう。彼の特異な立ち振る舞いも、「天才であるが故のズレ」と読み替えられてしまう。彼は天才だが、それ以上でもそれ以下でもない。それ以外にLの人間性に言及する方法は全くない。壮絶な個性で打ち消されているが意外とLの内面描写は薄っぺらかったりする。ストーリーをちゃっちゃと進める為だろうけども。
しかし死ぬほど可愛い。お前、絶対、前世は猫だっただろ的可愛さがある。だから許す。
 

まとめ

いつものことですが自分の短く纏める能力のなさにこっちがビックリだわァァァ!!です。
まとめると、デスノートはモノローグと対話による心理戦をスリリングに描く面白いサスペンスです。とりわけ特徴的なのは、ダークな非ジャンプ的イケメン主人公ライトと、正義の側ながら見た目が暗い探偵Lの2人の駆け引きに物語が収束されることです。この二人は見た目を入れ替えた方がしっくり来る気がするところがミソで、計算を感じます。
しかし、展開のテンポを優先するが故にいくつかの描写に物足りなさを感じます。とりわけライトの殺人の動機、「僕は新世界の神になる」はLがしっかりと否定し、対軸を示すべきでした。心理サスペンスにおいて思想の部分に文句をつけるのがナンセンスだということをわたしはハッキリと承知しています*6。それでも私は、ネタ化する前にあえてそれを否定します。なぜならその考え方は「ジャンプ的」方程式、力を持った者による「自分は○○になる」という“肯定されるべき地位”への希求でしかありません。ライトが善悪を含み併せる存在であり、それを読者が肯定、享受、消費している以上、ライトの自己の正当性・正統性への執着は自らが暴力的であることの隠蔽と正当化でしかないのです。そもそもノートで人を殺せるなんて設定自体が無自覚に暴力的であることを助長しかねないのに、この漫画ではその思想が議論の的にならないので、なおいけません。それが、少年漫画誌掲載の所為だからかどうかは解りませんが。
ま、そういった矛盾点を含めて面白いです。
lepantohはジョジョを読んでないので、ジョルノとかギャングスターという単語がこれにどう関わるのかいまいち解っておりません。あと、やたらネウロで来る人が多いから言っておくけど(今週の展開が面白かったのか?私ジャンプ買ったことないよゴメンネ)、「暴力的」で「過程」を重視し、だけど「動機」にはちっとも注目しないことに言及しているそんなネウロが好き。lepantohは2006年『魔人探偵脳噛ネウロ』を推しています。
 
 
 

「肯定」をめぐって――ユーハ症候群について少女漫画と比較でもしてみるか(読み飛ばし可)

少女漫画っていうのは、自己の肯定のためにある、と断定してみる。
これはそもそも橋本治が『花咲くのキンピラゴボウ』で乙女ちっく漫画の陸奥A子を「自分がブスでドジでダメだと思っている女の子が憧れの男の子に、『そんなキミが好き』だと言われて安心する話」と語ったことから来ている。あのよしながふみも、「女の子を全面的に100%肯定するものだよね、どんな種類の漫画でも。あなたそのままでいいのよ、って」といっている。その通りだと思う。ただ、少女漫画の場合、「自己の肯定」が常に、常に、常に、他人から与えられる一方的なものでしかなかったことが問題だった(乙女ちっく漫画、フツーの少女漫画に限った話ではない。萩尾望都でいうなら『トーマの心臓』のオスカー=キリストによるユーリの肯定、『訪問者』でいう父グスターフによるオスカーの否定、『メッシュ』における母マルセリーナによるメッシュの否定にあたる)。他者からの肯定を求めなくてはいけない永久輪廻を主体的に抜け出すヒントは少年漫画にある、と私は思っていたし、実際野火ノビタ榎本ナリコによる『幽遊白書』の躯(←なぜか変換できない ムクロ)への思いいれ・肯定は、そういった意味合いを多く含むものだった*7。でも今は、それは冨樫義博というある一人の天才によってもたらされただけで、少年漫画自体にはその機能を見出すのは難しいとすら思ってしまった。幽遊白書の同人誌を9年間描いていたなるしまゆりは『少年魔法士』で、やっぱり髪の毛の悪魔サムソンを食べることで醜く・汚く落ちても「自分」を勝ち取るカルノ・グィノーを描いていて、絶対ここには繋がりがあると踏んでいるんだけど、少年魔法士的理論は多分「自分は○○」になる、を否定する。
オトコノコにとっては主体性もレゾンデートルもまァオンナノコに比べれば既得権益みたいなモンだと思う。それを発揮するのがバトルか。なんであんたらは戦うのか。そんでもって何かになりたがるのか。
なんか自分で言っててわけわかんなくなってきました。
足掻け私。

作品名(主観) 敵対者 敵対者表 敵対者裏 主人公表 主人公裏
ワンピ(健全) 世界政府>海軍  「正義」  腐敗  海賊  不殺(善)
ナルト(健全)  暁  悪  悪  狐憑  善
ハンタ(非健全)  キメラアント  ゴルドー  人喰い・人殺し  純粋で単純一途  フリーク=怪物
デスノ(非健全)  L>警察>世界  奇怪変人  善良知的  真面目で純粋  極悪
魔法士(分類不能  人王アーク  狂王子  狂人  悪魔憑き  光
  • 健全に暴力的な漫画は主人公に悪の属性(海賊・狐憑き)を与えるが内面は善である
  • 非健全的な暴力漫画*8では主人公に最低限の無垢性が確保してある――しかしそれはハンタにおいて作品がどこまでも狂い暴走する為のお膳立て・前提条件にすぎない――逆にデスノートでは主人公は明らかに闇側なのが作者・読者共に解っている、私たちはそれを楽しんでいる――なのに主人公側に罪の意識がちっともない――そのことで逆に夜神月は私の中で悪役になっている
  • 自己反駁「なぜ火影になるのは良くて海賊王と新世界の神はダメなのか」ナルトは狐が憑いた所為で犠牲を出したり、誰にも認められなかったりした過去がある、よって「公的に認められた後継者」になる動機は理解できる――しかしルフィは赤髪のシャンクスとの一件以前から海賊に憧れており、その動機は明確ではない、あの漫画全体を通して彼の動機は作品のそれと一致しない――ワンピースが何なのか、海賊王が何なのかわからない――彼は十分に強く、周りから“肯定”されなくてはいけない理由など見当たらない――夜神月に到ってはいうまでもない――権力は確実に人を腐らせる、人は神にはなれない
  • 敵対者が善良なのはデスノートだけだ――ということは、主人公と追撃者の立場をわざと転換させたということか?

*1:ジョジョとか言うなよ!読んでないから。

*2:ジャンプ的というのは私が他の週刊少年漫画誌を読まないことから便宜上つけられた名前

*3:あくまで継承をキーワードにするとね

*4:6巻において、ライトがキラの裁きの基準に触れる部分(pp.77-79)がある。そこでは、殺人を犯したものでも情状酌量の余地がある場合などは裁かないという基準が明確に示されるが、なぜそれを1巻でやらないのか。6巻というのは遅すぎる

*5:その場合Lの存在に光を見出す事が出来るから、ネタバレするけど反転:後継というのは本当はL側こそ重要なのだという話になれば、アンチ・ユーハ症候群として読み解けるかも知れない

*6:風と木の詩』の名台詞な。

*7:躯は性的玩具から抜け出すために自ら硫酸を被って、醜くなることで自由になった

*8:その線引きは誰がするのか?と思うけども