とてもとても苦手 木原敏江『アンジェリク』

私だめなんですよこういう作品の目的(伝えたいこと)と作品の本質(魅力・面白み)が全然合致していない漫画。代表的な例でいえば『ONE PIECE』の国を救う物語とルフィの「国は知らねェ」っていう態度のすれ違いで、もちろんルフィは360度回転してなんだか格好良いんだけど、たて続けに国救いの話になったのでアバラスタやエネルのあたりでとっても食傷気味になってしまったのです。
それで木原敏江さんはまだまだ勉強中なので、変なこと言っていたらゴメンナサイ。例えば木原さんの最新作『杖と翼』を面白くよませていただいたんだけど、そういう噛み合わなさみたいなのは気になっていたわけで。この話はフランス革命後の、革命派の貴族を主人公に据えているんだけど、その子が、義理の父親の国であり身分制度がまだ残るドイツから革命後のフランスに忍び込んで、平民のイケメンとドイツに一旦帰るシーンがあるわけです。そこで主人公とイケメンは正装をしてドイツの貴族のパーティーに出て、みんなにちやほやされるのだけど、主人公は内心では「私は革命派なのよ!このお金を民衆のためにつかうべきだわ」とか思っちゃってる。そこで私は一読者として、「そんなこと言いつつ、ドレスが書きたかったんでしょ? みんなにちやほやされる美しい二人が書きたかったんでしょ?」というのを感じ取ってしまう。パーティーを描くのは構わないわけです。やっぱりぼろっちい布を纏って潜伏しているユリウス*1よりも、きらびやかに突進して散るオスカル様*2の方が魅力的ですもんね。でもそこでへんてこな心の声を入れて、中途半端に責任回避しているところがなんだか気に喰わない。「やっぱり私はパーティーにも快楽を感じてしまう人間なのだわ。ごめんなさい民衆さん」とか思っていてくれたほうがなんか救われる民衆としては。
それを私が過去ログで「バランス感覚がいい」みたいな書き方をして誉めも貶しもしなかったのは、私が萩尾望都の大ファンで、萩尾さんの倫理観?みたいなのにどっぷり染まっており、かつそれを内省的に批判していたからなのですが、というのは、萩尾さんの描く女の人って本当に魅力がない。いーっつも時代遅れのヒラヒラした服を着ていてどうしようもなく〈少女〉。もちろん作中ではそれは批判的に描き出されることが多いのだけども、彼女自身のそういった少女趣味と自立心の折り合わなさみたいなのを感じることがあって、萩尾がパンツスタイルできびきび働く女の人が描けないのなら*3、ヒラヒラした服で特攻していく木原敏江ヒロインのほうが魅力的だなぁと思うことはある。
だけどやっぱり苦手は苦手なんだとこの作品を読んで私ははっきりと理解しました。
アンジェリク』に感じる違和感というのは、誤解を恐れずに言えば(少女漫画が信望する)モノガミーの所為です。『アンジェリク』そのものの面白さは、3人のイケメンに愛されちゃって困っちんぐ、というところにあるのに、主人公はそれぞれを愛しながらも結局一人のひととしか結ばれてはいけないと思っている。ならなぜ君は旦那がある身で帰ってきたジョフレのところに駆け寄って口づけしたのだね。ひっぱたいたろか。
そしてここでも中途半端に言い訳していて、いわく「田舎出身で、両親につつましく一人だけを愛するように言われて育ちました」。問題は君に1ピコグラムのつつましさをも感じないことだよアンジェリク。殴ったろか。
たとえば代表作の『摩利と新吾』にも私はいい顔をしなかったのだけど、少年愛的な世界観や関係性を麗しいものとして描き出すくせに、結局それを達成しないところがとてもフラストレーティングだったから。新吾が頑なにヘテロで、もうそれはどうしようもないくらいヘテロで、まぁそれは性志向だから仕方ないと思って見ていたし*4、新吾くんがそこらへんの花町で筆おろししてきたのに(!)*5、摩利のことが好きだとクチではいいつつ摩利とは寝れないとかゆー意味不明な倫理観(もはや倫理観という言葉が適切かどうかすらわからない)にも「こういうものなのだろうな」と思おうとしたんだけども、その努力すら今や馬鹿馬鹿しいのです。基本的にこの作家さんと、描き出そうとするものにたいしてのアプローチの仕方が合わないのだとようやっと気付けました。今まで24年組が好きといってましたが返上したほうがいいかも知れません。
まとめると、イケメンのあいだで振り回されるなら全員とつきあってしまえばいいじゃんとか思いました、な1冊。

*1:オルフェウスの窓』の主人公ね

*2:ベルサイユのばら』の主人公ね

*3:そしてすべてを少年に託すのなら

*4:実際『カリフォルニア物語』のヒースに、イーヴと寝てやればよかったのになんて私は死んでもいいませんよ

*5:わたしの倫理観からすれば、当時の時代を考えてもこれだけは絶対にありえないものすごい裏切りだと思ったのですが