祝・7カァン! それでも『魔人探偵脳噛ネウロ』のライバルが怪盗Xでなければならない理由

lepantoh2006-08-29



※偶然朝目新聞さんが特集を組んでくださっていたのでご紹介。
http://asame4.web.infoseek.co.jp/neuovaf.html


それで、今回の犯人も脳噛ネウロだったわけですが。

魔人探偵脳噛ネウロ 7 (ジャンプコミックス)

魔人探偵脳噛ネウロ 7 (ジャンプコミックス)

太臓もて王サーガ』をつまらないという人に本気で反論しかけてしまうlepantohですこんにちは。


さて、少し前、私が最も好きな漫画のひとつである『魔人探偵脳噛ネウロ』の7巻が、ついに発売されました! ネウロファンにとって7は神聖な数字。少し前までは打ち切りにビクビクしておりましたが(人気投票の結果発表がカラーではなく、かつ三途の川=こち亀を超えた掲載順位だったためファンを愕然とさせた)、今や6巻での「終了の心配はない」発言や巻末コメント「今回のシリーズは長くなる」、さらには打ち切りサバイバルレーススレでのネウロはみえる、太臓異常に人気という関係者の口コミからも最近はめっきり安心モード。100万部突破したり、ドラマCD化も決定、さらにはなんと公式サイト開設予定地までちゃんとできちゃったという、良いこと続きです。……何だかこの先悪いことが起こりそうで不安です。



さて、ネウロの感想は色々と書いていますが、たまに昔書いたものを読み返すと、いつも自分自身「こいつ、全然ネウロ読めてねぇな」と思うことが良くあります。正確には、とても多くの読み解き方を出来るので、その時々の気分によって変わってしまうんでしょうね。で、今のブームは「魔人探偵脳噛ネウロの犯人は魔人探偵脳噛ネウロである」なワケです。いくらネウロが毒殺女に無関心を決め込もうと、犯罪者たちはいつも、どこかネウロと同じ論理を以ってして罪を犯すのです。人の表情を加工する竹田といつも犯人に恐怖を与えるネウロ。食に対してのこだわりを持つ至朗田と究極の謎を喰べることを目的とするネウロ。人の脳を揺さぶるアヤ・エイジアと人の脳をいじくるネウロ。ぶっちゃけられないと主張するヒステリアと目立たないため裏おもての顔を使い分けるネウロ。異文化交流で優越感を味わうライスに「下等な者と一緒にいる優越感なら我が輩もよく理解できるぞ」といってしまうネウロ。理想の上司を目指す早坂に奴隷を従える主人として対抗するネウロ。髪の神を自認する噛み切り美容師には「我が輩も貴様と同じで頭から生まれるものを刈っている」と言わせ、最新刊でも、頭に“枝”を示しながら「誰がどっから生まれたかなんて本来どーでもいい」という犯人を見て、弥子は「ネウロと同じようなことを……」と感想を漏らすのです。
私は最初、この漫画は動機になど拘らないのだと思っていましたが、それは大きな間違いでした。今や『魔人探偵脳噛ネウロ』という作品にとって、動機の有無や如何は非常に大きな主題となっています。いえ、むしろ最初、その存在を前提としていない地点からスタートしたことで、動機がどのようなものであるかではなく動機が存在するか否かという再帰的なレベルで話を進めることを可能にしています。
そして、犯人たちがことごとく自分であるため、ネウロは彼ら犯人たちの論理を否定しません。いえ、時にはそれを肯定しているようにすらみえます。それでも、どんなに彼らが自分と近い論理で動いていても、ネウロは彼らの脳を弄り、打ちのめし、破壊します。それゆえ、『魔人探偵脳噛ネウロ』は善悪の境界がなくなってしまっているといわれるのです。


さて、ここで少し前の話に戻ります。「少し前までは打ち切りにビクビクしていた」話に。そう、私たち読者を打ち切りかとビクビクさせたのは他でもないX編でした。サイ編が始まったころのみならず、終わってなお数週間は掲載順位が15あたりを前後することが多く(一般にアンケは6週〜8週後に反映されるといわれています)、さらにまだコミックスでは発表されていない人気投票でも、なんと犯人気投票の方ですら4位という体たらく。私は大好きなのに、あんなに脱いでるのに、サイたんはことごとく人気がないようです。さみしい。
それでもネウロのライバルはサイでなくてはならないのです。たぶん。
なぜなら、怪盗Xは犯人たちのなかで唯一、積極的にネウロと同じであることに価値を見出すだからです。犯人たちを悪いと断罪はしない/できないのに、犯人たちを破壊するネウロがもたらす倫理の崩壊を喰い止める可能性を唯一持っているのが彼です。彼は「観察」を通し、他人と自分の共通点を探すことで自分の正体を探していることが明らかになりました。自分と最も近い生物であるからこそネウロを殺す、と宣言する彼をネウロは破壊しません。彼の悪意こそが究極の謎を生み出す土壌になると信じているからです。それでもおそらく、ラストには彼との対決が待ち構え、そこでなんらかの結末が示されることでしょう。そして、ネウロがサイを倒すにしろ、逆にサイを生かすにしろ、それはネウロに、いえ『魔人探偵脳噛ネウロ』になんらかの変革を要求します。サイを破壊すれば、それは「自分がネウロであると気付いていない犯人」を壊すのと違い、彼の論理の否定、彼の倫理の転向を意味するからです。サイを生かすのであれば、せっかく今まで築いてきた彼の行動の一貫性が失われてしまいます。


私は「この漫画は動機になど拘らないのだと思っていましたが、それは大きな間違いでした。」と述べました。そしておそらく、倫理や善悪に関しても、このままではいかないのではないかと疑っているのです。私は何も倫理的に正しくあれとか人殺しはよくないとか言うのではありません(わたしは当然のこととして、作品の中においては倫理や殺人を許容します)。ただ、<バレ>今現在の春川編が動機そのものの有無を問うていること、そして彼がまたネウロと同じ「生きること」を目標としている点を考えても、ネウロという作品がこの混沌をいつか抜け出して、「善悪とは何か」という前提への疑問を作品としてのメッセージとして投げかけるであろうことは想像に難くない、とも思うわけです。きっとそれは普通良しとされるものとは違っているかも知れませんが。


まあ、それ以上に、ネウロはドS魔人という設定ながら、最近の松井先生を見ていると、「魔人なんだからいくら撃っても死なないじゃん?」という真理すぎる真理の名の下にネウロさんを虐めているようにしか見えないので、実はネウロが散々クチにする「進化の可能性」は、本当はネウロにこそ適用されるのではないかな?とか思っているのです。


好きすぎてレビュー書くのに時間がかかった1冊。