英語が話せる・書ける・読めるようになるための3つの能力

私も、誰もが経験する、今度こそ英語を勉強するぞという意気込み→空回りのループを繰り返した末、ようやく英語が話せるようになったひとりです。ラジオ講座だの参考書だのを無駄に買っては、ほとんど触りもせず箪笥の肥しにし、その癖して英語が話せることに憧れてばかりいましたが、本気を出してみると半年で英語が出来るようになりました。学生なので暇だった、というのもあるんですが。そこで、最近、英語の勉強法を良く見かけるのと、私自身もたまたま英語を使う機会が増えてきたので、英語学習を通じて得た自分の英語哲学、みたいなのをまとめてみたいと思います。

■「英語が出来る」とはどういうことなのでしょう

私の初期の敗因は、“英語が出来るようになりたい”という漠然としたあこがれの所為でした。2年前にロンドンに行ったとき、英語があまり話せなくて悔しかったことから再び勉強を始めましたが、そのときには「会話がしたい」と方向性を定めていました。
そうしていく中で、3ヶ月ほどすると英語に関する考えがまとまり、方針を立てるのに役立ちました。参考までにご紹介します。
私にとってみれば、英語が“できる”ようになるための基準は3つしかありません。それは、Fluency(流暢さ)、accuracy(正確さ)、そしてVocabulary(語彙)です。
この分類は自分の中でとても役に立ちました。では、個別に説明していきましょう。

■Fluency(流暢さ)というカテゴリが画期的なわけ

私が最も自信がある能力がこれです。この考え方は主にスピーキングに関連します。もちろん、文章を早く書く、本をすばやく読む、などの能力にも関連するでしょう。
私はこの概念を、いくつかの勉強カテゴリを統合するものとして想定しています。その代表的なものは「リスニング」でしょう。何やねんリスニングって。リスニングは出来て、相手が何を言っているか分かっても、何も答えられない人を私はごまんと知ってます、冗談抜きで。リスニングは単体では何の意味もなしません。最低限は必要ですが。
それと「発音」。私だって発音が良くなりたくって発音本とか買ったりしました。何が発音じゃ。これまた単体では何の意味もなしません。発音は綺麗なのに話させてみると日本人丸出しな人を3人ほど知っています、冗談抜きで。理由は2つ。ひとつは回答のペースが恐ろしく遅い。もう一つはイントネーションが悪い。たとえば、話すときいちいち語尾が上がってしまう人がとても多いです。「発音」に比べてなぜか市民権が薄い「イントネーション」ですが、私は同じくらい大事だと考えています。
そして、何といっても流暢さの中核をなすのが「発話」です。よく聞く“英語が話せるようになる”というフレーズは、曖昧で私は好きではありません。話せるようになっても会話できるとは限らないじゃん。で、英語を「発話」できるようになるポイント、それは短文のストックにあると思っています。
重要なのはFluencyは学校では全然教えてくれないということです。どうやったらテンポよく会話のキャッチボールが出来るか。正しいイントネーションとは何か。難しい構文を使わず平易な文を繋げてスラスラと話す方法。わからなかったときに質問する方法。こういうのが色々と積み重なってFluencyを構成し、「英語で会話できるようになる」わけです。

■Accuracy(正確さ)はまず関係代名詞・時制・仮定法から身に付けよう

次がAccuracy。Grammerとの概念の違いは、グラマー(文法)がインプットを目的としたものであるのに対し、正確さはあくまでアウトプットに表れるものであることです。また、この考え方はライティング、およびスピーキングに関連します。
文法、といわれても広すぎてなんだかわからないですよね。そこでアウトプットに絞って覚えましょう。とりあえず五文系は意外と役に立ちます。そして、関係代名詞、時制の一致と仮定法くらい身につければ何とかなるんじゃないでしょーか(適当)。仮定法はとにかく文章を覚える。一日5文くらい仮定法の文章を頭の中で作ってみる。
いや、でも私も最早、仮定法現在とか、一部の倒置法とか自信ありません。全く使わないんだもの。

■Vocabulary(語彙)は記憶力と努力の世界

DUO 3.0
はっきりいって全く自信がないのがボキャブです。
どれくらい自信がないかというと、DUO 3.0という有名な教材があるのですが、これを半分しかやってません。いや、これを全部やるとTOEIC760点レベルとか書いてあった気がしますが、全部やらなくてもそれくらいは取れます。全部やっても、上の二つを無視してボキャブだけやっている人は取れません。実際、DUO半分しかやってないけどTOEIC Aランクまで行った〜とか言ったら2chのDUOスレでネタ扱いされました。多分ボキャブサイズは(最近とんと計ってませんが)5000くらいしかありません。
英語の文章を読みたくてリーディングを極めたい人には、アキュラシーとボキャブは大事です。私は記憶力が良くないので、半分やるのでも、かなり努力を要しました。

■全てを極めなくても英語は話せるようになる

さて、なぜこのような考え方をするようになったかというと、現在の参考本や勉強本のカテゴリーにおとなしく従っていても、「英語ができる」ようにはならないと感じたからです。リスニング、発音、文法、単語、読解……よく見る5つの参考書のタイプですが、それを全て極めたからといって英語が話せるようになるとは限らないでしょう。しかし、それゆえ私はこの考え方で、英語に付きまとう完璧主義からの脱却を目指しました。たとえば、いまだに単語の意味がわからないことがしょっちゅうありますが、単語の意味が分からなかったときの質問方法だけは、恐ろしいまでに何種類もスラスラ出てきます。私はいまだにthの発音が出来ないですが、その分をイントネーションでカヴァーすることだって可能です。
さて、なぜそのように何種類も質問を覚えたりイントネーションを正すことに私がこだわったかというと、それが私の適性だったからです。私は音を覚えるのが得意で、絶対音感があります(簡単な和音程度しかわかりませんが……)。そこで、英語は音から入りました。

■言っとくけどものっすごい才能の世界です

勉強が才能かどうかは知りませんが、語学習得に関しては才能はとても関係あります。残念ながら。いや残念じゃない。
要は自分の才能に見合った勉強法を採っているか否かです。これ超重要。もちろん最低限の努力は必要です。
たとえば杉村太郎

TOEICテスト900点・TOEFLテスト250点への王道 (Diamond basic)

TOEICテスト900点・TOEFLテスト250点への王道 (Diamond basic)

太郎は胡散臭くて熱くてウザイのは、この際置いておいてください。私は、この本の中からいくつか参考になるヒントを得ました。その中でも面白かったのが、「勉強には興味がないが、どうやったら効率よく英語を学べるか、という勉強法には興味があることに気付いた」という一連の記述でした。「勉強法を追求するのは全然苦にならない、むしろ楽しい」という杉村氏の本を読んでいると、この人ある意味、勉強法を試していたら、気がついたら勉強してた的な人だなぁ、と思わされました。すごい。これはすごいですよ。その結果として3ヶ月という1人タイムアタックはするわ、本を出して自分の勉強法を曝け出すわという行動が生まれてくるわけです。これはもう才能でしょ。勉強法を追求する才能。
というわけで、このエントリにたどり着いたということは、何かしらそういう趣味をお持ちのはずなのです。だってここは「はてな」でしょ。アンテナで偏執狂的ストーカーを楽しんだり、はてブで最新トレンドの皮を被ったマニアックな話題に変なタグつけたり、人力検索で知ったかぶりを披露したい人が集まる「はてな」でしょ!(違う)
ヲチが好きなら英語学習ブログを探して読むとか、日記書いているならサブアカにひたすらその日覚えた一文を記録していくとか、杉村氏みたいな指向があるなら勉強法ブログを立ち上げちゃうとか、そういう風にして勉強のアウトプットを目的化しちゃうと良いかもしれませんよ。半年後には人力検索の英語ネタにいの一番に答えているあなたを想像してください。
なんだかネタっぽくなってきたけど、実際私は英語学習ブログ書いてました(なぜなら知の喜びで超ハイテンションになれるから)。あと、ウェブでアウトプットこそしなかったけど、英語が出来るようになってから言語学の方に進んで自分なりの語学哲学を構築したり(なぜならそういう風に悶悶考えるのが大好きだから)、理論とか論理とか矛盾とかを知って分かった気になったりしました(なぜならこの世の全てが論理で説明できないと嫌な性格だから)。英語の能力は3つだけなのだ理論を考えていたら気付いたら勉強してました。たのしーたのしーので、いくらでも出来る。ここらへんの才能を自分で自覚すると、勉強が楽になります。
ちなみに「語学の才能」という意味なら、英語の単位落としたことがある私にはありません。ていうか多分そんな才能はこの世には存在しないんだ。あったとしても気にしてはいけません。羨ましいのは「語学が好きという才能」。これは友人にいるので存在を確認しました。裏山だけど仕方ない。語学は嫌いだけどそれによって成し得る事は好きです。

■「才能」の次に来るのは「興味」です

「努力する才能」はあっても、さすがに「興味持つ才能」はないと思います。興味はみんなが持っているものだとして先に進みます。
やっぱり興味がないと長続きしません。英語そのものに関する興味なんてちっともいりませんが、英語を使って何かをする気にならなくちゃ難しいです。
私の場合、ミュージカル好きで海外ゴシップオタでロードレースのファン、旅行も好きで国際的な経験を積みたかったし、海外ドラマも好き、日本のマスコミはイマイチだから海外メディアも参照したい、みたいな「興味」がありました。そりゃあ現実では「学術論文読むのに必要で……」みたいな「要請」もありましたが、自発的でないものはこのさい無視。その興味を英語と絡めて代替・拡張・利用していくことができると長続きすると思います。
「英語が出来るようになったら○○するのに」をテクノロジーを駆使して今から始めちゃいましょう。たとえば「映画を字幕なしで見るのに」は、字幕なしなんて無謀なこと考えないで(ケイ素とか臨界点とか言われてわかるわけない)、英語字幕つきでバンバン見ちゃえ。

■というわけで、自分なりの勉強観・勉強法を確立するとスピード習得できますよという話でした

長くなったので半分くらいで〆。気が向いたら、次回は自分の勉強法や英語にまつわる話をしようと思います。
→追記:書きました 半年で英語が話せるようになった私の勉強法(ついでにTOEIC Aランクも実現)