猫の病状について

lepantoh2007-06-16



ここ数日、お猫様(10歳)の具合が悪いことでバタバタしておりました。病院に連れて行ったところ、腎不全という老猫によくある病気だと判ったのですが、原因不明の発熱があり、こちらの所為で少し具合が悪そうです。腎不全の数値自体はそんなに悲観的でもないとは思っています(BUN68ほどですが、悪い猫は100越えます。正常値は36まで)が、熱も相まって食欲がないので心配です。とりあえず、好物のささみだけは食べるのですが、リンや高タンパクで良くはないようで、しかし給餌をやめるとまたこれも脂肪肝になり良くないとのこと。自宅で輸液といって皮下点滴もします。これも、嫌がったり、人間側の不慣れがあって上手くいかなかったりします。今のところ毎日朝晩で、BUNが下がれば数日おきになるはずなのですが……。毎朝これを平日にやるのは、結構負担な気がします(もちろん頑張りたいです)。


具合が悪くなってから、病院の結果が出るまでは心配で心配で、定時が過ぎてオフィスの廊下で電話しながら涙してしまいました。それから色々ネットなどを調べていると、もっともっと悪い数値で、痙攣や嘔吐を併発しても回復して元気に(治ってはいなくても)過ごしている猫もいると知り、希望が見えたことで落ち着くことができました。もちろん、すぐにお亡くなりになってしまう猫もいるようで、油断は禁物なのですが(でもわたしは知っての通りのRent-Headで、そう考えることであまり悲観的にならないようにしようとしています)。


猫の具合が悪くなってから、自分にとっての猫の存在の大きさというのを改めて感じさせられました。ちょっとした親戚よりももっと身近で、むしろ家族よりも心配する度合いは高かったかも知れません。ただし悲しいことに、わたしの持論に人間は変化量に左右される動物だ、というのがあり、猫が病気であることにも、一晩ですっかり慣れてしまいました。病院に行く日は、それまで起こっていた悩みや嫌なことなんて、猫の健康に比べれば全然大したことじゃあなくって、猫が不健康でいるうちには、わたしは一瞬たりとも幸福ではおれないのだ、これは絶対で、不変の感情で、猫はわたしにとって、圧倒的なものなのだ、と思いました。しかし、一晩寝てみると、自分がしっかりしなくては、という気持ち、これ以上傷ついてはいけない、というガード、さまざまな要因で、結局わたしは普段どおり暮らしてしまっています。


わたしは元々「死」に対する親和性が高いというか、あまり忌避や嫌悪を感じるものでもないので、とりあえず後悔しないように毎日を暮したいなあとだけは思いました。猫は独立しつつ可愛らしいのでわたしにとっていつも最良のパートナーであり、お手本なのです。