本日、猊下記念日につき

どこでしょう。

こんなところを見に来てくださる皆様は死に掛け日記マニアさまですか。


かつてない惨状になっておりますが、本日のみは更新しなくてはならないだろうと思い立ち、キーボードを叩いておる次第です。
まず、率直に言えばわたしは活動の場所をどこかに移したり、はてなに飽きたのではなく、ほとんど漫画の批評から離れて暮らしております。卒論のフォルダを最後に開いてから(つまり印刷屋に提出してから)、ついに半年が経ちました。わたしは現在就職しており(古い漫画が好きなことから、もともと勤め人だと誤解される節がありましたが、わたしはずっと学生でした)、そのためにインターネットそのものにあまり接触しなくなっています。漫画を読む量も半分ほどに減っています。そして、評論に関しては、意識的に距離を置いているといわざるを得ません。ただし、漫画雑誌だけは継続して講読しており、その中にはもちろん『ウィングス』が入っていることは言うまでもありません。


さて、猊下ことわたくしが愛を捧げるレヴィ・ディブラン(蛆虫、羽虫)様について検索で来られる方も多いようなのでひとこと。わたしはここ1年ほど少し盛り上がりを欠いた展開に興ざめ気味でありましたが、先々月発売の6月号を読んで自分の中では納得がいきました。また、作者の日記で1巻からなんども読み返し、7巻以上に雑誌収録と単行本が異なるかもしれないとの旨報告があり、わたしはそれをとても好ましいことだと思っています。
わたしの好きな作家さんは寡作であるか原稿を落とすことが多く(萩尾望都大先生を除く)、いつもやきもきした思いをしているのですが、それでもそのことが彼らの評価に全くもって影響しないのは、わたし自身が何も生み出すことの出来ない人間だからです。わたしは生涯に一度だけ、課題で小説の真似事をしましたが、それはある作品の作中にでてくるあらすじに肉付けをしただけのもので、タイトルまで一緒でした(今考えると同人誌のようです――当時からそういう行為があまり好きではなく、二度と創作の真似事はしませんでしたが)。わたしは読むのも観るのも批評や解説の方が好きで、そちら側に進もうとしたのですが、唯一話の筋が通っている卒論はついに未完のまま提出されました。そしてその後もそのファイルを開く勇気がありません。理由に挙げられるのは、当時の病的な状況に立ち戻りたくないこと、誤字や脱字を発見して後悔したくないこと、常にその思考だけに縛られて物事を捉えるのが苦痛であること、自分のパーソナルな部分が込められ過ぎていてあまりの醜さに吐き気を催すこと、そしてその吐き気を愛せと主張していることへの矛盾、その矛盾を愛せと主張していることへの葛藤が立ち込めてきて、自分の容量をオーバーしてしまうことです。このような心情は「甘え」であって「怠惰」として発露することは良く知っています。そのためにわたしは書くことから逃げ就職したのです。


だからこそわたしは表現者の偉大さにいつも圧倒され、少しぐらいの遅滞なら許してしまうのだと思います。実際わたしは冨樫義博ハンター×ハンター23巻』がとても好きで、松岡農水相の死・年金問題以降すっかり忘れ去られましたが、あの凶悪犯罪が連続した時期にはいつもそのことを思っていました。この話はいつかするとして、それでもわたしは描いてくれたことに感謝してしまうのです。


※そうそう、『ゴールデン・デイズ』は相変わらず、とても正統な――というよりは、持つべきものを持って生まれた――少年愛のものがたりです。最新巻にはわたしの言いたいことがすべて描いてあり、自分の卑小さと作家の底力を痛感しました。今月号も最高でした。ぜひご一読を。