グレッグ・イーガン『TAP』
- 作者: グレッグイーガン,山岸真
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/12/02
- メディア: 単行本
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ある種の課題図書として読み進めていた、イーガン久々の翻訳書『TAP』表題作「TAP」が、すこぶる奇妙だった。
そもそもこの本は、「奇想コレクション」として出版されたのが頷けるような、不思議系の作品ばかり収録されているのであるが、イーガンのファン層が、ブラッドベリ的「センス・オブ・ワンダー」に支えられたファンタジックSF(とか、断言していいんだろうか)を支持する人々と真っ向から対峙する、「ゴリッゴリのハードSFファン」によって成り立っているということを考えると、本書は大いに批判を浴びている気もする。私もインターネットで『TAP』の感想を数十は読んだが、絶賛しているものはもちろんなく、「こんな感じなのかなぁ」、と数行でお茶を濁すものが多かった。
訳者の山岸氏も、そのあたりの隔絶には留意しているようで、巻末には大槻ケンジのトンデモな勘違い―「貸金庫」を読んでハードSFではないことに怒ってイーガンを断念した―を引いてまで、読者にSFの読み方の差異を教授しようとする。その丁寧さには頭が下がるが、とりわけ日本で圧倒的な人気を誇り、作者HPで無料で公開されている数編をなおも翻訳されることを待ち望んでいる「ニホンのイーガンファン」に向けては、ある程度の説明が必要だったのも事実だろう。なお、念のため言い添えておくと、ハードSFというのはストーリーが科学的/化学的/数学的/または、その他ありとあらゆる論理と数字に準拠していると看做されるストーリーのことを言うそうである。というか、この文章ではそういうことにしておいてください。
しかしながら、私は、問題は表題作「TAP」が「ハードSF」でなかったことではなく、「ハードSF」になろうとしなかったこと、「ハードSF」を敢えて目指さなかったことが気にかかって仕方ないのである。
「TAP」は、ミズ・オコナーという1児を持つ母であり私設探偵が、TAPという言語チップを脳に埋め込み、最高のTAP詩人と謳われながら死亡した老女の死因を探ろうとする物語である。
詩人の娘は、彼女の母を死に至らしめた心筋梗塞は、〈死の言葉*1〉によってもたらされたに違いない、と主張する。「TAP」使用者は、1語にて、周りの情景を描写し、「スキャン」または「プレイ」したこれまたTAP使用者の五感を呼び起こすことができる。その機能を使えば、決して「プレイ」してはいけない単語を作り上げ、そのことを考え続けることで脳内物質を異常分泌させることができるのではないか、という推測だ。
つまるところ、ここまでは完全なる、愛すべきゴリゴリのハード・サイエンス・フィクションなのである。
しかし、結局詩人は〈死の言葉〉によって死亡したのではなかった。彼女は初期規格品にあるアップデート用プログラムのクラックを突かれただけであり、こんなチャチな仕掛けでは、到底「ハードSF」になるには及ばないのである。その発見に至るまで、主人公ミズ・オコナーは容疑者の小学校教師に会うためPTA会議に潜入し、町中の電話に盗聴器を仕掛け、泥臭い探偵仕事を見せ付けてくれるが、これが大して面白くない。〈言葉〉が人を殺す、というアイディアが持つインパクトに比べて、圧倒的に見劣りのするプロセス、そしてそこから導き出された退屈な真実は、この物語が科学や技術ではなく、むしろ“信仰”や“信念”に関する物語であることを見抜かなければ、評価するのは大変に難しいであろう。
TAPの帯にはこのように書いてある。
密室の老詩人は〈死の言葉〉に殺された!?
殺人事件の究明を以来された私立探偵が、捜査の果てに知る事実とは……変わりゆく世界、ほろ苦い新現実――
この帯に提示されるとおり、彼女は死の言葉によって殺されたのではなく、変わりゆく世界とほろ苦い新現実から、少しでも長い間人類を守るために殺された、というのが作品のオチとなっている。
老詩人の死は、TAP頭(TAPをインストールした、TAP盲信者たち)によって起こされた、生後3ヶ月になったわが子にTAPをインストールする権利を与えるよう求める訴訟に対抗するために故意に起こされた殺人事件だった。そしてそれを起こした男性に連れられ、ミズ・オコナーは見たくなかった新現実に対面することを余儀なくされる――TAP開発者のひとりが、自らの娘に施したTAPインプラントの結果。8歳そこいらの少女があまりにも聡明な口調で語る、彼女自身とTAPのこと。もちろん、賢くあること、多くを知っていることそれ自体は悪いことではない。しかし少女はミズ・オコナーに告げる。「なぜなら、この人たちの病をあらわす単語も見つかったから。私は、権力愛を表す単語を見つけたから」。彼女は何が彼女をTAP頭にしたかを理解している――TAPを信じない頭で。TAPは信仰であり、TAPを植えつけることは洗礼であるが、少女はTAPとともに生きる以外の道がないにも関わらず、TAPを全肯定しているわけではない。しかし、人類はこれから、TAPと共に鬱屈して生きるか、TAPなしで盲目的に生きるかを決めなくてはならないのだ。その選択がミズ・オコナーに手渡されたところで、本編は終わる。
グレッグ・イーガン『TAP』は、とても退屈なプロセスを経て、ようやく第一歩にたどり着く怪作であった。なお、カウチに座って読了することをお勧めする。
*1:デス・ワード