私は考えているのか?

以前晒された時、「あなたの文はどこかで見聞きしていいと思ったものをつぎはぎしているだけで自分で考えたことなんてないでしょう。だから面白くない」と言われた。文体は違っているだろうがたぶんそのようなことを言われたのだ。その言葉はそっくり返してやりたいと思ったのだが、今まで覚えてきたということはまた図星でもあったのろう。私は今心を80%以上萩尾望都に占められているというなんとも閉鎖的かつマニアックな状態にあり、萩尾がいなければ自分と向き合うことがなかった。自分と(電車の中で)向き合った結果がこのHPなのだから、私は自分で考えるきっかけを持たなかったという点はあたっているのかも知れない。しかしながら一方で、私の文章を哲学的、フェミニスティックという人がいるのならば、私はフロイトにも上野千鶴子にも直接的・自発的に触れたことがない以上、それは私個人がきっかけとなるいくつかの事象を契機に、対象となるいくつかの事象――たとえば恋コスメ――について「考えていた」ということにもなろう。
そもそも私は超人でも天才でもなくまだ若輩の(そう、これは免罪符だ)女であるのだから、自分の社会的セクシャリティについて疑問を抱くことは不思議ではない。私の態度に非が認められるとしたら、そういうことに疑問を抱かない同世代の人々を心のどこかで軽視しているということだろう。