そもそもオリジナルな考えなど存在しないのではないか?

「僕の文章は引用が多くて自分の考えがあるのだろうかと自分で思うことがある。みんな誰かの借り物でないかと…。

 ところが、よく考えてみると、本当に自分で考えを初めて考えた人というのはいない。その前に誰かが似たことを考えている。小説家も音楽家もそれまでの小説や音楽を体験せずに作ることはありえない。孤高の作家というのはありえない。モーツアルトだって当時の音楽を十分吸収した上で天才を示しているのであって、屹立した音楽家ではない。

 オリジナルと思っているものが既にコピーだという状況がありうる。」
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/language/semiotics.htmlより引用)
最近もしかして記号論ってとっても私好みの学問じゃないかと思い始めている。「ディスコンラクション」や「シュミラークル」などの思想は、私が近頃考えていた「考えること」それ自体のオリジナリティの特権化へのアンチテーゼとして働いていた。しかし、ここでまたもこの思想のリインカネーションが始まる。つまり、私が考えていることは既に誰かが考えたことではないか、ということを既に誰かが考えていたという現実に直面したのである。