ライ麦(野崎訳)風に日記を書く

目覚めたらもうほとんど昼に近かった。頭が痛かったけどおなかはすいていたんで、猫とひなたぼっこしながらミルクをのんでた。奴さん、人が起きないと気違いみたいに鳴きまくるくせに、だれかが起きるとてんでおとなしいんだ。
授業まで時間があったから、しばらく課題をやってた。私が当番だったから。それもすんで、着替えてメイクしていたら、すっかり出掛ける時刻になっていた。やりたいことがある時、決まってなにかやらなくちゃいけないことがあるんだよな。
それでも今日のメイクは気に入ったな。紫のアイラインを引いて、二重のところに紺のシャドウ、目尻にショッキングピンクを入れたんだ。鏡でみたらぎょっとするようなメイクだったけど、そのうち良く思えてきたんだ。ぎょっとするようなところがね。色合いがまるで、ディズニーランドかなにかで売ってる発光する棒みたいなんだ。何て言うか忘れちゃったけど。どっちにしても、奥二重であまり目立たないから、だれかがぎょっとするようなことはなかったと思うな。でも私は気に入っちゃった。
それから授業に出掛けた。当番のせいで起きてなきゃならなかったんだけど、つまらない授業じゃなかったな。先週寝てたのを少しだけ後悔したよ。翻訳の授業なんだ。先生は翻訳家でね、その道ではエッセイなんかも出していて有名な人らしい。でもちっともそんな感じがしないんだな。実にいい人なんだ。ときどき、自分が経験した難しい翻訳の話をしてくれたりして、それでも翻訳家らしくないっていうのは、大したもんだよね。翻訳家なんて、たいていはインチキなんだ。みらいななとか戸田奈津子とか。ほんとうだよ。いつだって奴ら、気に食わない文を作り替えたりするんだから。
でも一点だけ気に食わない点があった。TRANSVESTITEっていう単語の訳についてだ。性的倒錯者って訳されたらしいけど、辞書には服飾倒錯者って載っていた。私はその訳が気に食わなかったんだな。とりわけ倒錯者って部分が。そこで私は本当に気違いみたいな行動をとった。先生に意見して、トランスヴェスタイトについて説明したんだ。あまつさえ、トランスジェンダートランスセクシャルについての説明もした。その二つに比べて、トランスヴェスタイトがどれだけまともか話そうと思ったんだ。でも私は途中で話をやめちゃった。なんだか急に、自分のしていることがとっても無意味に思えちゃったんだ。もともと発言の自由な授業だったけど、その時の雰囲気は最悪だった。それもそうだろう、変な女が、いきなりジェンダーについて語りだしたんだから。全くどうかしていたよ。でもその時は本気だった。人類みんながトランスヴェスタイトだっていってやりたくてたまんなかったんだ。私はロングへアーだけど、そんなものはカツラだってみんなの前で取ってやりたかったくらいだ。もちろん地毛なんだけどね。ボーヴォワールだって言っている――女になるのだって。でも私はそういったことは一切言わなかった。知識をひけらかしたがっているカラッポ女みたいになりたかったわけじゃないからね。私が言いたかったことは、体が女だからって、脳みそが男だったり、心が男だったり、服装が男だったり、そんなのはちっとも倒錯じゃないってことだ。私たちが、インチキなスカートやブーツをはくよりよっぽど自由で素敵なことだ。何もスカートをはくのが悪いってわけじゃない。スカートをはきながら、そういう奴らを倒錯なんていったら、それこそ旧時代の人間だと思ったんだ。でも私は途中で口をつぐんじゃった。だって私は、スカートをはいているんだもんな。
外に出たらずいぶんと寒かった。おまけにお腹もすいていたんで、スターバックスに入った。チーズケーキを試食させてくれたんだけど、その店員さんがいい感じなんだ。声がはきはきしているんだよ。だいたい店員っていうのは、息だか声だかわからないような話し方をするもんだけど、その人は違ったな。なんというか、姿勢のいい声なんだ。私は嬉しくなっちゃって、チーズケーキと本日のコーヒーを頼んだ。豆乳をブレンドしてね。お金を使いすぎて後悔しているのに、私はいつもこういう無駄遣いをしちゃうんだよ。
 
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」は名作ですよね〜。