荷宮和子を読んで。

荷宮の「アダルトチルドレンと少女漫画」(ISBN:433150588X)を読みおわりました。感想…彼女がフェミニストでなければもう少しマシになったのに。
確かに日本で起こる非肉体暴力的な虐待=精神への虐待、は少女特有だと言われています(「アダルトチルドレン 心の中の子どもを癒す」より)。確かに少女しか受けえない精神的暴力はあると思いますが、彼女は「傷ついた私」の対局に「傷つけたあなた」を置くんじゃなくて、「傷つけたあんたら」とひと括りにしてしまう。しかもかな〜り大きなカテゴリで。「女に母親を嫌う権利はあるが男にはない(!!…ばかもーん!お前はあと二十回日出処の天子とメッシュを読みやがれ!)」とか、もう病気じゃないのかしら。男をひと括りにしてるフェミニストって一体。
さらには「『ホットロード』(紡木たく)は特に取り上げる必要はないと思ったが、あるところで『勝手にとくんとくんしてろ!』と言われており、これが少女ならいいが、男だったので、私はそういうことを言う男を敵とみなすことにした。だからホットロードを擁護してみたい」と。
……。
「勝手にとくんとくんしてろ!」
わーい言ってやった。どうもこの人の脳内では少年は永遠に「少女」とその文化を理解できないのであって、「非少女」たる私は幸いにもその柵の外から孤独ながらも「ばっかでー」って思える立場にいます。幸か不幸か。
もしその、勝手にとくんとくんを橋本治とか、大塚英志とかが言っているならそれに反論することはまだ理解できます。でもこの人の著書では誰が言ったのか定かではない。多分、専門ではない人が軽い気持ちで言ったのだと思える。そういったところにまで、自分が敵対するものを作るためのこじつけの理由を持ち出して、「敵」なんて枠組みを作って自己防衛に励むのって、すごくみっともない。ましてやそれを、公表するなんて。

とにかく、この人は自分とこの人が想定する読者の救済を第一義としていて、それは素晴らしいのですが、その為なら適当にそこいらの人を「敵」にしておとしめることすら厭わないようです。ACはある種一生脱出出来ないモノであって(自認した人の為の言葉だからね)、荷宮和子がこれから周りにどういうカテゴライズをしながら生きていくかを考えると頭が痛くなるのであります。
何より嫌なのは、この人が再三持ち出してくる「ユーリ論理」。「罪のないものはいいね。君にいつだって悪気はないんだ」というユーリの言葉を持ち出して傷つけられたワタシ論を延々繰り返すんです。あなただって男を傷つけているじゃないですか…。それ以上に、この人はやたらユーリに感情移入しているようですが、それもそのはず、はっきり言って私に言わせれば「オスカーを“使って”一人解脱したような顔で神学校に行くあなたみたいな人は大嫌いです!」。彼女がイアンを「使えないオスカー」呼ばわりしていることが彼女の限界であり、どれだけオスカーをかえりみていないかの証明でしょう。萩尾作品の革命児イアンに対して何てことを!お前には使える使えないでしか人を判断出来ないのかユリスモール荷宮め!オスカーは使えた?ならあなたが神学校に行ったときオスカーはどうなったか考えればいい。オスカーはユーリを追いすらしなかった、それは何故か考えられない人と、気が合わなくて当然ですね。