サイコウ2-2

「奴らがレイプするのは女に飢えてるからじゃない。痛めつけたいからだ。自分の力を誇示して服従させるためだ」(アッシュ)
「――あの時 こいつの身体を包んだオーラは あれは"怒り"だったのだ 激しい怒り 自我をふみつけ支配しようとするものへの――」(ショーター、共に番外編ANGEL EYESより)

ここで注目すべきは、セックスが「支配」だというジェルミ的考え方である(美しいから犯されるのではない)。
支配――この言葉が萩尾、吉田、なるしまといった少年多用作家(便宜上!)には必ず付随している。しかもそこでの支配は確実に悪であり、憎むべき対象である。彼らは支配を望まない。何故なら主人公達は支配される側か、かつて支配される側だった人物だ。この「支配される存在」という受動態を少女的、と名付けることに、私はあまり疑問を抱かない。少なくとも、性的なトラウマを延々描き続けた吉田秋生その人においては、欲情される身体を少女のメタファーと捉えても問題はないように思われる。残酷な神が支配するでの「愛=支配」というジェルミの考え方、そしてなるしまの少年魔法士でのカルノの魔法嫌悪が支配嫌悪にくるというレヴィの洞察。そしてバナナでも、アッシュは支配されている。支配者ゴルとその犬ユーシス、「支配」の権利そのものを争っていたオーサー。それに父性原理と名をつけることはしないでおこう。とにかくそこにいたのは男根付きの支配者なのである。これこそがアッシュのいっていた「俺たちとお前は世界が違う」そのものなのではないだろうか。