はじめに

ユリスモールはなぜ神学校に行ったのだろうか?
トーマの心臓』を読んだ後、私たちの心に残る余韻、そしてやるせなさの原因であるひとつの疑問。その疑問が『トーマの心臓』を名作たらしめているとすら言うことが出来る、と私は感じている。しかし、『訪問者』を読んだ時、ようやく私の中で何かがつながった。トーマの心臓』において、萩尾望都が達成できなかったこと――それを何度も何度も反復している、そしてやり直そうとしているのが萩尾望都の作品ではないか?そしてそれは最終的に、「神学校にいかなかったユーリの物語」と萩尾本人が語る、『残酷な神が支配する』を生み出すことになる。