今年ネットを騒がせた二つの事件。長崎の12歳の少年は、「男は女になれると。あっこ(注・あそこ)なくなったら、女になれると言われて、ボクも同じことされそうになったもん。」と言った。ゴスロリ少女は、「生まれ変わったら何に成りたい?その理由は?」という質問に「男に成りたい 外性器が欲しい」と答えた。12歳少年は、母親をあの女と呼んだ。ゴスロリ少女は、「父母の事が好きですか?何かしたのなら父母のした事を許せますか?」「もう大嫌いです 許しません」「父に一言申す!」「うるさい(声が)」「母に一言申す!」「うざい(触るな)」と答えた。だからどうした?異性化志向と親への嫌悪。ただそれだけのことなのだが。

私は少女漫画論を書きながら、これは少女漫画論ではないな、と思っている。そういったものは藤本由香里さんが書いているので、そちらを参照されたい。私は少女漫画のメインストリーム、つまり、「キャンディ・キャンディ」から「ときめきトゥナイト」「ふしぎ遊戯」「ママレード・ボーイ」「天使なんかじゃない」「花より男子」「NANA」について考察したことは全くない。少女漫画のメインストリームに関してはまったく無視を決め込んでいる。それでは、少女漫画というサブカルの中のサブカルについて書いているのかと言われればそうではない。岡崎京子とその一派に触れることも殆どないし、花とゆめ掲載作について云々いうこともあまりない(ぼくの地球を守って天使禁猟区は面白いと思うが)。かといえども24年組の研究をしているわけでもない。私が読んでいる漫画とは、少女漫画ではなく、非少女漫画である。非・少女漫画ではなく、非少女・漫画。うまいこと少女になりきれない少女のための物語、そういった流れを半ば強引に見つけ出し、それについて書いているだけのような気がする。だから、この文章もおそらくそういったものになるだろう。しかし、私からしてみれば、そういった流れは確実に存在するのである。