1、萩尾望都

そもそも少年は、私が知る限り少女のメタファーとして登場した。勃起する性器を持たない少年は、内面は少女であった。少年を使うことのメリットは、ご本人が「ある程度年齢を経ると、世の中の男女の役割分担を心理の中にインプットされてしまって、そこからどうしても自由になれなくなる。特にわたしたちの世代はそうです。それが、男の子だけの話を描いてみると、その制約を全く受けない。」と語っている。つまり少年主人公は、藤本由香里がその著書で指摘したような、「成長回避としての男装」と同じような機能を果たすためであったように思われる。血が流れること、犯されること、破られること、孕むこと、性にまつわるあらゆる受動的な要素の回避。その為に「少年」たちは登場した。
とりわけ孕むことの回避は重要である。山岸凉子日出処の天子」、萩尾望都トーマの心臓」、竹宮惠子風と木の詩」の主要な同性愛者の少年は、必ず母親の愛情を失っている*1。彼らは心に傷を負った、言うなればアダルトチルドレンであり、そこには明らかに作者たちの「母性」への嫌悪と回避と逃走が見て取れるのである。*2
24年組の中で性に最も積極的であったのは竹宮惠子であろう。彼女の作品に関しては、勃起する性器を持たない〜というくだりは通用しない。彼女の性への挑戦には驚かされるものがあるが、それについては後々語るとする。

*1:母に疎まれた厩戸とジルベール、祖母に疎まれたユーリ、母を亡くしたエーリクとオスカーとセルジュ

*2:その後萩尾は「訪問者」「イグアナの娘」を始めとする多くの作品で、また山岸は「天人唐草」等でAC問題を主題に突き詰めていくことになる。大島弓子の「ダイエット」はAC問題の解決策を提示している。