黙れ漫画ヲタが>自分
で、少女漫画について少し触れておきます。ここからは興味がある方だけどうぞ。
『ポーの一族』に関して言えば、「血の交換」のモチーフは東氏の指摘とはズレています。情報交換ではなくエネルギー交換ですし、血よりも精神を保つ薔薇(とそれを折るエドガー)に注目すべきだと思います。そしてポーの一族で描かれるのは〈トラウマを刻まれた無性的身体〉であることも確認しておくべきだと思います*1。ポーは「吸血鬼」「同性愛」そしてハラさんが指摘した「被感情移入体」という三点において元祖といえば元祖です。
確かに少女漫画には「血を交換する」というコミュニケーションはあまりありませんね。そのかわり、無性的/両性的な世界があり、生殖の様々な可能性が模索されている*2。坂口日記さんの「オーラルセックスのメタファー」という考えにもつながりますが、情報交換=生殖だと考えれば、その「可能性を模索する」という点において、やっぱり少女漫画を思い浮かべてしまうわけです*3。
そして、この日記でも散々触れられている『天馬の血族』(竹宮惠子)は、ファウスト賞のさらに一歩先、ファウスト賞のカウンターとしても機能しそうなほどです。血が重要視されることはもちろんのこと、血を流す、血を交換するというモチーフを中心に据え、血をデータとして描きながら、この作品は痛いし両性愛もあるのです。イスマイルという男の人がいてですね、彼は帝に毎晩いたぶられるのです。四肢を切り離しても心臓を抉られても死ねない。でも痛覚は7倍にしてあるので痛い。彼は帝と「龍紋」を合わせることで、体の弱い帝に精気を流し込むのがお役目なんです(性交)。しかし帝は人魚との混血であるために生殖機能がない(生殖の剥離)。で、この二人は男同士(同性愛)。それに対して主人公アルトジンとヒーロー・チンギス大汗オルスボルトは異性愛、正当な血族者、というシンメトリー構成になっています。
何が書きたいんだかよくわからなくなってきましたが、つまり東氏の文章に見られる、吸血表象の「身体的」と「非身体的」の混乱は、そのままファウスト賞応募者の身体に対する意識の混乱を写しているように思えるわけです。つまり、サイバーパンク的なデータベースに対して「血」は生々しい。でもセックスに対して「痛みのない吸血」は非・身体的。それに対して少女漫画では、だんだんと非身体的(24年組の少年)から身体的な方向にシフトしていくのがハッキリ見てとれるので*4、私は身体的なものを肯定的に捉えているのです。身体バンザイ!身体性を肯定するからこそ私も「今さら吸血鬼?」とか「ファウスト?」と混乱するわけで、よってその受け止められ方が気になるのです。
文学が「吸血鬼」を取り上げて、どう受け止められるのか、それが身体に対してどう働くのか。それを生暖かく見守ろうと思います。