さらりと纏めてみる

東氏本人が「僕の関心はそもそも具体的な影響関係にはありません。辿っていけば『ポーの一族』とかいろいろあるんでしょうが、前にもどこかで書いたとおり僕はオタクの正史を書く能力も意欲もないので……。」と仰っていますし、私もぶっちゃけ影響関係にはそんな興味ないんですよね。上で言ったとおり文学読みさんの反応つまり身体性における反応が気になります。遅くてもいいよ派とやっぱ遅いよ派の違いと、ファウストに寄せる感情の違いです。東氏はファウストに期待しながら、その総体の流れについては否定も肯定もしていないような感じがしますけれど、結局ファウスト賞に選ばれるのは総体とどのような関係を持つ作品なのか、少し気になります。
東氏が指摘したファウスト総体の流れというのは以下のように纏められるのではないでしょうか。

現代ファンタジーが多い→1)、2)
1)吸血鬼ものがきわめて多い

  • 血を流す、血を交換するというモチーフを中心に据える作品が多い
    • コミュニケーションの変容
    • トラウマを刻まれた性的身体→さまざまなデータがそこを通り過ぎる結節点
    • 純粋な情報交換の身体的表現
  • 「痛さ」の描写はほとんどない
    • 非身体的な情報交換のメタファー

2)同性愛ものが多いこと

  • 異性愛は少数
    • セックスを描いた作品はほとんどない
  • 応募者は10代、20代ばかりで、しかも男性が多い
    • 100作に1、2作しかセックス描写がないというのはかなり異常

hirokiazuma.com/blog: ファウスト賞と血の交換からコピペ

東氏の文章でひとつだけ気になる点を挙げるとすれば「血のモチーフが、身体性の回復といった主体の問題系(リストカット)ではなく、むしろ、もっと非身体的な情報交換のメタファーとして描かれている」という指摘と「会話(言葉)を超えたコミュニケーションというと普通は性と暴力しかないのでどうしてもセックスやケンカのシーンが多くなりがちなのですが、ここでもし、純粋な情報交換の身体的表現とでも言うべきものがあるとすれば、その表現ばかりが突出して現れてきてもおかしくはない」という、非身体的といいながら身体的といっている矛盾です。どっちなんだと。揚げ足取りのようですが、これはかなり重要です。というのも、「吸血」表象自体は身体的にも非身体的にも転びますから。ハラさんの混乱はここから来ている気がします。