まずは私の領域である逆ジェンダーエンターテイメントに反応しておきます。

しかし、この話題の発端に別の乱気流がたちこめていたために、この話題置き去りにされちゃいましたね。
松谷さん(id:TRiCKFiSHさん)が仰っていることはとても理解できました。私はどちらかというと「主体の首尾一貫性」があるほうだと自分では思います(が、松谷さんから見てはどうなのでしょう)。というのも、id:lepantoh:20040109に列挙した私の感情移入先は、常に私と問題を同じくする登場人物たちです。例えばBASARAなら、自分の居場所や役割を探す浅葱、ジェンダーの中で揺れ動く主人公・更紗に感情移入します。ハンタなら「無垢」に憧れるキルアに、少年魔法士なら母性と対立しつつも決してそれを断罪できず、雌伏11年の後母の支配下から脱出するレヴィに感情移入します。つまり私の分身たちを、漫画の中に探しているのですね。そして彼らや作者と一緒に答えを探している。決して主体を置き去りにしているわけではありませんから。多重の主体、という言い方ならOKです。
逆にハラさんは、「主体の首尾一貫性」を捨てることこそ逆ジェンダーエンターテイメントだといいますが、それにも一理あると思います。それが本当に【エンターテイメント】であるならば、その首尾一貫性をすて、非現実的な世界に個を捨て没入することで、気分転換を図ることができると思います。
 
ところがこの日記では(はじめましての人、こんにちはです、今から気持ち悪いこと連発しますよ←予告)、去年の暮れあたりから、少女漫画の中における「少年」の役割について、考えているわけです。これは逆ジェンダーですが、エンターテイメントではない。私の興味はどうもエンターテイメントの部分にはあまりないようですね。ここからはエンターテイメントの部分を切り捨てた話をしていきます。