エンターテイメントではない逆ジェンダーの必然性

とりあえず、私の見てきた「少年」@一部の少女漫画、についてもういちどおさらい。

  • 【女性性の回避としての無性少年】まず24年組からはじまる。24年組の少年の役割とは?
    • 内面は少女、いわゆる性器を持たない少年
    • 受動的な性の要素の回避。犯される、流れる、孕まされる、破られる。
      • 少女の受ける性の目線を体現するために少年は犯されたり、暴力を受ける
    • 母性の回避、〈少女〉性の回避、成長の回避…母親に疎まれることが多い/母性との対立・回避・非受容
    • 〈非少女〉の持つ主体性の表出(by宮迫千鶴)
  • 【支配的父性と対立する性器をもった少年】上の流れは佐藤史生らに受け継がれ、次に吉田秋生的な表現がくる。萩尾も『メッシュ』を発表、性と向き合う
    • 性器を持った少年
    • 父性と対立する、母性に憧れる
    • 犯される(受動的な要素を避けたはずが、少年が受動的な性のメタファーになってしまう)
  • 【母性と対立する告発する少年】なるしまゆり少年魔法士』内でレヴィ・ディブランが母親と対立する。少年は母親に犯される。また、主人公カルノは高等な魔を受けることができる「高級娼婦」のような「器」、と表現され、彼自身がひとつの子宮のメタファーになっている。
  • 【母性との極度の一体化幻想に裏切られる少年】【再生の象徴としての生む少年】『残酷な神が支配する』において少年は父親に犯され、〈少女〉的な母親は見てみぬフリをする。その二人を主人公ジェルミは車の自己に見せかけ殺す。ラスト、母にその罪を告白したジェルミは母のキスを受け一度死ぬ。義理の兄で恋人のイアンから主人公ジェルミはもういちど生まれる。

 
というわけです、リアル少年の皆様、本当にすみません。これほど少年を好き勝手使っているのだから、私は狡いと言える立場にいないのかも。ここでは松谷さんの言う社会的な立場云々もそうですが、それ以上にセクシャリティの問題が大きい。最近ここでも取り上げている、「生殖の実験」にもつながりますが(少年の歴史自体生殖の実験史ですし)、〈産む性〉を引き受けられない、そしてそれは何故か、というと〈産む性〉に対する告発があるわけですね。それこそが母性の暴力性、である、というわけ。少年の出自は、エンターテイメントなどではなく、もっと切羽詰った、どうしようもなさ=必然性、を伴っていると考えるのです。この流れの中で、逆ジェンダーを使って、私たちが再帰的/反省的(reflective)な視点を獲得し、自らの女性性と向き合おうとしていく流れが見えることは明らかです。『逃げ』であったはずの少年が、いつの間にか犯され、いつのまにか美化されていた母性とも対立する。
そしてそれは、今も継承されている。なるしまがやおい出身であることも、触れておきます。