んでもって女の子の漫画を読むことは少女化なのか?

で、またまた24年組と比較しちゃいますが、主体性の発揮というのは、とっても広い目で見れば、少女の少年化と言っても良かったと思うわけです。宮迫さんなんかは、その主体性に「男性原理」という名前を付けています。その、自らの中の少年性の発露としても、当然逆ジェンダーは機能する。同時に少女性の解放としても機能する。
以上を踏まえた上で、もし、少年向け逆ジェンダーで、少年性の抑圧があったら?というのが上の話。そして自らの少女性の発露というのが、多分松谷さんがコメント欄で指摘されている『「マジで弱い男の子」はジェンダー的には女性なのかもしれませんね。つまり、MFTF(生物学的性=セックスは男で、社会的性=ジェンダーは女で、性志向=セクシュアリティは女)みたいな感じで。でも、「ジェンダーが女」とはちょっと言い切れないとやはり思うんですよねぇ』あたりなんだと思います。それに対しては、男性向けの逆ジェンダーよりも、女性向けのソレ……つまり3-bを読んだほうが、より良いと思うし、私の勝手な想像では、多分少年漫画では恋愛に没入する描写があまりないと思うので、そこらへんのトクントクンを補ってくれるのではないかと。
 
松谷さんが言う主体の一貫性云々の問題に、私はまだハッキリとした答えを見つけられないのだけれども、それは多分、少女性と少年性がドタバタひしめきあっているからだと思います。『少年的であるところを少女性に抑圧されたくないけれども、本当は少女でありたい』、つまり男の子と一緒に秘密基地を作るのを母親に止められたくはないけれどもその秘密基地ではお姫様でいたいよ心理(なんじゃそりゃー)と、『少女的な部分を少年性で隠したくはないけれどもやっぱり少年性も捨てきれない』心理がごちゃ混ぜになっていて、私の中でハッキリと結論付けられないのです。もう少し考えて見ます。ああ、頭が良くなりてー。