新選組 手塚治虫(手塚治虫名作集11)
萩尾望都が「これを読んで漫画家になろうと決心した」という一作。
いままで読まずにいたのは、私が手塚治虫的な手法になじめずにいたからである。彼の「火の鳥」*1や「ブラック・ジャック」は全巻借りて読んだのだが、そこに描かれていることはきっと大きすぎて、私にはまだ理解できなかった。高校時代の私は、半径30メートル以内に殺すべき敵*2を確実に二人は含んでいるような状況にいた。そのうちの一人は「わたし」であった。そして萩尾望都はそれをやってのける漫画を描いていた。
世の新選組ブームを横目で見ながら、私はふと「新選組」を読まなくては、と思いたった。そして本屋で、手塚治虫作品集(単行本)と名作集(文庫)、どちらにしようと思い悩み、とりあえず文庫を買った。「新選組」は、手塚の中では凡作というのが一般的な評価であり、萩尾はその評価に当惑したと語っていたが、やはり私にも、普通の良作程度にしか読めなかった。同時収録の怪奇短編二編を読み終わり、私は漸く重大な事に気がつくのだった。
解説エッセイが萩尾望都だった。
かなりの勢いでズッこけた。本当に知らずに単行本を買わず良かった。そしてこれから買う人は、必ず文庫本を買っていただきたい。何故なら、この解説文は私が重度の萩尾望都ファンであることを差し置いても、今まで読んだ解説の中で10本の指には入る名文だからである。
既読の方は少ないと思われるので、一旦ここで区切らせていただこう。萩尾望都は手塚の「新選組」の中に「喪失と再生」、「死の予感」と「新たな未来の萌芽」、「仇討ちの連鎖」と「許し」という彼女自身の作品に深く関係するモチーフをみており、凡庸な作品に見えた「新選組」を細かく分析している。