キタワァ*・゜゜・*:.。゜(n‘∀‘)η゜・*:.。゜゜・* !!!

ニミタンキター!少女漫画がふわふわぽわぽわとしか見えないあなたへ 荷宮和子『アダルトチルドレンと少女漫画』
うーん。流石だ。鋭い。
荷宮和子のこの著作には、ふわふわもぽわぽわもしていない漫画を読んで来た者としては、納得出来ない箇所も多い。もはや自分の中で伝説化している「イアンは出来損ないのオスカー」といった発言や、『メッシュ』イグアナの娘』に関する読解は、噴出した飯の勢いで大気圏を突破できそうな気がする。
だが、この著書の中で唯一(というわけでもないが)、頷いてしまったのは、吉田秋生の『櫻の園』の映画化に関するくだりだ。以下、孫引き(ゴメンねニミタン☆)

「この中でもっとも深く傷ついているキャラクターと言えば、やはり部長の志水由布子だろう。小学校の時、ハンカチでくるんだナプキンをひっぱり出してさらしものにされたこと、初潮を迎えたことを知った祖母に『だから変な男にちょっかい出されるのよ』と言われたこと、初恋の相手であるいとこに『おませさんだね』と言われたこと……。/これらの『日本でよくある光景』『たいていの女の子にとって覚えのある出来事』が、『これでもか、これでもか』と連打されるエピソード…は、並みの神経の女ならば途中で放り出しかねない痛々しさを含んでいる」
「この作品の場合は、女でありながら女の生臭さを感じさせない部員・倉田チヨの存在が志水の魂を救う鍵を握っている」

 ところが、映画版は、この原作の「少女漫画」性を理解せず、まったくべつのものに作り替えてしまったと荷宮は追及する。

「映画版『桜の園』では、この二人の関係は『男が見ていて楽しい、いかにも男の目線で眺めた女と女の同性愛風関係』として、描写されてしまった。男のクリエイターは、エキセントリックな女以外には興味がないことがよくわかる事例と言える。もちろん、原作を読んだ少女達の心を揺さぶったポイント、この作品の核心である『女であるがゆえに味わわされたトラウマの癒し』についての描写など一切ない

少女たちのための物語ではなく、大人の為の『少女』の映画へと作品は本質的な転換をしてしまう。この後は私の記憶が確かなら、
「そしてこの映画は、思春期の少女の心境をリアルに描いたと各映画賞で絶賛されたのである」
といった風に続いていた筈だ。この部分について言えば、この評論は地に足がついている。私の。
 
「オトコノコに懐疑を抱かずに生きてきたオトコノコが絶賛するトランスジェンダー漫画」
これは仮説にしか、過ぎないけれども。その異様なまでの紙屋さんの絶賛が、少し怖い。