少女漫画のキャラ/キャラクターから自分の立ち位置を考える

バカクイーン?

 

自己紹介でもあるんだけど、もう一度lepantohを自分の中で定義してみる

世の人々が最も自己紹介をするのは4月だと思いますが、私も最近色々自己紹介する機会がありました。かといえども、いきなり「漫画読みです!」と言うわけにも行きませんので、満足に自分をさらけ出せる機会なんてそうそうないのです。
ネットの上で、匿名主義の私は2つの偽名を持っています。一つはlepantoh、もう一つはmixiの名前*1。しかし、仮に漫画読みとしてのlepantoh自身を紹介しろと言われても、それが出来ないことに気がつきました。手っ取り早く腐女子とかオタクとかわかりやすかったら、日記の名前に「腐女子の〜」とか「オタク女の〜」とかつけて、痛い女に云々言いたい男どもからがっぽりアクセスが稼げるのにッ……!と言ってみたりしても、アクセス数自体(あまりに多くない限り)どうでもいいし、自分のことをブロガーとか思ったり名乗ったことはないので、ますます立ち位置が説明しづらい。とにかく漫画読みなのには間違いないです。あと前置きが長い人です(笑)。
 

私と少女漫画とテヅカ・イズ・デッド

で、本題は「少女漫画の今と、私が取るべき行動」なんです。ちゆ12歳さんの久々の更新が『少女コミック』のアイタタぶりだったということで、ああこれはヤバいなぁと思っていたんですが、そのヤバさって『デスノートid:lepantoh:20060213#1139808928でもそうですけどネタ化される前に本気で憂慮されるべきものなんですよね。いかにそれがナンセンスでも。困ったなー。ずっと萩尾望都のコトだけ語ってちゃダメですか(笑)?
で、最近また『テヅカ・イズ・デッド』の話が盛り上がってきてますね。こんな感じで。

私はかなり頭が悪いので、紙屋研究所さんやユリイカで噛み砕かれたものを読み、主張の概要を理解した後、もう一度さらりと読みました。紙屋さんも仰ってましたが、伊藤さんは他の方の論をつぶさに検証しているため、逆に読みづらくなっていたところがあったのです。これは私の不勉強と、表現論への興味のなさ(漫画書かない)からで、夏目さんや宮本さんの著作の流れを抑えていなかったので、頭の中がパンクしてしまったのでした。更に、初読時にもちょっとコメントしましたが、私は実は10代ん時にこの日記を始めた今21歳だったりするので、あんまり手塚治虫読んでません*2。なんかお怒りの声が飛んできそうですが、下に挙げている作品殆ど読んでて、しかもそれについて問題感じてて、どっかで行動してたり声挙げていたりする人意外に怒られるつもりなどさらさらなかったり。だから最後まで読んでね。
 

テヅカ・イズ・デッドはなんとなく夕凪の街っぽい違和感。きっと世代と属性が違うのね

そんでもって実は今もっと話題なのは新しい手塚本の方なんですけれど、

たとえば私は『夕凪の街・桜の国』がダメだったんですが(これについては『父と暮せば』と見比べてからレビュろうと思って先延ばし中です、ゴメンナサイ)、

原爆を題材にしたマンガとして、誰もが思い出すのは中沢啓治はだしのゲン』だが、そこではケロイドと白血病が、被爆者の記号として繰り返し描かれていた。中沢作品が主に描かれた70年代には、このスタンスはまだ十分に有効だったのだろう。だが、爆発力では広島型原爆に匹敵する大型爆弾がいまや当たり前のように実戦で用いられ、枯葉作戦のような形で大量の有毒物質を用いた後遺症が、数十年単位で世代を越えて残ることも広く知られるようになった今日では、これらの記号は「ヒロシマの昔話」以上の普遍性は持ち得ない。
http://www.web-cri.com/review/misc_yuunagi-sakura_v04.htm

と、言われても俺70年代とか生まれてねーしな、と思うのに近い「うん勝手に言っとけばァ?」感覚。アマゾンのレビューでもそう言っている方がいますが(みんな知らないんだな/ヒロシマに行けよを参照)、伝わってないし知らないんですねェみんな。私広島生まれで、親戚みんながその伝わらなさに苦しみながら必死で原爆のこと口伝してくれたんですよね。だから私には夕凪〜がいらないんです。これは、前に青山大学の英語の入試問題で話題になった「口承」の問題にも絡みますね。私には彼らの苦しみが完全には伝わってないのですが、その世代感の“伝わらなさ”は解るんです。感覚的にね。だから受け取ったものだけは大事にしようと思ったのです、それが70年代的ケロイド表現だったとしても*3だから夕凪〜を呼んで「伝わった!解った!」って思っている人々が恐ろしく怖いんですが、ま、これは別の話。
それを漫画に置き換えると、私は冨樫義博生まれ萩尾望都育ちだということになります。ものすごい物語派。バリバリの少女漫画ジャンキー。というわけで、夕凪が、世代的にも出生的にもダメだったように、手塚死も世代的にも出生的にも、ダメって程じゃないですが共感しにくいです。ごめんなさい。
 

NANAはキャラは弱いがキャラクターは立っている」その通り。でもなんで?

とかってどっかに答えが書いてあるのかも知れません。知ってたら教えて下さい。謝ります。
私の答えは「少女漫画だからでは」なのですが、それは薄いでしょうか。
伊藤さんは手塚死で、「『キャラクター』としてしかマンガを読めない群」=私に対してこのように語りかけます。

そして、いまひとつは「キャラクター」の背後に常に「人間」がいるという「読み」のみでマンガを(おそらく、アニメ・ゲームでも同様だが)語り、分析しようとしても、上手くいかないということである。それでは、現実に(そう、まさに「現実に」)起きていることを説明できないのだ。(p.119)

そこで例に出てくるのが『のらみみ』です。
……って『IKKI』掲載作品かよ!
もちろん「現実に起きていること」=たぶん2次創作とかを把握する上で、データベースとか萌えとかキャラとか言う言葉があると理解はとっても楽になります。しかし、その理解ではなぜNANAのキャラクターは作品を横断しないのか、ということになり、さらに何故映画−アニメ−漫画感なら横断できるのか、ということになるんじゃないんでしょうか。端的に言えばなんでヤス×シンの同人誌が横行しないのか、ということです。私はそこに当てはめる言葉に「いや、少女漫画だからでしょう?」と言いたくなるんですが、なんかあんまり読み込んでないし反応も主要なものしか追ってないので、他で言われていたらすみません。そしてあたしには『NANA』なんて何が面白いのかさっぱりわかんないのでこれ以上語れません。
 

実際の少女漫画を例にちょっと話してみるけど間違ってたら言ってねゴメン(弱)

ますます弱気なlepantohですまだまだ書きます。
lepantohは1月から頑張って更新してて、アクセス数も2倍になってもう正直逃げ出したいです。コワイヨー
その中でいくつかの記事を引っ張り出してみましょう。まず少女漫画家がキャラ萌えするとどうなるかというのを端的に示したのが『銀魂』パクり事件でしょうid:lepantoh:20060203#1138985898。出版社が怖いので作品名は挙げてないですが、読めばヒントが書いてありますので。ここでの私の結論は「萌えてもいい、うっすらパクってもいいから、面白いものを描け!その為には要素萌えとかキャラ萌えをパクんな!関係性をパクれ!」というもの。実際ヘッダにおはしますやおい出身作家さんたちはそうしていると思います。そして大好き。
次は『のだめカンタービレ』の話。これは大嫌いってわけじゃないんですけど、芸術漫画としてはそんなに誉められるものじゃないと思ってて、昔もちょっとモノローグ技法をギャグ化して捨てたことを批判しましたがid:lepantoh:20050521#1116603768、今回は前回の「キャラクテールに頼ろうとしすぎ。」の方を。id:lepantoh:20060121#1137811922この時わたしは、キャラ/キャラクター論争から逃げ(正直者)、あえてキャラクテールという言葉を使ってみたりしています。これは、私が特別視している一つのジャンル――芸術漫画――を明確化するためです。キャラクテール(仏語)といえば私の理解ではバレエ用語キャラクテールとして最も使われる言葉で、その対極は言うまでもなくダンスール・ノーブルです*4。私はのだめ〜において音楽を表現しているのは、その人の人生やストーリーといった物語ではなく、むしろキャラ、データベース、属性的なものであると主張したいのです。そしてそれ故芸術漫画としては駄作であると。たとえば最新刊の松田ヴァーグナーの表現などはモロにそうだと思います。
芸術漫画といえばもうひとつ、何度もこの日記で引き合いに出して申し訳ないんですが、勝手にリスペクトしている紙屋研究所さんの紙屋研究所 :: 漫画の近代は終わらない――伊藤剛 『テヅカ・イズ・デッド』書評の『舞姫 テレプシコーラ』を使ったキャラ/キャラクターの生成に関する考察。考察自体は手塚死の流れに沿っていてとても興味深いのですが、「『キャラクター』としてしかマンガを読めない群」のlepantohとしてはものすごい違和感が漂ってきます。それは『舞姫 テレプシコーラ』自体がクソつまんない駄作で、バレエ漫画として何の進歩もないダメダメな作品なので、そんなことどうでもよくない?という気持ちです。つまらない漫画に語る価値がないとか、表現の上で面白い漫画なんだからよくない?と言うかもしれませんが、すみません、私にはただアシスタントが絵を書いただけにしか見えません。本当に討議されるべきなのは、山岸さんのバレエ表現が“おけいこ”の域を出ず、またマッチ棒のような身体で重力など微塵も感じさせず(それがクラシックバレエなのよという考えを私は有吉京子『SWAN』に変えさせられました)、かつ何を表現しているのか/どうダメだったのかが全て技術/アクシデントとミスレベルでしか語られない*5曽田正人男性誌で『昴』を書き上げてしまった今、『舞姫』は霞んで見えます。それどころか退化している(このあたりは有吉のバレエ作品と絡めて現在執筆中です)。たぶん表現論の次元とベクトルが違うのですが、少女漫画においてキャラというのがどう重要なのかいまいちつかめません。悪い面なら見えるんですが。

また、少女漫画的に「キャラ」を入り口にしつつ、否定する流れがあるのは否めません。その好例が『桜蘭高校ホスト部』で、今や白泉社の看板漫画ですが、これまた読んでいない人は多そうですねー……。1巻の中で、ゲームオタクのお嬢様が、ホスト部の副部長で眼鏡鬼畜参謀キャラ・鏡夜が、ゲームの王子さまに生き写しのため、ゲームと同じような優しい一匹狼像(雨の中子犬を拾うよーな@須藤晃)を彼に押し付ける、という話があります。彼女はそれだけでは飽き足らず、「総じてキャラがぬるい!」の一声の下、「孤独な王子」「かわいい顔して実は鬼畜」「双子はあまりの酷似ぶりに個別認識されない悩みがある!そしてバスケ部!」などと勝手にキャラ設定をし、ビデオを作成。このビデオが少女漫画読んできた人びとには「ねーy…あるあるwww」で爆笑モンなんですが、話的には結局「人を知っていくのも楽しいと思うよ」とまとめて終了。更に、どっかの漫画で見たことあるよーな王子・眼鏡・双子・ロリそして寡黙キャラを集めてスタートした『桜蘭高校ホスト部』自体が、王子こと須王環、眼鏡こと凰鏡夜、双子の片割れ常陸院光らの内面・家庭情況などを描き出し、だんだんと物語化してってます。
私が思うに新井理恵『ろまんが』あたりも、コンチキチ*6なんて金髪碧眼・容姿端麗・IQ230・元殺人鬼というアッシュ・リンクスな設定のクセして召使であり不能なギャップを楽しむ感じで、近いなぁと思ってるけれど、結局あの『フラワーズ』で連載しているだけあって、キャラをネタにしつつ、キャラクターを描いているなと思うのですが。この両作品は作者がやおいをネタにしているのも特徴ではあります。
 

少女漫画瀕死に際して、今何を読むべきか、薦めるべきか

というわけで、目が届く範囲でざっと少女漫画について述べてみます。
ユリイカの感想id:lepantoh:20060120#1137692393でも言いましたが、小学館は昔取った杵柄『フラワーズ』が部数的にはけっこうヤバくても面白いっちゃ面白いです。しかし大御所は気まぐれなので月刊田村由美。『7SEEDS』は万人に薦められる面白さで、冨樫義博もビックリするくらいキャラが死にます。『少女コミック』と『Cheese!』はちゆ12歳さんの言うとおりエロ化が酷いです。講談社はもともと目ぼしいものナシ。デザートはエロす。いくえみ綾という神のおはします集英社はあいかわらずの現実路線。別マにベルサイユのばら完全版の広告が載っている違和感。『花より男子』の神尾葉子が描く『キャット・ストリート』は多分本物のゴスロリさんがみたら怒りだすような展開でちょっとヤバいかも。『ラブ☆コン』『恋愛カタログ』もだらだら。てか恋カタの主人公は隆と種でしょ?でも意外と『高校デビュー』が面白いし、アクの強すぎた高橋みつばが『虹色HERO』というバレーボール漫画を描いていたりして、面白そーではある。連載2回目という椎名軽穂君に届け』は面白かったです。見た目が暗くて貞子と呼ばれる美少女と、さわやかいい人青年の学園階級差モノ。まぁ階級差といや『エマ』なわけなんだけど、集英社版『ヤマトナデシコ七変化』もしくは『MとNの肖像』って感じか。特殊な高校でワイワイガヤガヤやってる『ご近所物語』『ラブ☆コン』的話も楽しいんだけど、どうも『キス、絶交、キス』あたりから学園階級差はマイブームらしい。あと、『砂時計』『僕らがいた』そして『ハチミツとクローバー』は読んでいないけど評判高いね。ただし学園リアルモノで制約多くて重いテーマが描けない。
それはそうと今日は『スキップ・ビート!』の発売日だったりしたわけで、ずっとwktkで買いに行って、敦賀蓮の「どうしてくれようこの娘は」に大爆笑していたんだけど、なんか私的には今男が主人公に猛烈に恋してるっていうのが熱い。男側のモノローグが異様にふんだんに盛り込んであるヤツ。そんな感じで、『スキップ・ビート!』『フルーツバスケット』『桜蘭高校ホスト部』あたりの白泉社看板は、相変わらずの「いつまでたってもくっつかない方式」でそれなりに面白いと思う。ただし層が薄い。その中で『親指からロマンス』は掘り出し物感があった。ほとんどの作品でトランスジェンダーを扱っているのが花とゆめの特徴だと思うけれど、その中でも、ギャグじゃなく真剣に男の異性装をしなくてはならない子を描いている。読んでないけど、緑川ゆき、そしてなんといっても草川為あたりが大物になる予感。草川はなるしまゆりリスペクト、葉鳥ビスコ草川為リスペクトな直線。
大穴は新書館ウィングス。今一番面白い漫画、なるしまゆり少年魔法士』と二番目に面白い漫画、よしながふみフラワー・オブ・ライフ』が大絶賛不定期連載中。今出ている花とゆめにはスキビもフルバも載ってないし、次に出るウィングスには魔法士もフラワー〜も載らないということで、継続購入に至らないんだよなー。魔法士は『原獣文書』の最終回を書くためにお休み。
 

というわけで、私の立ち位置はこんな感じ。

  • 20代女。むかしのこと言われても24年組以外わかんなーい。
  • オタクではない。少なくとも世に言うオタクではない。「オタクの常識」がわからない。
  • 漫画はテーマ性が命。次にプロット、ストーリー(台詞・モノローグ)、キャラ、絵の順で大事。
    • 好きなテーマとは「知らなければそれなりの生活を保障されるのに知って地獄に堕ちることを選ぶ漫画」「聖性を切り捨てて汚れる過程を書いた漫画」「自己同一性と身体性に意識的な漫画」あたりのことらしい
  • 伊藤剛さん風に定義するとキャラクターしか漫画に見出せない人
  • よって萌えとか801とかに殆ど関心がない 二次創作欲がほとんどなくエネルギーは批評に向かう
    • でもネウロと真島には萌える。あの二人に罵倒されたい……
      • だからネウロのパロをネットで見つけると幸せ。自分でもこれが二次創作なのかよく解らん
  • 共感>愛情、憧憬>萌え
  • これはあくまで「キャラクター群」にいる私の読みであって、押し付ける気はないです

あとがき

えーとちょっとした経緯で、わたしのことを知らない方々に対して、自分の考えをまとめようかな、と思って書きました。過去ログ宣伝厨っぽいのはそのためです。相変わらず長いですね。伊藤剛さんご本人とは、お互いアンテナに補足し/補足されな薄い関係なので、こんなこと書いていいのかなァと思いましたが、「私にはキャラクターしか見えません」と敗北宣言する人って私の他にもいたんでしょうか?そういう人がいるっていうことを明言しただけ、私は動ポモよりも少女漫画読みにやさしい本だと思ってます。本当に。ただそういうひとに向けた本でないだけで。
 
あとオリコンのランキングハリウッド化して欲しいマンガはコレっ! -ORICON STYLE ニュースがまたまたおかしい。オリコンの抽出している層がさっぱり見えない。今の若い子ってBANANA FISHとか僕の地球を守ってとか読んでないんでしょーか(あたしも若いけど)。でもデスノートはやっぱりジェイク・ギレンホールで決まりですよね。id:lepantoh:20060212#1139672975んでんで、相手役はエミー・ロッサムで……ってそれは前に見たから、リンゼイ・ローハンで。
いろんなところにリンクを貼って、長文で迷惑かけてしまってすみません。何かあったらコメントください。これからもよろしくお願いします。

*1:正式には登録名なんですが、まぁ面倒くさいのでそういうことにしましょう。自分では「私には決められた名前がまだない」というところに矜持がなくはないのですが

*2:BJ、火の鳥、パンパイヤ、新選組は読んだ!

*3:原爆博物館にある人形と同じですね。祖母が解説してくれたのでよく覚えています。本当に怖かったです。わたしにはその思い出があるからいいんです。でもシェアできないというのがこの欠点か。

*4:キーワード化されていない嫌な予感……バレエの話する時はいっつもそう思う・笑

*5:たとえば千花の成功はダブルのアチチュード(だっけか?)で、失敗は転倒や滑ったことで表現されますよね。曽田の場合全員失敗なぞしません。いや、してるのかも知れない。でもバレエみてて、所々リフトが上手くいかなくたってジュテが揃わなくたって、感動する時はするじゃないですか。アラベスクからそうですが、山岸さんは技術信仰すぎます。人を感動させるのは何かをつきつめている分、有吉・曽田はスゴいと思います。

*6:コンチキチ・マチカーナって競馬ファン大爆笑の名前らしいですがどういう意味なんですか?