『シートン 旅するナチュラリスト』 「シートン」が「ナチュラリスト」なノスタルジーへの違和感

lepantoh2006-09-08


読んだ。読んだよ読んだ。自慢なんだけど、私こどものころシートン動物記とファーブル昆虫記は全部読んだんだよね。伝記ものは好きで結構読んでいて、たぶん小5くらいで全部読んだと思う。だから、大人になってからのシートンとの再会に、ちょっと戸惑い気味。作品自体は、非常に良い。

シートン 第1章―旅するナチュラリスト (アクションコミックス)

シートン 第1章―旅するナチュラリスト (アクションコミックス)

そうか、シートンってナチュラリストだったんだ、と今気付いてしまった。いや、確かにシートンは好きだったけれど、ちゅうがくせーになってからは運動部に入っていたから忙しかったし、高校生になるころにはすっかり忘れていた。なのに、不思議なことに心にはしっかり「私はシートンは全部読んで、シートンがどういうヤツなのかしかと心得ているのだ」的な自信だけが子供のころの心のまんま残ってた。
そして、それが今回打ち砕かれちゃった。まあ、良い経験なんだけど、なんかね、寂しいね。あたし、「音楽は“懐かしさ”という感情のために聞く」と豪語したことがあるくらい、懐かしいとか、ノスタルジーとか、そういう肌触りが大好きなんだよ。


シートンナチュラリストだと知らなかったというのは、当時の私にそんな概念がなかったってこと。「インディアンやカウボーイのとこに居候しながら、あらゆるところの動物を調べてすごい筆致で書いていくオッサン」くらいの認識で、それが「ナチュラリスト」なんて分類されるほど希少なものだと思ってなかった。さらに言えば、そのような生き方が、この漫画で語られる「パリのキリスト教的人間中心主義」に対立するものだなんて、ちっとも知らなかった。まあ、小学生なんだから仕様がないけれど、不思議なのは、大きくなっても、なんとなく、疑うことを知らない状態が継続していて、そのまま彼のことを知っている気が続いていたってことだ。けど、考えてみれば彼の出生も知らないし、画家としてパリにいたこと、2枚の狼の絵のことなんかもまるで知らなかった。それが、この物語に新鮮さを与えてくれはするのだけど、私にとっては戸惑いでもある。


さらに言えば、たしか伝記には、ブランカの足を切り取って、ワナの周りにその足跡をつけたという描写があったと思うんだよな。「狼王ロボ」は、私も一番好きな話だったので、「ひどいことするな。ブランカちょっとかわいそうだな」と思ったのをよく覚えている。でも、この漫画にその描写はなくて、ちょっと混乱してしまった。野口英世とか、伝記とはちがってハチャメチャな人物だったといわれているけれど、私は子供の頃、野口英世の伝記じゃなくてシートン動物記を読んで育ったんだよなぁ。だから、野口は「大人になって知ったネタ」扱いできるけど、シートンは「知らなかった驚愕の真実」になってしまう。


そうしたら、最後に「オオカミは絶滅した」だもんなぁ。これも、知らなかったよ。少なくとも、伝記には書いてなかったはず。探せば、「ロボ」だけは売らずにとってあるはずなんだけど、どこにあるのかなぁ。
かなり混乱したけれど、続きも是非読みたいとは思う。でも、私のシートンはどこにいるのだろう(真実のシートン、なんてものはいないのだが、私のシートンが真実と大きく離れていることは感心しない)。ビッグホーンの話が好きだったから、それやってほしいな。


ようやく見つけたら1冊1000円もした1冊。