上野千鶴子氏による「少年愛」の読解(2) なぜ、よりにもよって“ジェンダーレス”と名付けられたのか?

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タイの件でバタバタしており遅れました。すみません。本日は昨日の日記の続きである、上野千鶴子氏による少女漫画の少年愛読解の文章「ジェンダーレス・ワールドの〈愛〉の実験」を読み解きます。

性別やセクシュアリティに関する用語の定義があまりに曖昧であり、また正確ではない問題

昨日指摘した3つの問題のうち、もっともフェミニズムとつながりが深い問題がこちらです。はっきりと言えば、この文章は読者に、読み解くTipsを必要とするのです。そしてそれはつまり、「ジェンダー」と書かれているところを、あなたや私が学校で学んだUpdatedな語義を採用せずに、様々な別の用語に置き換えて読むことなのです。

さぁ、皆様で、どういう意味で「ジェンダー」という言葉が使われているのか読み解いてみましょう。

少年愛マンガは、ジェンダーにふかく汚染されたこの世への、少女マンガ家のルサンチマンが産んだジェンダーレス・ワールドにおける〈愛〉の実験である。(p.154、締めの文)

最初の方の“ジェンダーにふかく汚染されたこの世”は、現在流通している、「生物学的な性に対しての社会学的な性」という意味に照らしあわせると、意味が通らなくなってしまう(むしろ、日本ではジェンダーという概念は浸透していないといえる)のです。そこで私たちが参照しなくてはならいのは、氏の「少年愛の少年とは『少女』でも『少年』でもない『もう一つの性』(p.131)」という主張です。上野氏によれば、「ジェンダーの二項性に呪縛された意識」はそのことを読み取れない。昨日の日記で言ったとおり、彼女にとっては、この第三の性こそ、女性によって創り出された女性のための、この世の“男/女というシステムへのカウンター”なのです。そこで、最初のジェンダーという言葉はこのように置き換えられます。
少年愛マンガは、二項的なジェンダーにふかく汚染されたこの世への」


そして次に、問題の「ジェンダーレス・ワールド」という言葉に移りましょう。この言葉のジェンダーは、「二項的ジェンダー」と訳すと、「レス」という言葉とうまく噛み合いません。そこで、上野氏が「ジェンダーレス」を定義した箇所を詳しく見てみることにします。先に言っておきますが、あなたが持っているジェンダー用語の知識を一度捨ててから読んでください

彼女たちが離脱したかったリアル・ワールドとは、「男と女がいる世界」、つまり性別に汚染された世界gendered worldである。「美少年」は、「男」からも「女」からも離陸take-offして、「第三の性」にふさわしい「第三の世界」に飛翔しなければならない。その「第三の世界」とは、「性別のある世界gendered world」に対して、「性別のない世界genderless world」でなければならない。(pp.132-133)

このように、上野氏は(二項的な)性別に汚染された、という意味でgenderedを使い、そこから解放された、という意味でgenderlessを使っているのです。これは、私の理解とはなじみません。なぜならgenderにそのような意味はないからです。あえて英語を使うならば、ジェンダーコーデッドという言葉のほうがわかる(が、ジェンダーコードの語義が共有されているとは思わないので却下)気がします。性別の訳語はジェンダーではありませんし、また「男/女」のことのみを指すのなら、二項的という言葉があるべきです。
昨晩の引用部分で、上野氏は、少年愛ものは「純潔/汚れ、非日常性/日常性、特権/悲惨、非凡/凡庸、冒険/退屈、崇高/卑俗、彼岸的/此岸的etc.という男/女の記号性」を受け容れていないと評しました。このスラッシュからの脱出を成しえるものこそが「第三の性」であるとしたら、彼らが置き去りにしていった世界はスラッシュそのものだと評することができます。これを上野氏はジェンダーと名づけましたが、その語彙選択は間違っています。わたしはそれを「性差」と呼びます。ジェンダーには長らく性差の意味があるとされてきたようですが、そのような意味はありません。
よって、私はここでのジェンダーレス・ワールドとは「性差のない」世界と置き換えることにしました。これなら意味が通ります。
さらに言えば、ここでの上野氏によって提示される性差は、肯定的もしくは中庸なものではなく、スラッシュの後ろ側についているような否定的なものだということも付け加えておきます。まず、ここで“ジェンダーレス”として語られているものはジェンダー”レスではなく“性差”レスです。また“性差”レスとして語られているものは、性差を均質化する試みというよりは、二項的に押し付けられるジェンダー・ロール、ジェンダー・コード、ジェンダー・バイアスからの脱出を目指しているものであり、つまり“性差”というよりは“性差(別とまではいかないがステレオタイプな女性像)”に近いのです。このように2度ほど定義を入れ替えると、さらにこの文章がシックリと来るようになります。


これは私が彼女の文章に対して出来る、最大限に好意的な見方です。たしかにジェンダーレスという言葉が使われてはいますが、彼女が意味したのはジェンダーの否定ではなかったのです。そのためには、彼女のジェンダー用語の定義がことごとく間違っていると考える必要があります。



二項的ジェンダーにとらわれない世界を抽出した上野氏自身が二項的ジェンダーに囚われている

このように、ジェンダー」の意味そのものが違っていたり、また同じ文章の中にある「ジェンダー」でも意味が違ったりと、文脈によって上野氏の定義はコロコロと姿を変えます。そして、昨日分で指摘したような評価できる文章のすぐ後に悪文が来たりと、この文章の読解は困難を極め、まるで船酔いのような不快感をすら与えます。


さて、最大限の好意的な解釈をしてもなお、上記の上野氏の文章には問題が大きく残ります。まずひとつに、少女漫画の世界を「第三の世界」と定義づけたのは良いにしろ、「(二項的)ジェンダーに汚染されているこの世」との対比にしばしば首をかしげる部分があります。ひとつめに、上野氏自身がその二項性にもっとも囚われているように思えること、ふたつめに、二項的ジェンダーがこの世を支配しているというのは間違いではないでしょうが、世間と「少年愛もの読者」の分離が出来ていないことです。また、これら二つの問題とは別に、ジェンダーレス・ワールドを性差レス・ワールドと置き換えてもまだ、少年愛ものはジェンダーレスであったということができるかが疑問です。少年愛もの読者と少年愛世界でのジェンダー・ロールは明日の「2、少女漫画における少年愛の読解が足りず、少年愛作品そのものの変貌を看破できていないのが問題である。」に延ばします。長くなったので本日はこの辺で。さいごに、ひとつめの問題に関係する、89年の文章である引用部から17年たった『バックラッシュ!』での上野氏の発言を置いていくことにしましょう。

Gender equality、これを対照反訳すれば「男女平等」となります。

いまだにジェンダーの訳語は二項的なようです。