勝手な思い込みによるBLと少年愛の違い

の、ひとつ。
あいかわらず『ゴールデン・デイズ』がそれはそれは素晴らしい。だってわたし多分読みながら震えていたんじゃない。うわあ気持ち悪い……。
よくわからないけど私の勝手な思い込みだけど思い込みだって断れば開陳してもいいわよね? なんとなくBLって服従と奉仕という形の犠牲を重んじる世界だという気がするのよねえ。それ自体は別段悪いことじゃないんだけど、如何せんわたしの好みじゃあないのよね。だってそれってさあ、要は「支配」ってことでしょう。「支配」っていうのはここ20年くらいの少女漫画が最も対抗しようとしてきたものよねえ、わざわざ『残酷な神が支配する』を引き合いに出さなくたって。ちなみにここでの「支配」っていうのは常に暴力的とは限らない――バフチンの言葉を借りれば「涅槃」の形をとってあらわれることの方が多かったりするのだけど。
それでまあ、支配したくない/されたくない、という感情にどうやって向き合っていこうか、という意味でも90年代を代表する漫画は『少年魔法士』なんだけど(もう57回くらい言うけど)、もしかして2000年代は『ゴールデン・デイズ』なんじゃないの。って言うくらいの誉めっぷり、誉めすぎかしら? どちらの作品においても複数の次元において高度なことを達成しているのがすご過ぎるわあ。
それでまあ、支配したくない/されたくない、という論理と矛盾しつつ合致した、「少年愛」を支配する論理っていうのは、きっと反抗と献身という形の犠牲として現れてくるはず。なぜならそこに存在する人々は自立した個だから、としかいいようがない。まあ、これがまったくBLややおい界に存在しないなんて主張する気はないけど、わたしが「少年愛」をのみ選択する理由はそこだわ――というか「少年愛」を含む「少女漫画」全体を選択する理由はそこだわ。うん、わたしがの後に「男性同性愛女性向け漫画メディアで」って付け足しといて。
ああ、でもキング、その理論は間違っていないけれど間違っているよ。富めるものが天国の門をくぐるのはラクダが針の穴を通るより難しいのだから。