とゆー本を読んでます。作者は荷宮和子
アダルトチルドレンというのは親から虐待や阻害、もしくは過剰な期待をかけられることで精神に傷を負い(トラウマ)、成長するのに何らかの困難がある人のこと…だと思っています。この人のゆーような「ホームシックになれない子供」ではない筈。アダルトチルドレンでもホームシックにはなります。
私は自分がアダルトチルドレンだと自覚してかなり救われました。最近いろんな個人サイトを見ていて思うのはやっぱり精神病の人が多いってこと。病名を恐がる人もいるにはいますが、病名がつく安心感っていうのはありますよね。私は病気だから仕方ない!っていうんではなく、だから私は悩んできたんだ…っていう原因がつかめた感じ。もやもやをカテゴライズすることで安心感が生まれる。でもその「救い」としての病名と、「にんじん」的な、自分を不幸だと思いたい心理、私なんて橋の下の子どもなんだ心理との線引がとっても難しい。
アダルトチルドレンは病名ではないですけどね。
この人も宮迫さんと同じでフェミ入ってます。内容はそこそこ面白いかと思ったら「男性中心」への文句ばっか。あきれます。例えば「幼児虐待は女のインポテンツを通達されることで、父親である男性は虐待に関係ないことを証明するために報道される。男性中心のマスコミの陰謀」といった具合。アッホくさ、と思いました。あたしに言わせれば、女が知性と仕事を舞台にしてこんなに生きづらいのは、あんたらフェミの所為でも、あたしらインテリ気取りの所為でも、主体性のない脳みそスカスカ女の所為でもあるんだよって。そりゃ全部男が悪いならそんなわかりやすいことはないけどさ。だいたい子どもを虐待する女がろくでもないことにはかわりがない。育てられないなら生むな、生んじゃったなら育てるか育てないか決めて虐待はすんな、生めないなら生ませたがるタイプと結婚するな、結婚しないなら働いてテメェでテメェを養いやがれって。テメェでテメェを養うことを放棄して旦那さんに養ってもらって「私は子育てしたくない」なんて勝手だ、と思ったんです。自分で稼ぎがあるなら話は別ですが、養っていただいている場合、女性はその支配的父権体勢と家庭での仕事を受容してしまっているんですから。男の人は働いて女の人は家事って決まりはないですが、どっちかだけが働いていたらどっちかは家事しなくちゃだめでしょ。女=家事っていうのが間違いなのはわかりますが。
例えば男の人が会社でうまくいかなくてイライラして部下をパワハラして虐待したらマスコミは報道すると思います。会社であったことを妻がお手伝いしないように妻はある程度一人で育児をしなくてはならないのは当然だと思うんです。それがいやなら自分も働けばいい。なんだかフェミニストってご都合主義者ですよね。
なんにしろ、この本で面白いのは引用された漫画の台詞だけ(笑)、萩尾に関する読み方も私とは全く解釈が異なりました。特にメッシュのラストの解釈が。フェミニズムってやっぱり苦手だ、と思いました。おわり。