〈少女〉と〈非少女〉

宮迫千鶴の『超少女へ』で指摘された萩尾望都作品内の性(ジェンダー)とでも言うべきもの。少女漫画を読む上で非常に良い指針となる偉大な発明。定義がとても簡潔で良い。

  • 〈少女〉……〈認識行為〉と〈主体性〉を封印し、繭にこもって王子様を待つ少女
  • 〈非少女〉…〈認識行為〉と〈主体性〉を併せ持つ少女

とにかく、少女漫画が問題にして、かつ獲得しようとしているものを〈認識行為〉と〈主体性〉と言い当てたところが偉大。ただし、70年代、24年組が少年主人公という装置を通して半ば前提条件的に〈非少女〉を登場させたのに対し、萩尾は『メッシュ』でそこにもう一度疑問符を突きつけた、と言える。それ以降、萩尾は〈主体〉を獲得することの困難、そして仮令それを獲得したとして、そこに潜むであろう暴力性を問題にし始める。『残酷な神が支配する』では、主体的に愛することの困難とその回復に主眼が置かれている。