TeZukA 2月26日@渋谷Bunkamura オーチャードホール

書いた。面倒だから漫画を読む人=オタクくらいの軽い意味でつかっています。あと、善/悪のあたりの日本の漫画の実例をもうちょっと充実させたいね。




鉄腕アトム(1) (手塚治虫文庫全集)間違っていると嬉しいんだけど、渋谷のオーチャードホールは、観劇好きよりも漫画好きの方が少ないなって印象。自分のツイッターのタイムラインは、3割漫画関係、3割舞台関係、3割自転車ロードレース好き、1割その他って感じで構成されているんだけど、タイムライン見ていると、ほんとにテヅカ見にいったのって観劇好きだけじゃないの、って気がした。

単刀直入に言うと、テヅカは偉大な挑戦で、想像を掻き立てる作品だった。多くの人が言及しているとおり、3.11に関する場面がすごくあって、実際3.11や原子力はオープニングのフランス語での長いセリフのほとんどを占めていた。いうまでもなく、そのロストテクノロジーを彼の内に抱えているのはかの鉄腕アトム鉄腕アトムのパートは3.11が最大のインスピレーションであったことは間違いないと思う。でもそれは私がこの舞台をいいなと思った要因ではない。実際のところ、鉄腕アトムとか3.11はまぁ、そうかな、って感じで、むしろ他のパートに比べれば印象は劣った。実際、オープニングの鉄腕アトム再現は、私にとって、疑わしくって気が散るものであったんだが、舞台はだんだんとよくなっていって、いろいろな伏線が様々な形で美しくまとめられていたな、と思った。なんで彼らが中年の坊主の男性にアトムを再現させたのかはわからない。だって、will.i.amですら鉄腕アトムルックを見せつけてたってのに。もしかしたら鉄腕アトムを描写したいんじゃなくて、人間の体と機械の体(かの名作999を思い出すでしょ?)との差異を見せつけるのが目的だったのかも。幾何学的な振り付けだったけど、それもあまり感銘を受けなくて。もっと上手く出来た筈よ!どろろ (1) (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)


とはいえ、私が考えを変えるのにはそんなに時間はかからなかった。どろろ百鬼丸を演じる少林寺の達人は、生のパフォーマンスがどれだけ鮮烈なものか、ってことを見せつけてくれた。実際の少林ファイターによる百鬼丸のアクロバティックな演技は、テ ヅカ以外のどこでも人生においてみる機会がないものだ。そして、それこそが劇場に行く理由なわけ:人生で二度と体験できないような、一度っきりの特別な瞬間に居合わせること。
人生に一度の経験、ってとこで言えば、カンパニー唯一の女性ダンサー、ギュロさんは怪我で限られた役しか演じなかった。ただ、多くのTeZukAを複数公演見た人は、何かが欠けているって思わせずに舞台をやりとげたことに感心していた。私も何かが欠けてるとは思わなかったしね。

Black Jack―The best 12stories by Osamu Tezuka (1) (秋田文庫)
その後のブラックジャックのパートは誰もの期待を上回るものだったと思う。多くの人がそのアイディアを褒めているけど、ボニー・バッスラーのTEDでの「バクテリアはどうやって会話するか」っていう講演を引用してて、 http://on.ted.com/AXCy それが元々の漫画、もしくは手塚治虫の精神と、パフォーマンスの間に、すばらしい結びつきを作り上げているんだ。観る前からブラックジャックが踊るのを見るのを待ち切れなかったけど、それも間違いだったのかもしれない。彼は頭脳派で、今年シャーロキアンはみんな、頭脳派こそまさに新しいセクシーだって学んだ。ここでの最も人気のある頭脳派セクシーはブラックジャックだってことは間違いないし。だから、BJとピノコ―BJより背が高いんだけど―がステージに現れて、TEDの公演を引用し始めた時、すぐに私は手塚のテーマ―魂の輪廻転生―とプレゼンテーションの内容―生命がどれだけ小さくなれるか―を結び付けて、シディ・ラルビ・シェルカウイの意図がなんて正確なんだろうってびっくりしてた。
HUNTER X HUNTER30 (ジャンプコミックス)ところで、日本のオタクの皆様、最近あの少年ジャンプでテヅカに出てきたようなのと似たような表現を見つけませんでした? 我らが冨樫義博ですよ。彼は、インフルエンザに苦しみながら、コアラっぽいキメラアントをものすごく雑な(えっ、インフルの所為じゃない?まぁどのみち、彼は私のお気に入りだし、あの話は完璧だった)スケッチで見せてくれた。コアラ蟻は元々人間で、死体はミンチにされて女王蟻に肉団子として献上されたんだ。それでも、女王蟻から兵隊蟻として新しい生を受けた後も、彼は自分がどんな人間だったのかを覚えていた。彼はこう述べた「小さいという概念は そのものが発し得るエネルギーの総量とイコールではなかった」、なぜなら彼の魂は悲劇的な輪廻転生を経て受け継がれたからだ。テヅカを見た直後だったから、その台詞がすごく偶然のように感じたし、シェルカウイには冨樫にインスパイアされた作品を作ってくれるよう伏してお願いしたい。彼は漫画の歴史で最も優れた作家のひとりだからね。そのシーンは火の鳥鳳凰編で我王が、速魚が死んだ後、生は生で人間とテントウ虫に差異はないって気付いたときのようだった。



火の鳥 4 鳳凰編 (角川文庫)そんでその次に、擬音文字が出る漫画的戦いと、 漫画のコマと、書道にインスピレーションを受けた場面がつづいた。全部うまいこと構成されてると思ったけど、書道を使うのはいいアイディアではないってハッキリ言っとく。外国の人が大好きなニッポン文化を使うことで、舞台がとってもありきたりなものになってしまっていた。私は単に、「あ、それよく言われんのよね」って感じ。日本の筆と、漫画家のペンの間には何のつながりも感じない。筆を使う漫画家ってすごく稀だし、黒田硫黄とか数人しか知らない。いっぽうで、空から落ちてくる紙の巻物はとっても神話的で、シェルカウイが紙を、神のおはしますであろう天上からのメッセージとして使用したのは正しい選択だ。


2幕の始まりも頭をぶっとばされた。もともと1幕でも、美しいピルエットの所為で、彼からは目を離せなかったけど、ダニエル・プロイエットの美知夫(MWの)の描写はすばらしかった。何人かは日本人って思ったんじゃないのかな。髪は黒いし痩せ型たからそう見えたかもしれないけど、体の柔軟さと滑らかなダンステクニックは他のダンサーとは一線を画していた。インタビューでシェルカウイは手塚のキャラクターは二面性があるから好きだと答えていた。私はウォッチメン、V・フォー・ヴェンデッタダークナイトが好きなんだけど、それでも一般的に、日本のコミックスでは一人のキャラクター内に両義性を見出せるのに対し、欧米のコミックスは邪悪な悪役vs良いヒーロー、って状況が多いのは事実って言えると思う。美知夫のダンスの中に私が見出したのも、アンビバレントなもので、潔白/有罪、無垢/蠱惑、男性/女性、外国人/日本人、といったものだった。正直、見た目的な再現が上手く言っていなくっても驚かなかったと思うし、HUNTER×HUNTERの絵が雑だろうが、舞台上のブラックジャックが思ったより格好良くなかろうが(ごめん…彼って漫画読者の理想の男性なのよ!)好きだし…でもダニエル・プロイエットのやった人物描写の完璧さをもしあなたがみたら、きっとぶっ飛ぶだろうね。
MW(ムウ) (1) (小学館文庫)


2幕では、スクリーンに手塚の重要なシーンが並んだ。MWのベッドシーン、ブッダのオープニングでのうさぎの自己犠牲、火の鳥から、マサトの前で死ぬムーピー、そして私が聞いた事もなかった人間昆虫記。1幕ほど台詞の部分は多くなかったんだけど、鉄腕アトムの終わりの部分で森山未來が彼の苦悩と決断について語ってた。手塚治虫の戦後の人生はそれまでと大きく違うもので、彼は自由の元で、人間が善であれるかどうか確かではなかった。それが鉄腕アトムの問い、「自分は人間を助けたいのか、それともそうプログラムされているだけなのか?」に埋め込まれた。鉄腕アトムのアニメのラストシーンで、アトムがコントロールを失ったロケットを、自分がもう戻れないだろうと知りながら、太陽に運んでいくシーンが上演された。彼の犠牲は、彼が善であることを選択した、と、証明するものなのか? 私には見分けがつかなかった。実際、鉄腕アトムの最後についても知らなかった。アニメーションって、何十年もあとに追いかけるのは、漫画と比べて難しいよね。
火の鳥 2未来編 (角川文庫)


グラフィック・アーティストが漢字を逆向きに作り上げていったのは、少し変な感じがした。ディズニーのムーランの変なタイピングみたいだったな。アーティストが日本人だってのは知ってるけど、すごくステレオタイプだって感じもして。ほんとにいくつかのシーンしかいいな、って思わなかった。擬音文字がキャラクターのシルエットになったところとか、ステージ上のキャラの大きさに合わせ縮んで、人間ってコマに入れておくには大きすぎるな、って思ったとことか。とはいえ、今までみた劇場のスクリーン作品では一番よかったけどね。もともと、その発想が好きじゃなくて、特にアンドリュー・ロイド=ウェバーの作品に出てくると最悪だね(何の作品だかわかる人もいるでしょう)。



終幕もやっぱり書道つながりで、1幕と同じことを思った、私は漫画と書道に関係があるって思ってないから、ちょっとステレオタイプだなって。紙/神のアイディアは好きだけどね。終わりはとっても繊細で、手塚への壮大なオマージュ。今までで最高のトリビュートのひとつである事は間違いないだろうし、日本人じゃない人によってなされるなんて思うもしなかった。そりゃ、聖おにいさんがいい仕事したってのは知ってる、パロディだけど、そんでもって大英博物館でも展示されてるしね。でもこっちのほうがもっとすごいぜ、みなさん、テ ヅカは文字通りロンドンだけじゃなく、世界中を旅して回ってるんだ。こんなことが起こるなんて誰が想像した? だからこの文は漫画好きの皆様に向けて終わらせたいと思う。わかるよね? みなさんともっと劇場でお会いしたかったよ。なんで劇場好きの人の感想ばっか読んでんだ私は? 私の隣に座ってた女性は手塚作品を読んだ事もなく、借りたブラックジャックを何年も読んでないままだ、って言ってたよ。そんな彼女ですら劇場に来た! もしだれかオタク側からの感想を見た人がいたら、教えてほしい。そして私の間違いを正してくれ。オタクと舞台好きがこんなにも分離されているのは、自然とその両方でいる自分にとってはとても不思議に感じられるのでね。人間昆虫記 (秋田文庫―The best story by Osamu Tezuka)


(以上のとおり、日本語版も書いたが、その際かなり英語の間違いをみつけた。訂正は今後します。なんか英語の文を書いて精神的ハードルの高さが、日本人が英語しゃべれないとかいう原因のひとつじゃないかと思えてきた。)

TeZukA 3月26日@渋谷Bunkamura オーチャードホール Review in English

なんとなく英語の方が書きたい事が書けたのと、やっぱ英語下手だけど漫画とダンス両方をそこそこ抑えていて英語もそこそこできる手塚と同じ国籍の人ってのが自分くらいしかいないかなと思って書きました。かなり急いで書いたので文が長すぎて変になってるところもあるし、いつも時制から冠詞まで間違いだらけで恥ずかしいので、いずれどこかに移管するかも。



I wish I was wrong, but at the Orchard Hall in Shibuya, there seemed to be less manga fans than theatergoers. My twitter timeline is consisted of 30% of Manga related people, 30% of theatergoers, 30% of cycle road race fans, and 10% others, and the timeline made me think that it might be true that only theatergoers went to see TeZukA.

Astro Boy 1 & 2 (Astro Boy (Dark Horse))
So let's put it straight. TeZukA was a great challenge and an inspiring work. As many mentioned, the show included so many 3.11 pieces, actually 3.11 & nuclear topics pretty much occupied the long opening script read in French. Obviously, that is very Tetsuwan Atomu (Astro Boy) who has that lost technology within himself. 3.11 must have been the biggest inspiration for Astro Boy's part, but that is not the reason why I loved this stage. Honestly, Astro Boy or 3.11 was just OK, or less impressive for me compared to the other parts, and even though I felt the portrayal of Astro boy at the opening was doubtful and distracting, the show got better as time passed, and eventually I found that many leads are beautifully organized in many ways. I'm unsure why they made a middle-aged, shaved-hair guy portrait Astro Boy. I mean, even will.i.am has shown off some Astro Boy figures. Perhaps they didn't intend to portray Astro Boy, but meant to depict the difference between the human body itself and an artificial body- reminds us of the classic "999", right? The move was geometric, and for me that wasn't very impressive. They could've done that much better!


Dororo
However, it didn't take long before my mind was changed. Shaolin master to play Hyakki-Maru from Dororo simply showed how brilliant live performance can be. An acrobatic play of Hyakki-Maru by a real Shaolin fighter is something that you will never meet anywhere but TeZukA in your life. And that's the purpose of goint to theater; to find something unique, to be there for the one special moment you will never have in your life.

Speaking of once in a lifetime opportunity... Guro, the only female dancer from the company got injured and did only limited parts. But many who had seen several stages of TeZukA were surprised how well they managed without making audience feel any lacks. I didn't feel anything lost either.


Black Jack, Volume 1
The following Black Jack part would surpass anyone's expectation. As many have already praised the idea, it quated a TED presentation by Bonnie Bassler named "how bacteria talk", http://on.ted.com/AXCy and that built a great connection between the original Manga, or spirit of Tezuka Osamu himself and the performance. I couldn't wait to see Black Jack dance before I saw the show, but I might have been wrong... he's brainy, and all the Sherlockians learned that brainy is definitely a new sexy this year. And I have no doubt that Black Jack must be the most popular brainy sexy here. So, when BJ and Pinoco - whose height was higher than BJ - appeared on the stage, they started quoting the TED presentation, and immediately I linked a theme of Tezuka - reincarnation of souls - to the presentation, - how small life can be -, and amazed by the accuracy of Sidi Larbi Cherkaoui's intention.
By the way, fellow Japanese otaku, didn't you find some similar expression recently of the famous Shonen Jamp, which appeared on TeZukA too? Yes, it's our Yoshihiro Togashi. Being suffered from flu, he showed us a story of Koala look-alike Chimera ant with a very rough sketch (oh it's not because of flu? Well, still, he is my most favorite manga writer and that episode was perfection). The Koala ant used be a human, and his body was minced to be served to the queen ant as a meat ball. But he still reminded how he was like as a human after he started a new life as a soldier ant born by the queen. He stated that "The concept of "being small" is not equal to the total amount of energy something small can produce 小さいという概念は そのものが発し得るエネルギーの総量とイコールではなかった", since his soul was succeeded after a tragic reincarnation. Right after I saw TeZukA, that line felt like such a coincidence to me, and I am begging Mr Cherkaoui to make some Togashi-inspired works, as he is one of the best writers in the manga history. That is very much like what Gaoh found after Hayami's death in Phoenix's masterpiece, Episode Ho-o (Chinese origin another name for Phoenix) that life is life, and there's no difference between human and ladybag.
Phoenix: Karma vol.4 (Phoenix)

Well then, Comical fights with onomatopoeic characters, moving Manga frameworks, and Japanese Calligraphy inspired works followed. All seemed well organized, but I must say that using Shodo (Japanese Calligraphy) is not the best idea. That made the stage very typical, by using something Japanese that foreigners always love. I was just like, "Oh we get that a lot". I see no connection between Japanese brush (筆) and Manga writers' pens. Using brush is very rare for Manga writers , I know only few, like Ioh Kuroda. On the ther hand, the paper rolls that kept falling down from the top seemed very mystical, and that's right that Mr Cherkaoui picked paper (Kami 紙) as a kind of message from up above, where God (Kami, but different character, 神) might be.

新装版 大日本天狗党絵詞(3) (アフタヌーンKC)Act 2's opening was mind-blowing. Of course I couldn't keep my eyes off from him in Act 1 either because of his beautiful pirouette, but Daniel Proietto's Michio (from MW) portrait was incredible. Some might have assumed he was Japanese. His dark hair and skinny body might look like so, but his flexibility and smooth dance technique stood out from other dancers. In the interview Mr Cherkaoui answered that he liked Tezuka because many characters are two-sided. Even though I'm crazy about Watchmen, V for Vendetta and Dark Knight (I mean, these are diverse), yet I would say that's true that western comics tend to have "evil villain vs good hero" situation, while you can find both sides in one character in some Japanese manga *1 What I saw in Michio's dance was also ambivalent, innocence/guilty, purity/seduction, male/female, foreigner/Japanese. I wouldn't have been surprised if the portrait wasn't visually accurate, and actually I liked HUNTERxHUNTER even though the drawing was way too rough, or Black Jack on the stage wasn't cute as I imagined (sorry...he's an ideal man for manga readers! But on stage he was brainy-sexy if he opened his mouth!). But if you could see a portrait as perfect as what Daniel Proietto did... you'd be just blown away.
MW

In the Act 2, the screen showed some essential pieces of Tezuka, including MW's bed scene, Buddha's opening with the devotion of a rabbit, Moopie's death in front of Masato from Phoenix, a dead slave deliverling rice to lord, and Human Insect which I hadn't even heard of. The readings wasn't as big as it was in Act 1, but the finale of Astro Boy, Mirai Moriyama explained what Astro Boy was suffering from, and how he came into a decision. Osamu Tezuka's life after the war was so much different from what it used to be, and the writer wasn't sure if human can choose to be good in the freedom. It was built into the Astro Boy's question, "Am I willing to help people, or am I just programed to be so?" They presented the last scene from Astro Boy animation version, where Astro Boy brought an out-of-control rocket to the sun knowing he might not be able to return. Did his sacrifice prove that he chose to be good? I couldn't tell. Actually I've never heard of Astro Boy's ending before, animation is much harder to track than comic books after a few decades. One thing I am sure is TeZukA lacked a sight toward a very important Japanese mentality; devotion. We devote ourselves to a lot of things, commonly to work, and many killed themselves without quitting/escaping. Tezuka sometimes described these value as a beautiful thing as seen in Buddha or Astro Boy that I mentioned above. Astro Boy's decision to sacrifice himself might be brave, strong, but a weak person can do the same. I didn't like Astro Boy's part both in Act 1&2. Phoenix, Volume 2: A Tale Of The Future (Phoenix (Viz))


The way the graphic artist typed Chinese characters in the inverse order was kind of odd, reminded me of the strange typing scene in Disney's Mulan. I know the artist is Japanese but it felt so much like stereotyped. I only loved few scenes, when onomatopoeic graphics formed a silhouette of a character, or when framework moved to fit characters on the stage and made me feel that the actual human beings are just too big for these frames. Yet, that was the finest screen work on theatrical work I've ever seen, as I usually hate the idea, especially when it's on Andrew Loyd Webber's work (some would know what I'm referring to).
Buddha, Volume 1: Kapilavastu


The ending was also with Japanese calligraphy, so I felt the same thing as Act 1, like it was a bit stereotyped because I found no connection Manga, but I liked the paper/god (Kami/Kami) idea. A very sensitive ending that paid so much homage to Tezuka was absolutely the best tribute ever paid. I can't believe that was to be done by non-Japanese. Yeah I know Saint Brothers (聖おにいさん) did a great job too - as a parody - and it's been exhibited in British Museum, but this is far beyond that. People, TeZukA is literally traveling around the world not only London. Who imagined this? So I'd like to end this review with a word for Manga lovers. You know what? I really wanted to see you in the theater. Why am I getting reviews by theatergoers only? A lady sitting next to me said she had never read any Tezuka work and she'd been keeping rent Black Jack unread for years. Even she came to the theater! If anyone find a review from Otaku side, just let me know and prove me wrong. It just feels so odd that we, I mean, Otaku and theatergoers are divided like this, because I am both of them very naturally.Book of Human Insects








聖☆おにいさん(1) (モーニング KC)

*1:Expanded information. If Japanese character doesn't seem ambivalent to you, it might be you are focusing on popular comics. People who read One Piece, Naruto, Dragon Ball or even Osamu Tezuka are not considered as real Otaku (comic nerd) here because it's too popular. It's like saying you are crazy about music by only listening to Katy Perry and Maroon 5 (I love them both). Popular comics tend to feature a passionate, straightforward hero. But basically, comics are for underdogs and it has a deep observation for human being. Many adult male comics focus on losers, and female comics likes gender related issues, gay relationships, biological mavericks. I simply don't know why foreigners like Naruto that much, it's one of the most boring comics on Weekly Boy's Jump right now. In Western culture, I believe musicals are for underdogs, and that made me a big musical fan.

新感覚劇「スリープ・ノー・モア」の衝撃――廃墟ホテルで役者とゼロ距離で「マクベス」!


Twitter(といってもあまり呟いていない)では少し書いたが、NYに行ってきた。とはいえ、大人になってから年に2回海外にいくのが当たり前になったので、記載していない旅行/出張も多いが。NYに対しては実は大して思い入れはなく、それが何か書こうと思う気力に繋がっているのは不思議な事だ。私は初めて行った都市でもあるロンドンが大好きで、ロンドンを歩いていると人生の幸福をひしひしと噛締めるのに精一杯で、日記どころではない。NY街歩きでは殺されないように身を守るほうが先決で(移民文化は大好きなので、誤解しないで欲しいが、私は飛行機も苦手の大の怖がり)、結果残された部分が際立つのかもしれない。とにかく、普段は引き篭もりな私がこれだけ旅行しているということも、大して好きでない都市については色々と書けるということも、すべて私の中では理屈に適っている。


さて、そんな中でもTwitterで自分がフォローしているアメリカのセレブリティたちが盛り上がっていた「Sleep No More」だけは、NYで絶対にしたいこと、として出国前から大いに期待していた。


New York Postなどによると、Trey Parker(サウス・パークの), Kim Cattrall(SATCの、2名ともブロードウェイで仕事してたが), Kevin Spacey, James Franco(言わずと知れた)、 Amy Adams魔法にかけられて等。マペッツ公開まだ?)、Justin Timberlake、Cate Blanchettなどなどのセレブリティも観劇を楽しみ、またオフィシャルサイトのゲストブック(ホテルという設定)にもDita Von Teese(マリマン元妻)、Olivia Wilde(トロンとか)、Neil Patrick Harris(HIMYM、トニー賞2011司会)、Anderson Cooper(司会者)、Elijah Wood(指輪物語シリーズの)からのコメントもある。NPH曰く、「Saw Sleep No More tonight. 1 of the single greatest things I've EVER seen. Immersive theatre on a whole other level. www.sleepnomorenyc.com-Neil Patrick Harris(Sleep No Moreを今晩見たよ。今まで見たものの中で単体として最も素晴らしいものの一つだった。全く別のレベルでどっぷり浸かりこめる劇だ)」とかなんとか。私が本当に興味を持ったのはTIME 2011 TOP 10で5位にランクインした時だったが。


とはいえ、一番の目的が舞台鑑賞だったため、20:00台の公演は別のチケットとの兼ね合いで見れなかった。結果として、23時からのチケットで3時間……終了は朝の2時という公演に行く事になった。NYで。その時、死んでも仕方がないと腹だけは括ったのは言うまでもない(怖がり)。


戦火の馬思うに、「観賞」のスタイルは完全に二極化している。一つはTVや映画館から垂れ流しにされる情報に無選択に寄り添う人のためのものだ。大抵は映像の形を取って現れるが、症状が悪化すると、自由に散策できるのがウリのはずのインターネットでもAKBのメンバーのブログのチェックやmixiの農場の手入れに忙しくなる。もう一つはマニアックでお金もかかり、映像みたいに気軽に毎日見ることもできないが、探し当てたときの喜びが倍増するナマモノの鑑賞だ。*1。しかもナマ鑑賞のスタイルはさらに進化している。最早観客は怠惰にまかせるがままクッションのきいた席に身を沈める事すら許されない!殺人が起これば捜査し、閉じ込められれば脱出する……そうじゃないか?実際私はその手のイベントに参加していて、脱出ゲームや謎解きゲームに頻繁に出没している。アメリカのボックスオフィスの売り上げでは、一人当たりの単価がIMAXと3Dで16年前よりも倍増したのに、16年ぶりの低水準の売り上げで終わってしまった。打って変わってウエスト・エンドもブロードウェイも、劇場の売り上げは好調だ。2011年のトニー賞を受賞した4つの作品(ミュージカル作品賞、ミュージカルリバイバル作品賞、演劇作品賞、演劇リバイバル賞)のうち、ミュージカルリバイバルのAnything Goesを除いた3つ(The Book Of Mormon, War Horse aka 戦火の馬、そしてThe Normal Heart)はすべて映画化される。その他にも、レ・ミゼラブルを筆頭とした数え切れないくらいのミュージカル作品の映画化が待っている。
Sleep No Moreに関するレビュー(特に日本語)を読んでいると、ネタばれを知らない方が良いだろうから、読むな、というレビューも多いけれど、私の感想は、ある程度ネタばれを知っていた方が良いというものだった(私が怖がりなこともある)。一応「マクベス」である以上、誰が「マクベス」「レディ・マクベス」なのかを知っているのといないのでは、大きく感想が異なると思う。"Sleep no more, Macbeth has murdered sleep!"のシーンは、NY滞在期間に見た計9公演の中でもとりわけ印象的なハイライトだった。
というわけで、以下は、1.行く前に知りたい情報(見どころ、キャラクター、本当に怖いのか?、周辺の治安、チケットの取り方、1人で行った場合/2人以上で行った場合)について、2.ネタばれ実際に行ってみた感想、の2つに分けて記載したいと思う。


1.行く前に知りたい情報
(1)見どころ
Sleep No Moreを知らない人、行くかどうか決めそびれている人がいれば、個人的には猛烈にオススメしたい。少なくとも月1回くらいは舞台に足を運ぶ生活が、もう何年も続いているけれど、新鮮な驚きがあった。「参加型」の演劇、とは聞いていたけど、こんなネタバレが許されるのであれば、私が評価する点は、実はパフォーマンスの9割が……「ダンス」だってことだ。そして私はダンスの熱狂的なファンである。結構日本語の感想では「役者」「役者」と言われているが彼らは(パンフレットにも記載があるが)プロのダンサーである。もちろん、ダンスに興味がない人も、きっと楽しめる。ちなみに、台詞はほとんどない。
マクベス (光文社古典新訳文庫)
(2)キャラクター
個人的な印象だが、キャラクターは知っていったほうが良い。10人くらいいるので、良くわからないキャラを追いかけると、マクベス夫妻を3周目まで見ないで終わることもありえる。原作で中心となるプロットを追いたい人は、マクベス夫妻とダンカン、バンクォーくらいは押さえておいた方が良い。特に、重要な事件が起こるマクベス夫妻の寝室はWSJの記事のトップの写真でも見れるのだけど、知っておいて損はない。お風呂もあって、階は3階。原作は、短いので頑張って読もう。私は、光文社新訳文庫のものを買った。
(3)本当に怖いのか?
めまい ― コレクターズ・エディション [DVD]
他に、日本語の感想でよく言われている「お化け屋敷」。歩いて回るお化け屋敷には行ったことがなく、ホラー映画も家ですら見れず、ディズニーのホーンテッドマンションですら、墓の後ろから出てくる死体が苦手。つまり、ビックリするのが嫌いな私なのだが、たしかにおどろおどろしい美術品で溢れかえっている”マクキトリック・ホテル“(映画ヒッチコックの「めまい」から)は、特段私を驚かそうという意図は感じられない。こっちが勝手にビックリしているだけである。一番ビックリしたのは、別の階に役者を追いかけ、新しい階に入るとき、数メートルばかり暗い迷路のようになっていて、そこに稲川淳二ライトを従えたマリア像がいた時である。マリア様に「ひぃっ」っとなる不謹慎な体験をしてしまったが、淳二・マリアはありとあらゆるところにいるので、次第に慣れていった。とはいえ、このビビリ性が災いし、降ろされたのが3階だったため、おそらく6階などは殆ど探検していないと言ってもよい。0〜1階は吹き抜け形式のダンスホールであるため、あまり怖いものはない。なお、観客が最初に通されるのは2階のバー(ジャズを演奏している)で、階は0〜6階の計7階。詳細はファンが作っているガイドのWikiでも確認できる。http://mckittrickhotel.wetpaint.com/
(4)周辺の治安
ところで、周辺の治安についてだが、チェルシー地区は、元々クラブが多く、夜でも人出はある。ホテルの出口には何十人と観客がおり、タクシーを捕まえにメイン通りに出ると、あなたとタクシーを捕まえる競争をするたくさんの外国人がいる筈だ。私は結局色々あってタクシーを捕まえるときには一人だったが、何の恐怖も感じなかった。とはいえ、この劇のジャズバーでピアノを演奏している日本人の方のブログでは、周りを歩いていてお金をせびられたという記載があるから、安心はしないほうがよいだろう。
(5)チケットの取り方
チケットについて、1ヶ月先の公演でも売り切れのこともある。15分刻みでチケットを売っているが、探索の時間が長いか短いかだけで、劇は同じ時間に開始し、同じ時間に終わる。探索が短くても問題はないと思うが、いくつかの部屋は何分も見ていて飽きない芸術品となっているので、好きな人は早めに行こう。ちなみに、劇は、調べればわかることだが、同じ劇を3回上演する。入場前にクロークの利用が必須なため、まずそこで時間を食う。難しいかもしれないが、水分補給もトイレも両方きちっとやっておこう。クロークから出るときには何十ドルか持っておくと、バーでお酒を買えるが、お酒が弱い私はお水をもっと飲んでくるべきだった。3時間階段を上って降りて走って役者を追いかけるのだ!のどが渇いて、三周目ではきれいかは分からない噴水の水を手で掬って飲んでいた(笑)。そんなことをしている人は周りにはいなかったけど。なおどの部屋にも黒い仮面をつけたスタッフがおり、Too muchと感じたらいつでも申告して2階に戻ったり、出たりできるらしい。
ちなみに、私はチケットが取れなかった。ので、よくよくみると公式サイトに書いてあるFor inquiries regarding access to evenings that are sold out on our calendar email: premiumaccess@sleepnomorenyc.com にメールをして162.5ドルでプレミアムチケットを買った。正直、そんなに高い金額ではない、来日公演などは暴利だから。時差の関係でメールは1日1通となってしまうため、最後には電話して取った。AMEXやVISAで決済できる。プレミアムだと15分刻みに関わらず、並ばず優先入場できる。チケットはなくても名前を言えばよい(入り口の人がPDAを持っていて調べてくれる)。その後クロークの列も無視して裏側から荷物を預けてよい。クローク利用代も取られない。
(6)1人で行った場合/2人以上で言った場合
そう、「仮面」。この劇では観客は白い仮面をつける。鼻が低い日本人には息苦しい。しかしこれが観客側からエスニシティを取り除き、いつもと違う演劇体験をもたらす。仮面をつけていない人は、役者。役者を見つけると、異様に興奮して、思わず追いかけてしまう。最初はこの仮面にギョッとするので怖いのではないかと思っていたが、むしろ仮面を見ると「仲間だ」とすぐ安心するようになる。どうせ何百人もいるので怖がることはない。厄介なのは2人以上で行った場合だ。確実にはぐれる。そもそも最初から、配られたトランプの数字を元に入場するように言われるし(無視してもよい。特にチェックはない)、また最初に乗るエレベーターでは高層階から数人ずつ降ろされていくので、余程ピッタリくっついていないとこの場ではぐれる。その他はぐれるチャンスは山ほどある。手をつないでいるとその分、役者の方を見失うだろう。だから、気になる役者を絶対に追いかける方を選ぶか、マクキトリック・ホテルの外でも一緒にいることができる連れと、仮面を被りながらもはぐれないようにするという無理ゲーを楽しむかは、そう難しい問題じゃない。それでも手を取り合っている仲むつまじい友人やカップルもいる。ちなみに、そんなカップルの無理ゲー難易度促進のために(?)、会話は禁止されている。


2.実際に行ってみた感想(ネタばれ)
騙されて買ったパンフレットに、「ヌーヴェルヴァーグの音楽にインスピレーションを受けた」という製作者のインタビューが載っていた。ここでは書いても伝わらない最大の魅力は、音楽だ。何も起こらない、廃墟の探検から、ほら、ストーリーが語られるよ、と誘ってくれるのは音楽だった。気がついたら、目の前に小間使いのような格好をした金髪の女性が立っていた。目の周りを黒くアイラインが縁取り、小奇麗なメイド服と、反抗的な目つきのギャップがすごい。彼女は、手紙をバスタブのふちにかけて、私を睨み付けた。私のことは、見えていないのではないのか……?体がすくんでいるうちに、彼女はどこかに行ってしまった。慌てて追いかける。最初に一人で探検したお墓を通っていく。怖いから、絶対に役者とははぐれたくなかった。彼女は、ミニチュアの墓標の十字をポキッと追っていった。やっぱり、怖い人だ。階を下りて、調度品の設えられた、豪華な寝室に着くと、なにやら写真立てを見つめる彼女。子供だ。きつい印象の表情が、ふと和らいでいる。きっと、彼女自身が感情を押し殺していたに違いないのに。
掃除をしていると、主が帰ってきた。これは後にわかったのだが、ダンカンであった。ダンカンと踊るメイド。寝室で、ソファに腰掛けていた観客もいたが、今はそこはダンスステージと化していた。さっきまで、自分が座っていたところに、演者がいる不思議な感動。ダンカンは酔っているようで、メイドを誑かしながら、寝てしまう。メイドは心の奥底では、ダンカンを馬鹿にしているようであった。キスされた唇を、汚いもののように袖で拭い去る。
そのまま彼女を追って、2階へ下る。そこには男性がおり、彼を見て彼女は激怒する。ドアを取り外し、彼に襲い掛かるように……踊る。この「ドアのパ・ド・ドゥ」でまた度肝を抜かれた。ドアの上半分は、窓ガラスのない、格子だけになっており、そこから腕を出してリフトしたかと思うと、メイドが男性に襲い掛かるように、ドアの上にのしかかる。男性は、ドアを押し返すと廊下の端まで十メートルは移動する。振付は、音楽にピッタリと合っていて、とてもレベルが高く、しかも見たことがないようなものだ。そのたびに、マスクを付けた観客は、邪魔にならないよう移動する。目の前の光景に圧倒されつつも、このときは、15人くらいしか観客がおらず、不安でもあった。何が面白いことなのか、よくわかっていなかった。何階あるのかもわからないビルで、他の階に行くのは怖いし、役者と一緒に移動したい。しかし、他にもっと面白いことがあるから、ここには15人くらいしかいないのかもしれない。ところが実際、3周目でもう一度このPDDの脇を通りがかった時は、50人ばかしの溢れんばかり人であった。その時、1周目、少ない人数のおかげで、近くでその演技を見ることができたことに感謝したが、後からだから言えることである。
そこで、今度は男性を追っていくことにした。イケメンだが、何をそんなに恨まれているのだろうか。彼はグラスからウィスキーを飲み(本物かどうかは知らない、のどが渇いた男性がそれを普通に飲んでいて、微妙に劇の妨げになっていた、引き出しも、壁の絵も、全て触ってよいことになっているので)、女性と落ち合った。妊婦だ!ということは、彼はマクダフだ。妊婦なのに、マクダフ夫人も踊る、踊る。ソファを2つ飛ぶように行き来するPDDも面白かったが、本棚の上と天井の間、1・5メートルくらいの幅で踊るのも面白かった。本棚の上で人が踊るのを見たことがあるか?……自分でも思っても見なかったが、意外にもそんなものが私が見てみたくて仕方ないものだった。潜在的欲望ってやつだ。そして見たいなら、Sleep No Moreに行くしかない。
に、しても、マクダフ、妊婦と結婚しているのに、メイドに怒られていた……メイドは、子供の写真や、ぬいぐるみなんかに愛着を示していたぞ。そしてマクダフとメイドは喧嘩をしていた。このイケメン、悪い男の予感がする。
さて、彼女たちはコートを着て、おめかしをし始めた。マクダフは汗だくのシャツを脱いで、着替えた。そして0階のダンスホールへ。こんなに役者がいたんだ!2人1組でダンスを踊っている。黒人もいるぞ。男性同士のペアもあるけれど、難易度の高いリフトを軽々とこなしていて、ダンスの決闘みたいだ。他の人と同じ振付でも、違って見える。妊婦のマクダフ夫人は、少し踊ったけど、大事を取って端へ(とはいえ周りに仮面の観客が何十人といる)。私も気になるので近くへ。女性と踊るマクダフに、あまりいい顔をしてはいない。のどが渇いて、ダンカンのメイドから飲み物を受け取って飲んだ……と、案の定、すぐにクラクラと来て、最終的には私のほうにバターン!と倒れこんできた。思わず手が出てしまった。それどころか、白人の男性は、一応ルールを守りながら、それなりに介抱までしていた。頭を高くしようとすると、起き上がりたそうなそぶりだったので、彼が助けて起こした。もちろん、お礼とかはない。具合が悪いから帰るわ……といったそぶりで、コートを着込む夫人。ドリンクのお盆を持ったメイドが、アイラインに囲まれた、冷ややかな視線を夫人に送ったのを私は見てしまった。絶対犯人おまえだよ! しかし、周りの人は夫人が倒れたことすら知らない人もいるだろう。メザニン階から見ているひともいるし……


これで1周終了。


1周が終了した時点で、少し焦り始めた。マクベスを見に来たのに、マクベスが誰だかも判ってなかったのだ。やはり事前の下調べは大事で、Yelpで読んだ、3時間で同じ劇が3周するという情報、そして日本のブログ経由でみたベッドで踊るマクベス夫妻の写真、これは本当に役に立った。あのベッドは最初にメイドが手紙を置いていったバスタブがある部屋だ。しかも50平米はある、かなりの広さの部屋。周りがお墓に囲まれていたけど、もうあまり怖くなかった。怖いものが散在しているけど、驚かそうという意図はない。気を強く持つのだ。
色々と散策して回りながら、バスタブの部屋にたどり着くと、外から見て分かるくらい、大勢の人がマクベス夫妻を凝視していた。この人がマクベス!正直見た目はラスプーチンみたいだった。顎鬚があったからだ。2人は壁際に置かれた箱の段差を利用して、おたがいを投げあうように踊っていて、何段か積み重なった木箱の上で、マクベスの腕に夫人は臆することなく飛び込んでいく。振付としてもかなりの難易度だったと思うが、二人の投げやりな熱情をひしひしと感じた。夫人はありがたいことに写真で見たのと同じ青いネグリジェだった。ようやく話の確信に近づいた! しばらくすると、マクベスはどこかへ行ってしまったが、私は夫人のファンになってしまい、彼女を見ていることにした。そう時を待たずして、その瞬間は来た。鐘の音が響いたのだ! 原作を読んでいる人には、すぐにわかるだろう。夫人は、明白に取り乱し始めた。期待による狂乱と、恐怖による戦慄が、入り混じっている感じだ。2つの出入り口があるこの部屋で、彼は階段から続く入り口を通って現れた。両手が肘まで血でべっとりと汚れている。部屋を埋め尽くす観客は、入り口の前にも立ちはだかっていたが、ぎょっとして道を空けた。そこに、彼を追って下階から上がってきた仮面たちが流れ込んでくる。マクベス夫人は、慌てながらも、夫の顔をなで、彼を落ち着かせ、服を脱がせ(そう、この劇にはポロリもあるよ!)、バスタブの中につからせて、血を洗い流した。服を着替えさせ、眠りについたが、やがてマクベスは起き上がってどこかへ行き、婦人はバスタブを掃除したあと、着替えて4階へと向かった。バスタブの足元には、メイドが置いた手紙が落ちており、水で滲んでいたけれど、自由に読むことができ、回し読み状態になっていた。うん、筆記体で3枚も書いてあるから私は読めなかったけどね!!
4階で夫人はなにやら演説を始め、狂気をありのままに発露し始めた。観客にいきなり、「あんた、今しゃべったでしょう!何を言ったの!」とたてつく場面も見られた(本当に喋っていたかどうかは知らない)。そこでまた、一度はぐれたマクベスと再会。マクベスはまだ取り乱している。その後、0階に降りる。今度はダンスホールでダンスパーティーではなく、最後の晩餐のような食卓で、彼らの食事(スローモーションで逆光でよく見えない)を見る。そこで乱入者があり、一団は解散した。原作の運びから、乱入者の目星はついていたが、確信はできなかった。


2周目終了。


3周目、私はマクベスを追うことにした。顎鬚の殺人者を見逃さないよう、しっかりと見つめていた。彼は、ダンスホールの脇によけてあったクリスマス・ツリーのようなものをダンスホールの中心に押し戻していた。気持ちが悪いほど、地面に這うように、ゆっくりと、ゆっくりと……暗くて、彼も観客も、ほとんど見えない。ゴキブリのような所作から、髭も確認できず、これがマクベスなのか、数分間疑い続けた。その後ようやく、食卓の向こうから一筋差す、痛いほどの光のなかに、彼は立って姿を現した。そして周りの森を見渡した。怒っているのが、こちらにも伝わる。観客は20人くらい。彼が私を見ている。私はてっきり、私の後ろからさす光源を見ているのだと思って、後ろを振り向いて確認した。そしてマクベスの方を向き直った時、マクベスは駆け出して私の目の前まで来たと思うと、肩をひっつかみ、口を私の右耳に当て、抑制された、しかし激憤に満ち満ちた声で、「Thou'lt be afraid to hear it. My name's Macbeth!」と囁いて走り去っていった! 他の人は何を言っているのか解らなかっただろう。しかし、森が動いたことを知り、全てを悟ったマクベスの咆哮を、私だけが知ることが出来た。こういった一回性が、最高に面白いと感じた。
マクベスを追ってはみたものの、しばらくすると一度見た夫人とのダンスになってしまった。大体、10分は時間があると感じたので(時計は持っていなかった、後悔した、携帯でもいいから持って行こう)、別の階を探索したりしていた(しかし、日本に帰ってから見てみると、5,6階はほとんど行った記憶がない。3人の魔女がマクベスを誑かすのは5階で行われていたらしいが、私は最後まで魔女がいたのかどうかすら解っていなかった)。
4階などでは一応、ダンスが行われているが、彼らが誰なのかも、よく解らなかった。どのみち、話の本質から逸れている気もしたので、2階をうろちょろしていると、ダンカンが、最初にメイドとキスをしていた豪華な寝室の横にある小さな帳で眠るところだった。ちなみに、その時ダンカンがダンカンだという確証は、7割くらいで、一番年長の役者で、かつメイドがいることくらいしか根拠はなかった。
帳の横には手水用のボウルが置いてあり、のどが渇いた私はそのボウルの脇に立って、水をいじくっていたが、暗くてよく見えなかったけれど中に綿のようなものが入っていたので、触るのをやめた。と、そこにまさに偶然に、狂気に取り付かれた目をし、足元も覚束ないマクベスが乱入してきた。帳を囲む人々を押し分けて、ダンカンの体に覆いかぶさると、クッションを使って窒息死させた。マクベスは3回の殺人を行うのだが、3周目にしてようやく人を殺しているところに立ち会えた。ちなみに、帳の中に座って休んでいた人たちもいたので、思いがけない近距離で人殺しを目撃することになった。と、そこで鐘の音が鳴り響き、マクベスは立ち上がり再び私の傍――にある手水のボウルへと立ち寄り、ボウルの水で手を洗った。とはいえ、実はこれが、2周目で見た彼の手を覆う血の正体。暗くて見えなかったが、あの水は全て血のりであり、彼は自身の洗ったはずの手が血でべっとりと汚れているのをみて半狂乱に陥り、レディ・マクベスの元へと逃げ帰ってゆく。そこからは、2周目で見たお風呂での洗い流し(……ポロリもあるよ!)のシーンの通り。ダンカンの死体がどうなるのかも知りたかったが、とりあえずマクベスを追い、その後は2周目で見たところなので別の階を散策していた。
そこでまたも偶然、マクベスが誰かと喧嘩をしている場所に居合わせた。男性同士の、ビリヤード台を囲んでのダンス。繰り返されるリフト、バーカウンターやビリヤード台を活用しての、上下の移動が面白い。格闘するかのような、激しいPDDの末、バーカウンターの向こうで、レンガで殴り殺される男性。その時、彼がバンクォーだと確定した。
マクベスを追っていくと、これも2周目で見た、狂ったマクベス夫人とマクベスの再会へ。ここで、また別の部屋の散策などをしていたが、殺されたバンクォーの亡霊(原作通りの展開)が「マクベース!」と大絶叫しながら私の横を通り抜けていった。そして、またしても0階の「最後の晩餐」へ。乱入した男性がバンクォーだと確信し、また私の目前で殺されたダンカンもいたことから、このバックステージも舞台袖もない劇では、死者は亡霊として再び動き出すのだと推察した。そこで、この劇のすべての結末が、ようやく提示され、人々は、退場を促された。正直、時間もなにもかもわからなくなっていて、ダンスパーティーを2回、最後の晩餐を2回しかみていないことから、2周目なのか、3周目なのかもその時にはわからなくなっていた。


そして観客はまた、2階のジャズ・バーに戻る。ジャズを楽しんでもいいし、帰ってもよい、という感じになっている。


結末は示されるものの、私は3回目の殺人を見逃してしまったり、魔女の存在をはじめとした半分以上の登場人物が誰なのかよくわからないままに終わってしまった。リピートの多いショーだというのも頷ける。そこで(再度言うが)騙されて、20ドルでパンフレットを買ってみたけれど、部屋の地図などは載っておらず、単にマクベスの系列のことだけのプロットが書いてある。そこで、マクベスの3つ目の殺人(ネタバレすると…*2)を知ったりもしたが、高層階のことは、よくわからなかった。


サイコ 【Blu-ray ベスト・ライブラリー100】
読めなかった手紙、探検できなかった部屋のことも悔いが残るが、3階にあった、鏡の中だけ異世界の子供部屋(鏡の中では、ベッドが血まみれ)の美術は、これもヒッチコックの「サイコ」を元にしているようだけど、特に役者がベッドに座っているときは、「どうなってるの?」という感じで、一つの現代美術として成立していた。鏡に役者も映っているし、血まみれのシーツも映っている、不思議。


若い芸術家がホテルを改装したそうだけど、この試みは元々ロンドンでPunchdrunkがはじめたもの。今回で3ヶ所目の上演となる。私のロンドン・アンテナの鋭敏さには自分でも驚きたくなるが、わくわくするような仕掛けがいっぱい施されたハード面も十分に楽しんだ。

ただ、それ以上に、木箱やビリヤード台や身長ほどある本棚の上の狭いスペースで人々が踊る、という、夢と現実の狭間にある、奇妙なリアリティの芳しさ。そこに響く、古く懐かしい映画音楽の轟き。そんな組み合わせを、知りもしなかったのに、ずっと求めていたかのように錯覚する、フルコースのような芸術体験の美味。
たらふく堪能し、それでも言葉にできなくて、「スリープ・ノー・モア美味しすぎる!!」としかいえなくなってしまったので、体験したものをそのまんま書いてみました。


極度の退屈は、究極の体験を志向させるのです。


久しぶりに日記(?)でした。本年もよろしくお願いします。

*1:私は最早映画館に行かないが、むしろ劇場にはそこそこ足を運んでいる。これだけインターネットが発達すると、映像をどこかに行ってみる事にはあまり意義を感じられない。このことは「わたしは映画が嫌いだ」とかそんなタイトルでいつかまとめたいが

*2:Pregger

できちゃった結婚は出生率を下げるか?

最近一応は出産した後にも仕事を続けられるようにと育児・介護休業法が改正されたりしているようだが、なんかずれてると思うことも多い。たとえば派遣の職員は女性ばかりだし、当然彼女たちがこれから出産する可能性は正社員よりも低い。今就職できない新卒たちも売り手市場だった時期に就職した人より出産する可能性は低い。この超高齢化大国は、結局は出生率を上げるために動くべきなのに、なんだかきまりごとばかり作って社会的な仕組みは全く変える気がないらしい。


ところで、サンケイビズに面白い記事があった。
出生率、欧州トップの秘密 フランス2.00


フランスでは出産時から育児まで手厚い手当てがあり、保育園も充実しているようだ。その中で、ある意味唐突に出てきたこの文章が、ちょっと面白い。

日本のような「できちゃった婚」もほとんどない。

これを聞いて、フランスでは避妊をきちんとしていて、結婚後まで子供をつくらない、その代わり支援のおかげで30代でもバンバン産むのかと思ったら違った。

未婚の女性の出産率は、1999年施行の「婚姻届を出さずに共同生活を安定的、持続的に行う市民連帯契約」(PACS)の影響もあり増加の一途で、09年に出産した女性の約半数が未婚だった。

そもそも結婚しないんである。
たしかに「でき婚」がほぼマストな社会だと、体面や不倫や金銭問題で結婚できないカップルはより堕胎を選びやすくなる可能性がある。


とはいえ、日本の中絶の数はだいぶ減って、フランスより総数では多いが1000人あたりだと少ない。これも時間があったら人口と出生率で計算したほうがいいんだけどね。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/2247.html


ちなみに日本のデキ婚率は最近発表されて4人に1人くらい。

09年の統計では15〜19歳が81・5%、20〜24歳が63・6%、25〜29歳が24・6%、30〜34歳が12・1%、35歳以上では10・8%
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20101210-OYT8T00617.htm


そこに国民生活白書を掛け合わせると、

有配偶離婚率を見ると、男女ともに年齢層が低くなるほど高い傾向にある(第1−補1−4図)。女性の30歳未満で有配偶離婚率が目立って高くなってきており、19歳以下で58.4%、20〜24歳で42.5%。
母子世帯数の推移を見ると、離婚を理由とするものは93年には50万7,600世帯(64.3%)、2003年には97万8,500世帯に増えており、母子世帯のうちの79.9%を占めるに至っている(厚生労働省「母子世帯等調査」)。
http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h17/01_honpen/html/hm01ho12001.html

年が違うのでそのまま参考にしてはいけないが、20歳未満は8割ができちゃった婚で結婚している一方で6割が離婚している。残念ながらできちゃった婚は、やはり離婚率は高いようだ。母子家庭の理由は79.9%が離婚で残りが未婚・死別などと考えるとフランスには程遠い。



「結婚しない国」といえばノルウェーというイメージがあるけど、やっぱり同じ意見(結婚しないと子供が生みやすい)が書いてあった。
結婚の条件:日本とノルウェーの比較
無断引用禁止とのことで、引用なし。


ノルウェー出生率も2くらいまで回復して高い。Google先生で簡単に比較できる。
http://www.google.com/publicdata?ds=wb-wdi&ctype=l&strail=false&nselm=h&met_y=sp_dyn_tfrt_in&scale_y=lin&ind_y=false&rdim=country&idim=country:JPN:NOR:FRA&tstart=-315619200000&tunit=Y&tlen=48&hl=ja&dl=ja


あんまり時間がないのでパパッと。
とりあえず「でき婚」がなければ救われる命がある…かも?くらい。それと、ノルウェーはGenger Gapのなさが世界2位の国なので、世界1位のアイスランド出生率2.14)含め、そういう国が出生率高いのかな?と思って世界1〜7位と比較したグラフがこれ。ちなみに8,9位のレソトとフィリピンは高すぎてグラフが見づらいので省略、10位のスイスは大変低くて1.48。
http://www.google.com/publicdata?ds=wb-wdi&met=sp_dyn_tfrt_in&idim=country:JPN&dl=ja&hl=ja&q=%E5%87%BA%E7%94%9F%E7%8E%87#met=sp_dyn_tfrt_in&idim=country:JPN:NOR:ISL:FIN:SWE:NZL:IRL:DNK:C


女性が社会進出してる国の方が出生率が高い!ふしぎ!
ただしフランスは48位なので、その分努力した、ということなのかも。日本は98位、日本以下の出生率の韓国は108位。多分社会進出とか差別云々ってより社会の構造と雇用形態なんだと思うけどね……。今度時間があるとき結婚しない国とジェンダーギャップの関連性も調べます。


何でこんな記事を書いたかと言うと、実は私は同性結婚支持者で男女別姓も良いと思うんだけど、同様に結婚という権威が少しでも薄れていって欲しいとも思っているからなんだよね。前にも言ったとおり叶恭子的な人も嫌いじゃないよ。

アメリカのテレビはむしろ同性愛者を救おうとしている

どこかの誰かが「海外では例がない」と言ったのとは違い、実際にはアメリカのテレビはむしろ同性愛者の救済に大きな影力を持っています。少し古い話題ではありますが、せっかくの機会なので、米国で相次いだ10代の同性愛者の自殺に対して、テレビがどのように応戦していったのかをまとめてみます。
glee/グリー 踊る♪合唱部!? vol.1 [DVD]
きっかけはラトガース大のネット中継→同性愛者自殺事件でした。

ニュージャージー(New Jersey)州ラトガース大学(Rutgers University)の学生2人が、同性愛者の同級生のラブシーンを隠し撮りしてネット中継し、被害者が自殺する事件が起きた。同大によると、被害に遭ったのはバイオリンの名手として知られていた同大1年生のタイラー・クレメンチ(Tyler Clementi)さん(18)。米メディア報道によれば、クレメンチさんは前月19日、自室で恋人の男性とキスしているところを、ルームメートのダルン・ラビ(Dharun Ravi)容疑者に隠し撮りされた。その映像はネット上で生中継されたほか、インスタントメッセンジャー・サービス「iChat」で共有された。3日後の22日、クレメンチさんはフェースブックFacebook)上に「橋から飛び降りる、ごめんね」と書き残し、同日夜にニューヨーク(New York)とニュージャージー州を結ぶジョージ・ワシントン橋(George Washington Bridge)から飛び降り自殺した。
同級生の同性愛ラブシーンを隠し撮りネット中継、被害者自殺 米大学


私は、割と日本のメディア以外にも気をつけて接するようにしているのですが、この事件については、一番最初に知ったのは、エレン・デジェネレスが自分の番組内でスピーチをしてくれたからでした。これがアメリカの芸能ニュースに乗り、私の目にも触れました。


「タイラー・クレメンティの自殺報道に打ちのめされているわ。何か行動を起こさなければ。1人が意味のない死を遂げるのは悲劇だわ。でも4人ともなれば犯罪よ」

エレンはアカデミー賞の司会をしたこともある、レズビアンの司会者で、レディ・ガガなどとも親交が深く、エレンの番組にガガは何度も出演しています。
そしてこの手の運動はあっという間に広がり、とくにThe Trevor Projectは、歌手のKe$ha(ケシャ)や女優のアン・ハサウェイオバマ大統領などが出演する「It Gets Better(これから良くなる)」と題うったメッセージビデオキャンペーンは、YouTubeで1ビデオ100万回以上再生されるなど、世界各国のゲイ支持者たちに広まりました。(ちなみに、ハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフは騒動の前から同プロジェクトのビデオに参加していました)。
その中でも、テレビ出身のゲイの若手俳優として70万回の視聴を数えたのが、クリス・コルファーです。


「醜い環境と状況の所為で、過去数週にわたり、LGBTQの何人もが悲劇的に命を絶った。幸せになるチャンスなんてちっともないように見えるけど、世界は受容と愛に溢れていて、あなたに見つけてもらうのを待っている。」

Gleeについての紹介記事は、わたしの過去ログ『Glee』テレビは万能だ――劇場は何のためにある?にあり、主にクリス・コルファーの演じるゲイのいじめられっ子、カートの自己表現について記載してあります。
クリス自身が「歩くサンドバッグ」といわれるほど、高校時代イジメにあってきたといいます。そして彼は別の役に対してオーディションを受けてきていたものの、プロデューサーでゲイ(で、『食べて、祈って、恋をして』の監督でもある)のライアン・マーフィーがその姿にインスピレーションを得て、クリスのためにわざわざ役を書き下ろしたという経緯があります。結果としてドラマは大ヒットし、さらにカートはローリング・ストーンズ誌で「記憶に残るキャラクター」に選出されたりエミー賞にノミネートされたりしました。そのような生い立ちのクリスのメッセージは、テレビドラマを見ている層にはとても真摯なものとして響いたのでした。
そしてさらに、9月から第2シーズンを放送し始めたばかりの「Glee」は、痛ましい事件を受けて10代の同性愛者のために立ち上がると表明し、番組内で同性愛者に対する執拗なイジメ(精神的なものを含む)やそれを庇いきれないストレートの葛藤、さらにいじめっ子の裏に秘められた苦悩をも浮かび上がらせることに成功しています。そしてこの物語はまだ一時的な解決しかみておらず、今シーズンを貫く大きな柱となるはずです。
というわけで、アメリカにおいて、テレビは常に同性愛者を支援し、その声を代弁し、時には救ってきたという事実があります。長くなってきましたので、Gleeにおいて初めて、ゲイによって行なわれた先週放送のデュエットでも見ながら、お別れしましょう。

あ、そうそう、Gleeの1話目は無料で見れます。
http://books.rakuten.co.jp/pickup/dvd-blu-ray/teleplay/overseas/glee/

東京都青少年健全育成条例改正案と少女漫画について

東京都青少年健全育成条例改正案に対する私のコメントに対しては、大変聡明なコメントを頂き、サボりにサボってきた人間として、恐縮するばかりでございます。
あのコメントで投げかけたかった疑問は、こういうことです。

言い換えれば、少女漫画がどうなろうと、どうでもいいんでしょ?ってことです。あの時、誰も何も言ってくれなかった。それどころか、あれから何年もたっても、誰も何も言う人はいなかったわけです。


少し個人的に書きすぎたため、「エロの所為で面白い少女漫画が読めなくなったのが嫌だ」という風に解釈された方もいたみたいですが、果たしてそれだけなんでしょうか。
エロ少女漫画を読んでみれば、それがいかに男性向けエロ漫画のチープな模倣と、少女向けファンタジーの粗悪な合成品であるかは、すぐにわかると思います。たとえば“レイプ”に対する男性側のファンタジーと女性側のファンタジーは本来全く別のものであるはずにも関わらず、レイプを肯定的に、ある種の快楽として書く少女漫画がどれだけ多いか(ギリギリでヒーローがちゃんと助けに来てくれる場合も多いですが)。
またこんなこというと、大変に誤解されそうでアレですが、私はプロミスキュアスな世界観は大好きで、叶恭子のファンですので、そういう立場なら全く問題ないんですよ。また、モノガミストが背徳感を楽しむためにレイプ(ごっこも含む)や不貞を楽しんでも構いません。しかしそこには少女漫画的ファンタジーとして、心理上での彼氏への忠誠ってのは絶対なわけですから、そこへ男性的ポルノの粗悪品が組み合わさると、現れる表現はただのクリムゾンですよ。10代の子がそんな紋切り型のポルノ表現見てどうするんですかね? 私が少女漫画を読んで強烈に印象に残ったシーンは、レイプされてショック死しちゃったお母さんの息子とか、母親が背信的な不貞行為を楽しんでいるのを知って絶望する子供*1とか、そういうシーンだったんで余計に。
紋切り型の安物ポルノ少女漫画が発しているメッセージは、場当たり的なセックスに対する肯定的なメッセージであり、避妊の方法や女性の自立ではありません。
そういうメッセージ、世界観を見てきて、10代で妊娠しちゃった子がいたとしても、私は全然驚きませんけどね。
そしてその子がその後起こりうる教育・就業・収入・安定的結婚を投げ打ってまで、産もうと言う選択をすることは、ある意味で正しい選択だと思いますし(もうひとつの手段を否定しているわけではありません)。
このタイミングで言うのは卑怯ですが、心の中では当然、法案は否決されて欲しいと思っていると同時、今回の件がきっかけとなろうがなるまいが、一部の少女漫画誌にはその作品のあり方をもう一度考えなおして欲しいと願います。

*1:T.E.ロレンスとかレヴィ・ティヴランとか。でもレヴィは今回の規制対象バリバリですね。お母さんにレイプされてるから

東京都青少年健全育成条例改正案に対する私のコメント

私のコメントなど大して重要ではないと思いますし、そもそも漫画を評論するという、大事なことからもう何年も遠ざかってしまった私が無責任に、今更ぶって偉そうな事を言うつもりはありません。しかし、都知事の同性愛へのヘイト・スピーチをきっかけに、あらためてこの問題が自分にとって必要なものと思われるようになりましたので、簡潔にコメントしたいと思います。
まず、申し訳ありませんが、今回私は規制に賛成も反対も出来ません。
そこには、正直に言えば『風と木の詩』や『残酷な神が支配する』がその条例改正案にはひっかからないであろう、という、たかを括った部分もあります。とはいえ、今回は、基本的には男性向けのポルノ漫画に関する意見ばかりであり、女性向け漫画は『風木』などが避雷針的に言及される程度ですので、少女漫画とジェンダーの関係を研究し続けたものとして、2点だけ、反対に回らない理由を示しておきます。
ひとつは、規制がなくても少女漫画はちっとも良くなんてならなかった、ということです。少女漫画、といえば、誰もが24年組を(それこそ今回の『風木』のように)権威ぶって引用します(私だってそうです)。私が研究するのは主に80年代の少女漫画ですが、00年代となると読む雑誌は一気に狭まります。「ウィングス」「スピカ」よくて「別冊花とゆめ」です。よく、少女漫画のエロがぶっ飛んでるという画像が出回りますが、10年前、毎号「少女コミック」を読んでいた体験はそれに輪をかけて酷いものでした。巻末にはいつも、「1回目・出会って即セックス→2回目・ラブラブだが浮気を誤解して嫉妬で破局→3回目・仲直りしてセックスし最終回」という漫画が載っていました。そしてその枠がどんどん増えていき、連載の調子と付録がセックスまみれになりました。私は15歳(高校1年生)で(さらにそれをたまに読んでいた妹たちは当然もっと若い)、『ふしぎ遊戯』で有名な渡瀬悠宇のファンだった子から借りていました。結局、その子はそれが嫌で購読をやめました。
別にセックスの話が嫌だったわけではありません。平行して『風と木の詩』読んでいたのもその頃だし、それどころか色々な漫画を読んでいて、『のぞき屋』とか青年漫画まで読んでました(あんま好きじゃないですが)。結局、中身のないセックスの話が嫌だったんです。面白い漫画はすっかりなくなってしまいました。その変化は本当に早く、半年くらいで起こりました。表紙には花とゆめと交互で「少女No.1隔週誌」の文字が躍り、その作戦が売り上げに結びついていたから、そんな暴走が起こったのだと思います。
だから、規制なんてする前から、とっくのとうに、一部の少女漫画誌ではある意味、暴走が終わって、半死の状態なわけです。私はそれがいやで読むのをやめたわけですから、法が変わればもっとべつの魅力を押し出してくる可能性があるとすら思えるわけです(もう、半分ヤケです。いくらでも反論してください)。今は「花とゆめ」ですらSFどころかファンタジーが連載できず、うそ臭い学園モノがはびこる時代になってしまったんですから。
そしてもう1点は、漫画表現、とくにやおい的表現による同性愛者への差別的表現です。ここでは男性漫画での女性への陵辱行為について怒るべきなのかもしれませんが、読んでないので。やおい的表現による差別については水間碧の仕事に詳しく、おおまかにはその流れと一緒ですが、twitterでも臆面もなく、「ホモ」と発言するやおい好きの、なんと多いことか。今回、石原都知事が皮肉にも、表現規制と直接の関係がない同性愛者への言及を行なったことで、この皮肉な環境が私の中で急に浮かび上がってきたのでした。石原発言のエッセンス、つまり差別感情が表現規制に向かうガソリンであった、という点は批判の対象にしかならないでしょう。さらにその差別感情が、自分の中で重大な価値を持つ同性愛の問題に向けられたとなればなおさらですが、一方でこの矛盾が、反表現規制をしている人に対する、「こんな時だけ声を大きくして」という思いをますます大きくしたのも事実です。
結局、規制なんてなくてもダメになるものはなるのです(J-POPと同じようなものです。流石に今のメインストリームが中身のあるものだとは思わないでしょう?同じ服をきて皆で振付を踊りながら歌うのが?才能を隠すあのやり方が?)。
同時に、規制があっても生きるものは生きるのだと思います。というわけで、個人的は賛成も反対もしないし、できません。